今年も、社会人大学が始まった。
まず第1回目の講師は、常葉学園大学造形学部長の日比野秀男氏で「幕末明治・静岡の群像」という題目で講演が行なわれた。
ただ、前の日から静岡市内で泊り込みの出張の仕事があり、この日も静岡での仕事の合間をぬって講演を聞きに行ったのだが、
疲れと寝不足でまともに聞けていなかったのが残念だ。
終わってからも、急いで新東名高速道路で仕事先に戻るというハードなスケジュールだった。
うとうとしながらの状態で聞いた内容をすこし挙げてみる。
今回の講演は、静岡県にも幕末から明治にかけて活躍した偉人がいたという話だ。
それは、幕末の幕臣、明治時代の政治家、思想家としても知られる山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう)である。
山岡鉄舟は、明治維新のハイライトといわれる江戸城無血開城の立役者で、
西郷隆盛と勝海舟のトップ会談を実現させ、江戸を戦火から救ったことで有名だ。
また、剣・禅・書の達人として明治維新後の多くの人材に影響を与え、中でも明治天皇の教育係として十年間仕え、
日本の近代化(特に、精神教育や文化)に多大な影響を与えたともいわれている。
特に書は、人から頼まれれば断らずに書いたので各地で鉄舟の書が散見されており、
一説には生涯に100万枚書したとも言われているという。
また、有名な木村屋のあんパンを好んでおり、毎日食べていたともいわれ、木村屋の看板も鉄舟の揮毫によるものだという。
他には、浜松市内にある臨済宗方広寺派の大本山である奥山方広寺の再建に尽力を尽くした話や、
清水次郎長との親交があったという話を興味深く聞くことができた。
まず第1回目の講師は、常葉学園大学造形学部長の日比野秀男氏で「幕末明治・静岡の群像」という題目で講演が行なわれた。
ただ、前の日から静岡市内で泊り込みの出張の仕事があり、この日も静岡での仕事の合間をぬって講演を聞きに行ったのだが、
疲れと寝不足でまともに聞けていなかったのが残念だ。
終わってからも、急いで新東名高速道路で仕事先に戻るというハードなスケジュールだった。
うとうとしながらの状態で聞いた内容をすこし挙げてみる。
今回の講演は、静岡県にも幕末から明治にかけて活躍した偉人がいたという話だ。
それは、幕末の幕臣、明治時代の政治家、思想家としても知られる山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう)である。
山岡鉄舟は、明治維新のハイライトといわれる江戸城無血開城の立役者で、
西郷隆盛と勝海舟のトップ会談を実現させ、江戸を戦火から救ったことで有名だ。
また、剣・禅・書の達人として明治維新後の多くの人材に影響を与え、中でも明治天皇の教育係として十年間仕え、
日本の近代化(特に、精神教育や文化)に多大な影響を与えたともいわれている。
特に書は、人から頼まれれば断らずに書いたので各地で鉄舟の書が散見されており、
一説には生涯に100万枚書したとも言われているという。
また、有名な木村屋のあんパンを好んでおり、毎日食べていたともいわれ、木村屋の看板も鉄舟の揮毫によるものだという。
他には、浜松市内にある臨済宗方広寺派の大本山である奥山方広寺の再建に尽力を尽くした話や、
清水次郎長との親交があったという話を興味深く聞くことができた。