八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソンの翌朝は、金環日食の日であった。
早くから、新聞やテレビで予告されていたこともあって日食観測用グラスをしっかり用意して民宿に泊まっていた。
マラソンを完走できたこともあって、翌朝は早々と目が覚めた。
嬉しいことに、カーテンを開けると太陽が眩しく輝いていた。
天気予報では、曇りで晴れ間が見えるかどうかはっきりしない様子だったが、
うまい具合に外れて、絶好の観測日和となっていたのだ。
早速、観測グラスで太陽を観測してみると、朝6時半くらいから太陽の上部が僅かに欠け始めていた。
民宿の窓から見えるのだが、やはり外に出てしっかり見てみたくなり、
仲間達と連れ立って、周囲を散歩しながらリング状になるまで待つことにした。
結局、民宿近くの松原湖(長野県小海町)のほとりで観測することになった。
観測グラスで見ると、欠けていく様子が実に良くわかる。
結局、民宿に泊まった仲間全員が松原湖に集まってきた。
みんなでワーワー言いながら、太陽を眺めている様は面白い。
これほど、同じ目的で大勢の人間が行動するのはめったにないことである。
やがて、7時30分を少し過ぎた頃、太陽の中にすっぽり月が入り、金色のリングが出来上がっていた。
全員が歓声を上げる。
こんな天体ショーを見たのは生まれて初めてのことだ。
広範囲で金環日食が見られるのは実に912年ぶりというから、ほとんどの人が初めて見る光景だったに違いない。
完全な金環状態は僅かな時間であったが、しっかり目に焼き付けることが出来た。
ただ、コンパクトデジカメはうまく撮影する事が出来ず、まともに撮れた写真が一枚もない。
三脚、一眼レフ、専用フィルターなど、しっかり用意しておくべきだった。
まあ、新聞やテレビではプロの撮った写真が公開されているので、それで充分だ。
金環日食を見ていて、一つ気付いたことは、気温がかなり低下していたことだ。
やはり、太陽の光は温かい。
月の影で光が遮られ、地球に降り注ぐ熱も低下していたことが良くわかった。
太陽の恵みが如何に大きいことも、改めて体感出来た気がする。
さて、次の金環日食は、北海道で2030年6月1日、中部地方で2041年10月25日に観測できるという。
長生きしてれば、もう一度見られるかな。
早くから、新聞やテレビで予告されていたこともあって日食観測用グラスをしっかり用意して民宿に泊まっていた。
マラソンを完走できたこともあって、翌朝は早々と目が覚めた。
嬉しいことに、カーテンを開けると太陽が眩しく輝いていた。
天気予報では、曇りで晴れ間が見えるかどうかはっきりしない様子だったが、
うまい具合に外れて、絶好の観測日和となっていたのだ。
早速、観測グラスで太陽を観測してみると、朝6時半くらいから太陽の上部が僅かに欠け始めていた。
民宿の窓から見えるのだが、やはり外に出てしっかり見てみたくなり、
仲間達と連れ立って、周囲を散歩しながらリング状になるまで待つことにした。
結局、民宿近くの松原湖(長野県小海町)のほとりで観測することになった。
観測グラスで見ると、欠けていく様子が実に良くわかる。
結局、民宿に泊まった仲間全員が松原湖に集まってきた。
みんなでワーワー言いながら、太陽を眺めている様は面白い。
これほど、同じ目的で大勢の人間が行動するのはめったにないことである。
やがて、7時30分を少し過ぎた頃、太陽の中にすっぽり月が入り、金色のリングが出来上がっていた。
全員が歓声を上げる。
こんな天体ショーを見たのは生まれて初めてのことだ。
広範囲で金環日食が見られるのは実に912年ぶりというから、ほとんどの人が初めて見る光景だったに違いない。
完全な金環状態は僅かな時間であったが、しっかり目に焼き付けることが出来た。
ただ、コンパクトデジカメはうまく撮影する事が出来ず、まともに撮れた写真が一枚もない。
三脚、一眼レフ、専用フィルターなど、しっかり用意しておくべきだった。
まあ、新聞やテレビではプロの撮った写真が公開されているので、それで充分だ。
金環日食を見ていて、一つ気付いたことは、気温がかなり低下していたことだ。
やはり、太陽の光は温かい。
月の影で光が遮られ、地球に降り注ぐ熱も低下していたことが良くわかった。
太陽の恵みが如何に大きいことも、改めて体感出来た気がする。
さて、次の金環日食は、北海道で2030年6月1日、中部地方で2041年10月25日に観測できるという。
長生きしてれば、もう一度見られるかな。