たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

暑さに負けた光州の一日

2014年10月09日 | 韓国
ここのところの暑さは殺人的です(5/29)

今日は芸術村と国立博物館を予定していましたが結局、暑さに負けて芸術村のみとなりました

光州バスターミナル前~芸術村 (39番のバス 2400ウオン)

宿を出、大通りに向かいますとバスターミナルをグルリ一周 タクシーが列を作っていました

その数たるや東京ドーム程の面積を持つターミナルですので

一体、何代のタクシーが客待ちしているのか夥しい程の台数です


先ずは通りに面して建つインフォメーションに足を向けます

「今年はセオウル号の事故の関係で催しが自粛されてご迷惑をお掛けして申し訳けございません

芸術村へはこの直ぐ前の停留所から36番と09番が出ていますが

09番の方は少し歩いて頂く事になります・・・etc・・・」

今日は昨日の役に立たない女の子とは打って変わった親切な対応の女性でした

今日は何か良い事が有りそう 一日の始まりが気持ち良いと、そう思えてきてしまいます

果たして・・・・・・・・・・・


車窓からこんなお店を見つけました

一目瞭然 分かりますよね


30分は乗っていなかったと思いますが何とか無事、芸術村へやって来ました

芸術村と言うからには街中が博物館みたいなのかしら?と期待に胸を膨らませ路地に入りますと

数件の陶器を扱ったお店と額縁屋さんが並んでいるのみ

後は何処でもみられる街の風景でした

これでは、バスの窓から眺めたヤカン屋さんの方がアート的存在価値が高かった・・・わねぇ

それでも望みを捨てず私達は汗を拭きながら歩きます

一見の骨董品店を見つけました

無造作に日本人形が置かれていたり山の様にガラクタが積まれていたりでしたが

その中で自然の艶が出ている一つの木彫り人形に目が留まりました

店主に値段を問いますと25000ウオンとの事

それを18000ウオン(日本円で1800円位)にして頂き家の土産としました




少し先の客の入りの良い食堂が今日の私達のお食事処です

芸が無いと笑われそう

私が頼むものは何時もこんな物です

まぁ、海外生活は絶対 無理でしょうね






こうしたアーケード街もほんの僅か

強烈な日差しが照りつける中を歩いて行きますと右手に見つけました

民主化に向けて学生運動が勃発したその記念館

入って良いのか悪いのか分かりませんでしたが門を潜りますと

人の姿もなく只、静まり返るばかりの施設でした




川を渡り尚も進みます

おや?この家

大分、荒れてはいますが文化財に指定されそうな民家

?先生生家と有りましたから名の有るお方の建物だったのでしょう


それにしても暑くてどうかなりそうです

近くの高台に公園が有りましたので一時の涼を求めて逃げ込みました

霞む市街地を見下ろす公園で汗を静めながら、どちらともなく「今日はもう帰ろうか」


今日は結局、木彫りの人形を手に入れただけ

暑さに負けてターミナルに戻りますと本屋さんでは立ち読みならず座り読みの客が一杯

ベンチが設置して有るという事はハタキを掛けられる心配は無いという事ですね

まるで図書館の様な本屋さんでした


そして夕食はやはり日本食

私は店頭に飾って有るエビ天ウドンを頼んだはずなのですが・・・

看板に偽り有り、エビは一匹も乗っていませんでした

良い事有りそうな一日はことごとく打ち破られた一日となってしまいました

が、怒るまい


光州(9:20)→全州(10:45)  座席指定 9600ウオン

全州バスターミナル→全州国鉄駅  タクシー 4500ウオン

全州駅(13:46)→論山(14:34)  電車 4100ウオン *(論山→ヨンソン)

日が変わって5月30日

今日は扶余へ行きます

実はここは予定外の場所でした

もう帰国も間近になり調整を兼ねて選んだのが扶余だったのです

ただ交通の便がややこしく太田から行くか全州から行くか迷いましたが

地図を良く見ますとバスの便は途中で途切れますが全州から電車を利用すれば何とかなりそうです

全州まではおよそ2時間半

ここのところ、事故が相次ぐバス、先日も全州行の高速バスがエンジントラブルを起こし煙を出したばかり

無事に行って下さいよと暴走族並みのスピードで飛ばす運転手さんに我が身を託すほかない状況です

でも韓国の人は慣れたもの、完全に熟睡してますね


円形のバスターミナルは覚えが有る様な無い様な

確かバスターミナルの近くに宿をとって全州で歴史的建造物を見学したり

全州を基点に馬耳山や内蔵山に登ったはずだったのに

思い出せないままタクシーで国鉄駅へ行きましたが、此処も記憶が曖昧です




荷物が重いので雄さんと交代でホームに展示された陶器を見に行った時の事です

ついでにホームの端までウロウロしていますと笑顔で側に寄って来た制服の男性

不審者と間違われたかしら

「日本からいらっしゃったのですか?私はステーションマスターです。どちらまで行かれるのですか?」

相変わらず笑顔は絶やさず穏やかな口調でそう言いました

ますます心配になってきました

恐る恐る「論山まで・・・」と返事を返しましたが私は未だ不安

「だったら13:46の電車に乗って下さい」

会話がとてもスムーズにいっている様に見えるでしょうが

実際は韓国語と英語で、もう汗ビッショリだったのです

何時になったら解放してくれるのだろう、こんな時、雄さんが側にいてくれたら

そう思っていますと今度は展示してある陶器の場所を案内すると言うでは有りませんか

断るに断れず着いていきましたが韓国語の専門的な陶器の説明では理解できず

仕方がないので写真の方がこの陶器を作ったのですかとジェスチャーでを交えて聞いたり

秀吉や信長の名前が出たので多分その時代の作品を再現して作ったのだろうと理解したり・・・

そこへ来なくも良いのにもう一人の駅員が加わりました

三人が三人、片言で話しているので、お互い一言 話してはその度にへへへと苦笑い

ともかく「お一人で来られたのですか?」と言う問いにも、それを理解するまで一呼吸が必要でした

あぁもう、ギブアップ

こうなったら無理やりにでも主人の所まで連れて行くしか有りません

隔して一件落着と相成り私達は論山に向けて旅立つ事が出来た訳です

電車の中で、未だ興奮が収まらないでいる私のその一部始終を聞いた雄さん

暫く笑いが収まらない様でした






そんな私を他所に車窓の風景は長閑なもの


論山駅に到着しますと待ち構えていた様にタクシーの運転手さんが寄って来ました

当然、お断りをし駅のインフォで聞いたバスターミナルへと急ぎます


田舎の町なので、それほど大きくは有りませんでしたが

バスターミナルは奥まった所に有る様で中々見つけるのに苦労します

そこへ前方から女性が二人で歩いてきましたので声を掛けますと

「私、日本人です」   これは渡りに船

彼女は福島出身で16年前、扶余に来てそのまま居ついてしまったのだそうです

そう言う位、扶余は良いところなのか 期待が膨らみます




こうして私達は30分間、バスに揺られ無事、扶余の地を踏む事が出来ました


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コメント (4)
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