今日は、お彼岸という事で袋井市にある可睡斎、油山寺、法多山の三山を巡るマラニックに行ってきた。久しぶりの三連休の初日でもある。天気はいいが、朝から強風が吹き荒れる一日となった。
この日に集まった参加者は、17名ほどだった。スタートの袋井駅前で記念写真を撮って午前9時より少し前にスタートする。
まず最初に向かったのが、可睡斎だ。可睡斎は、東海道一の禅の修行道場であり600年の歴史を刻む曹洞宗の古刹である。11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまったという伝えがあり、徳川家康公にゆかりがあるという事が大きくPRされている。
山門を抜けると本堂があるが、本堂内にあるトイレ(東司)は、テレビの“ナニコレ珍百景”でも紹介されたという「日本一緊張するトイレ」があるそうだ。残念ながら、そのトイレに行く余裕はなかったが、トイレ内には、トイレの神様(ウスサマ明王)がお祀りされていて、怖いほど緊張してしまう御トイレだという。ちょっと入ってみたかった。
二番目に寄ったのが、油山寺である。油山寺は、医王山薬王院油山寺と称し、今から約千三百年前(大宝元年)に行基大士が開山された真言宗の古刹である。昔、この山から油が出ていたので通称「あぶらやま」と呼ばれている。
新しく建て直された宝生殿。
奥の方に行くと、帝孝謙天皇が滝の水で洗眼すると眼病が治ったという「るりの滝」がある。
薬師本堂にお参りする。
後ろにあるのが、源頼朝が眼病全快のお礼に建てたという三重塔。重要文化財だそうだ。
田んぼの畦道では、つくしが伸びていた。まさに春爛漫だ。
エコパスタジアムの中を抜けて、法多山へ向かう。法多山は、今からおよそ1290年ほど昔、神亀2年(725年)聖武天皇の勅により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山である。
法多山といえば、厄除け団子が有名だ。さっそく一皿ずつ買って、お昼代わりに団子をいただく。
三番目の法多山を抜けると、あとはひたすらゴールの「和(やわらぎ)の湯」までひた走る。午後1時前にはゴール。温泉から出た後は、早速懇親会だ。最後まで残ったメンバーで締めの写真を撮って解散する。
前日から喉の調子があまり良くなかったが、走っている時はそれほどでもなく、なんとか無事に走ることができた。走行距離は約25キロで、ちょうどいい練習距離だった。
参考:今回のコースマップ
この日に集まった参加者は、17名ほどだった。スタートの袋井駅前で記念写真を撮って午前9時より少し前にスタートする。
まず最初に向かったのが、可睡斎だ。可睡斎は、東海道一の禅の修行道場であり600年の歴史を刻む曹洞宗の古刹である。11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまったという伝えがあり、徳川家康公にゆかりがあるという事が大きくPRされている。
山門を抜けると本堂があるが、本堂内にあるトイレ(東司)は、テレビの“ナニコレ珍百景”でも紹介されたという「日本一緊張するトイレ」があるそうだ。残念ながら、そのトイレに行く余裕はなかったが、トイレ内には、トイレの神様(ウスサマ明王)がお祀りされていて、怖いほど緊張してしまう御トイレだという。ちょっと入ってみたかった。
二番目に寄ったのが、油山寺である。油山寺は、医王山薬王院油山寺と称し、今から約千三百年前(大宝元年)に行基大士が開山された真言宗の古刹である。昔、この山から油が出ていたので通称「あぶらやま」と呼ばれている。
新しく建て直された宝生殿。
奥の方に行くと、帝孝謙天皇が滝の水で洗眼すると眼病が治ったという「るりの滝」がある。
薬師本堂にお参りする。
後ろにあるのが、源頼朝が眼病全快のお礼に建てたという三重塔。重要文化財だそうだ。
田んぼの畦道では、つくしが伸びていた。まさに春爛漫だ。
エコパスタジアムの中を抜けて、法多山へ向かう。法多山は、今からおよそ1290年ほど昔、神亀2年(725年)聖武天皇の勅により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山である。
法多山といえば、厄除け団子が有名だ。さっそく一皿ずつ買って、お昼代わりに団子をいただく。
三番目の法多山を抜けると、あとはひたすらゴールの「和(やわらぎ)の湯」までひた走る。午後1時前にはゴール。温泉から出た後は、早速懇親会だ。最後まで残ったメンバーで締めの写真を撮って解散する。
前日から喉の調子があまり良くなかったが、走っている時はそれほどでもなく、なんとか無事に走ることができた。走行距離は約25キロで、ちょうどいい練習距離だった。
参考:今回のコースマップ