たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

心に残る思い出の山 新潟・粟ヶ岳 (51)

2020年07月02日 | 心に残る思い出の山

H10・5月

山村集落の佇まいが色濃く残る岩野を通り水源地脇の広い駐車場に着く。 仮眠する雄さんを起こさぬ様、そっと車から出て周辺を歩いた。桜並木を前景にした水源地は三方を山に囲まれ山峡の湖の静けさが漂う。・・(略)・・

最初から細々とした急登の連続だが瑞々しい深緑に囲まれた山道は体中に緑の清々しい空気が浸みこんで来る様な気がして気持ちが良い。そんな中にヤマウツギとヤマフジ競い合う様に咲いていた。 ワラビも出始めたのか前を行く土地の人は山道を外れて藪の中へ入って行く。

鉄製の梯子登りを繰り返し尾根に出たが傾斜は一向に衰えず尚も苦しい登りは続いた。標高を示す立札が要所要所に在るので勇気づけにはなるが、そこからガクンと下がる所も有ったりで「また○○mまで戻ってしまった」とガッカリ。ガスは登山開始時よりも更に濃くなった。

・・・この写真を見た途端、吹き出されるのだろうなと思いながら。ネズミ男みたいだもんね・・

泣きそうな空は終に敗れ展望台手前でとうとう雨が降り出した。晴れていれば此処で粟ヶ岳との劇的な対面が出来るはずなのに今は無情の雨。 目に入るものは雨に打たれる木々ばかりだ。 気象庁の裏切りは慣れっこだから今更どうと言う事もないが遥々やって来た身には税金の無駄遣いと一言いいたくなる。

こうなればケセラセラ、天候の回復に望みを賭け泥だらけの鎖を掴み赤土に滑り、ただ足元だけを見つめひたすら小屋を目指した。 この登りは実際、辛かった。椿とタムシバが頑張って!と励ましてくれる事だけが唯一の慰めだった。

「山小屋だ!」雄さんの声に顔を上げるとガスの中に粟ヶ岳ヒュッテが浮かんだ。  濡れたポンチョを脱ぎ暫くボーッと時を過ごしていると登山者が続々到着し狭い小屋は席の譲り合いになる程。 あちこちから天気予報の外れを恨む言葉が発せられた。

雨が小降りになると天気待ちの人達がぼつぼつ小屋を出て行った。私達も意を決して小屋にザックを置き空身で頂上へ向かった。

深緑の雑木の下に見事なまでのカタクリの群生に足が止まった。その一つ一つが雪渓を通して吹き上がる微かな風に震える様に揺れている。 タムシバは露に濡れて重たげにうなだれていたので、それを指先で払うと花弁を持ち上げるや力強い白さが戻った。

一汗も二汗も掻き登り付いた頂上は粟薬師方面から登りあげた登山者と共にかなりの賑わいだった。 何時の間にか雨は止んでいたが依然 濃いガスが取り巻いている。360度の大展望は方位版が物語るだけだ。

展望を諦めた登山者はみなザックを開けてランチタイム、隣では登りながら採って来た根曲がり竹で楽しそうに料理教室  ザックをデポして来た私達は寂しくウエストポーチに入れて来た飴玉を口に含んだ。

下りに掛かり振り向けば相変わらずボンヤリとした粟ヶ岳しか見えず雪渓に一人山頂を目指す登山者の姿が確認されるのみ。  更に下り未練がましく再び振り返ればガスが流れてそこに粟ヶ岳が姿を・・・

ヒュッテに戻り中で地元の方と話をしていると「奥さん、白山がみえましたよ」と外から声が掛かった。慌てて靴ひもを締めるのももどかしく外に出てみると北方向、ちょうど目の高さに、こんもり盛り上がったハクサンの姿が顔を覗かせていたではないか。

天候は徐々に回復の兆しを見せ反対側には八木鼻あたりだろうか、田植え間近な田がモザイク模様で浮き上がり帯状の先端を袴腰山の麓まで伸ばしていた。

1時30分、ヒュッテを出発。展望台に着くと天気はすっかり回復し青空の下に粟ヶ岳が急峻な立ち上がりを見せた。私達が歩いた尾根道や小屋からの下山道も一望だ。体を回せば下方にはウネウネと蛇行する加茂川が群色に光っている。そして何よりも嬉しかったのは、ドッシリトした守門岳の銀嶺がふっと浮かび上がった事だった。 此処に来て漸く穏やかな心地になった私達はコーヒーを沸かしゆっくり味わったのでした。

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                      八海山と中ノ岳・兎岳    金城山・巻機山・尾瀬燧      大源太山  谷川連峰

帰路、峠を越えた時に思いがけない風景が広がった。まさに大パノラマ、塩沢と六日町の上に雪を纏った上越の山々が神々しい姿を見せたのだ。

写真では薄ぼんやりしていて判り辛いですね。肉眼では山の襞まで確認する事ができました。