石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(再録)現代中東の王家シリーズ:サウジアラビア・サウド家(11)

2019-01-31 | 中東諸国の動向

 

初出:2007.8.2

再録:2019.1.31

(注)以下の人名、肩書はいずれも2007年当時のものです。

 

(11)サウド家とビジネスの関わり(2):ビジネスに進出した二人の王族

 石油発見以前はサウド家が大商人達を庇護する見返りに、彼ら商人達がサウド家を財政的に支援するパトロンの役割を果たしていた。このためサウド家王族と商人達の間にはお互いの領分を侵さないと言う不文律があった。サウド家の王族は政官界の重要ポストを独占し、さらに石油が発見された後は豊かな石油の富を一族に配分することができたため、王族は名誉と経済的安定に安住し、あえて競争の激しいビジネス界に進出する必要はなかった。これがサウド家の王族がビジネスに手を出さなかった理由である。

そのような中で敢えてビジネス界に進出し成功した二人の王族がいる。1人は故ファイサル第三代国王の長男アブダッラー王子であり、もう1人が世界的に有名な富豪アル・ワーリド・ビン・タラール王子である。アブダッラー王子はアル・ファイサリア・グループを創設し、ソニー、仏ダノン社などの独占代理店としてサウジの国内市場に確固たる地位を占めている。そしてアル・ワーリド王子は金融コングロマリットKingdom Holdingを率い、シティ・グループの筆頭株主となるなどブルー・チップと呼ばれる優良銘柄を多数所有している。

 アル・ファイサリア・グループのアブダッラー王子は祖父のアブドルアジズ初代国王がアラビア半島征服に邁進している最中の1922年に彼の3男で後に第三代国王となるファイサルの長男として生まれた。彼は父ファイサルの皇太子時代に29歳の若さで内相に就任したがその後実業界に転じた。彼の母親はスデイリ家の出身であり、ファハド前国王、スルタン現皇太子など有名な「スデイリ・セブン」の母親とは姉妹関係にある。従ってアブダッラー王子は父系で見ればスルタンとは叔父・甥の関係であると同時に、母系で見れば両者は従兄弟同士という込み入った関係なのである。なおサウド外相はアブダッラーの異母弟である。

 アブダッラーが1970年にアル・ファイサリア・グループを設立して本格的なビジネスに進出しようとした矢先の1975年に、父親のファイサル第三代国王が同じ王族で義理の甥に暗殺される悲劇が生じた。しかし彼は父から遺産として引き継いだ広大な土地に畜舎を建設、外国から乳牛を輸入して酪農業を始めた。彼の興したAl-Safi社はいまや国内シェア30%を誇る最大の乳製品メーカーである。またグループはソニーの総代理店として国内家電市場でもトップである。アブダッラー王子は今年85歳で亡くなったが、グループは彼の息子や孫達によって引き継がれている。


 Kingdom Holdingを率いるアル・ワーリド王子は1955年生まれで52歳、父親はアブドルアジズ初代国王の18男タラール殿下である。タラール殿下の母親はコーカサス出身であり、またアル・ワーリドの母親モナ妃はレバノンの初代首相の娘である。このように彼の血統はサウド家の中でも主流とは言い難く、また父母が早く離婚したため母親に引き取られ彼は幼児期をレバノンで過ごしている。

 このような出自が彼が官界に背を向けてビジネスに身を投じる動機になったと思われるが、最大の理由は彼の父親タラール殿下がかつてサウド家に背いた「自由プリンス」の1人であったためと考えられる。「自由プリンス」とは1960年代にエジプトのナセル首相の時代にアラブ民族主義思想が吹き荒れた時、この思想に感化されたタラールなど一部の王子達を指す言葉である。彼ら「自由プリンス」はサウジアラビアの民主化を叫び、サウド家内部に深刻な波紋を投げた。彼らは当時のファイサル国王を中心とする保守層から厳しく糾弾され、ナセルのもとに亡命したのである。しかしナセルと王子達が折り合うはずもなく、結局数年後タラールはファイサル国王に詫びを入れて帰国を許されたのである。このような事情のためアル・ワーリド王子は政官界の道を閉ざされ、実業界に進出するほかなかった。

 アル・ワーリド王子は父親から借りた3万ドルを元手に不動産業を始め、その後、1970年代のオイル・ブームに沸く国内でトントン拍子に資産を膨らませた。そして米国の株式投資に手を染め、当時不良債権で瀕死の状態にあったシティ・バンク(現シティ・グループ)の株を買い集めたのである。この作戦は大成功し5.5億ドルの投資が最終的には100億ドルに化けた。2007年のフォーブス誌長者番付によれば、彼の資産総額は203億ドル、世界13位(アラブ世界ではトップ)の大富豪にランクされている。
 
アブダッラー王子とアル・ワーリド王子がビジネスに進出した背景には一つの共通点がある。それは彼らの父親を巡る事件が彼らの運命を変えたと考えられることである。アブダッラー王子は父親が暗殺されたことにより、またアル・ワーリド王子の場合は父親がサウド家に背いたため、結局彼らは政官界での栄達の道を閉ざされ、ビジネス界に進出する以外に選択の余地はなかったのであろう。そして何よりも血縁が重視されるサウド家の中で父親の威光を利用することのできなかった二人の王子は独立独歩で道を切り開いていったのである。


(続く)

 

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荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

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