たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

 定林寺址と国立扶余博物館

2014年10月17日 | 韓国
扶余(9:20)→バス→天安(11:15) 7700ウオン
天安→タクシー→湯陽温泉     4500ウオン

定林寺址は私達が宿泊している「アリラン」の近くに有ります

宮南池へ行った時、扶蘇山城へ行った時に必ず目に留まる寺ですが

中に入ってまで見学するほどでもないかなと何時も素通りしていました

今日も博物館へ向かいながら塀越しに眺めただけの定林寺となってしまいました




寺の庭に建つ五層石塔は現存する石塔の内1500年を守って来た最古の塔だそうです

説明に寄れば

木造塔から石塔へ移り変わる初めての様式で比例と構造手法に優れ

軟らかくて温和な百済文化のイメージがそのまま表れているのが感じられる

そう書かれています




博物館は寺址から歩いて10分くらいの所にあります

今日も僅か10分が一時間に思えるほどの暑さでした

観光に雨は困りものですが、こう日照りが続くと日傘をさしている人が恨めしくなります

博物館のメピョソへ行きますと「入場料は入りません、どうぞ見学して下さい」

最初その意味が分かりませんでしたが博物館の本館は8/4迄 工事中で分館での展示だったのです


この胸像は百済聖王です


次の仏像二体は金銅観音菩薩立像と金銅菩薩立像




装飾品なども有りました、博物館の目玉でもある金銅大香炉は撮影禁止だったのが残念






そして私にとって興味深い和楽器

私の使用する筝とは弦の数も地の形も大きさも全く違いますが

一体、どんな弾き方をするのでしょう、どんな音を奏でるのでしょう

一度、聴いてみたくなりました






本来の展示物の主だった物だけしか見る事は出来ませんでしたが来た時期が悪かったと諦めるしかありません

博物館の前の休憩舎で休んでいますと、同じく涼をとるために そこに現れた学生二人

「ヨギソヌン シウォン ハニカ シュイチャ」と言った二人の言葉を雄さんが

「ここが涼しいから休もうか・・・だって・・・」と私に和訳したのが聞こえたのか

綺麗な日本語で「日本から来られましたか?」と話しかけてきました

彼等は現在、大学生で百済の歴史について論文を書くために此処を訪れたのだそうです

8月まで工事中で展示物が僅かしかない事を伝えると残念そうでしたが/font>

一時間余り私達と話をすると爽やかな笑顔を残して分館に向かって行ったのです




明けて6月1日

扶余を後に天安(チョンアン)から湯陽温泉(オニャンオンチョン)に向かいます

今日は暑さも和らぎ薄い上衣が必要な一日でした

公州(コンジュ)に入るとバスは交通会館という建物に向かいハンドルを切りました

そしていきなり客を乗せたまま洗車を始めたのです

こんな事って日本では有り得ない事ですよね




この街が天安です

ここは交通の要所で有り温泉を控えている事もあり昔から賑わいを見せた街だそうです


私達は天安バスターミナルで下車したあと湯陽温泉行のバスに乗っても良かったのですが

天安バスターミナル周辺で温泉は無いかと歩き回ったため(実際のところ天安は温泉地では無かった)

疲れてしまった為、タクシー利用で温泉に向かう事にしました

行先は決して見栄を張った訳では無く一番有名な「湯陽観光」しか分かりませんでしたので

そう告げると御丁寧にも門を潜り玄関横づけされてしまいました

この写真が湯陽観光の門です


チョット哀れっぽく此処を辞し温泉を探す事にしましたが

前回のトンネ温泉でも、そうでしたが日本の様な温泉場特有な雰囲気が有る訳では有りません

そこで探したのが、このハリントンホテル

面倒臭いので此処に決めてしまいましたが此処は温泉ホテルでは有りません

この女性、英語も日本語も堪能で明るく親切で帰りのリコンファームまで引き受けて下さいました




荷をほどき「イ・スンシン」の生家が有る顕忠祠へ向かいますが、それは次の項で

こちらは湯陽温泉駅

駅前にはセオウル号の遭難者を悼んで黄色いリボンが風になびいています



セオウル号の遭難者の冥福を祈っています

待ってるから力を出して下さい

必ず戻れますからね




話題をちょっと変えます

この写真はバス停の所にかかっていた稲の“はざ掛け”を写した物ですが

お国柄で天日干し方法の違いに興味を魅かれました



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扶蘇山城(プソサンソン)  扶余

2014年10月14日 | 韓国
今日は日本と関わりの深い百済の歴史を尋ねます

昨日、行った宮南池は市街地から南の方角ですが山城は北側の小高い山です

今日も暑く外気温は37.4度

昨日の日本からのメールでは2名の死者が出てしまったのだとか

ここ韓国は湿度が低いのが取り得ですが、それでもアスファルトの照り返しがきつく汗が額に滲みますが

タクシーを使う程の距離では有りません

城門を潜り先ずは三忠祠(サンチュンサ)へ向かいます

ここには百済最後の王の暴挙を諌めた

成忠(ソンチョン)・興首(ホンス)・階伯(ケべク)の三忠臣が祀られています

これは世界史で学ぶところですが

新羅と唐の連合軍に攻撃された百済に加勢したのが日本軍だったのですよね

でも、一旦は退いた連合軍に再び攻められ結局、大敗してしまいます

日本でも高名な蘇我氏は実は百済から亡命した貴族で

この事は戦争を含めて日本書紀に記録されている事実です






ここは街の喧騒も無く緑陰の涼しさに一気に汗が引きましたく

松林に変わった坂道をゆっくり登り石垣だけが残る軍庫址(だと思う)を見た辺り

松の実を探して忙しなく動くリスを見つけました

お願いだから少しジッとしてといった私の想いが通じたのか・・・




この建物は・・・ちょっと分かりません


そして此方はは迎日楼(ヨンイルル)と言い

王や家臣達が朝日を拝し繁栄を祈った場所だそうです


この先、幾筋も走る道に何処を歩いているのか分からなくなってしまい

前から走ってきた男性に百花亭への道を尋ねますと「私が案内します」

話に寄りますと男性は毎日ここでジョギングをしているのだとか

“それでは毎回、わざわざ入場料を払って運動にきているのかしら・・・”そんな疑問が湧いてしまいます

そんな事で好意を有り難く受けた私達でしたが

とにかく付いていくのがやっと

何で韓国の人はこうも歩くのが速いのでしょうかね






半月楼(パンウォルル)に上がってみますか?と仰ったので、ようやく一息つく事が出来ました

此処はとても眺めの良い場所で眼下に白馬江(ペンマガン)と扶余の街並みが一望です








再び早歩きの始まりです

売店を見つけた雄さん「ジュースでも飲みますか?」

そこで自販機に向かいお金を入れようとすると「私が買います」と男性

こちらは案内をして頂いているので

「そうはいきません」と言いますと「いいからいいから」

そんな押し問答が続きましたが結局、ご馳走になる事になってしまいました

毎日、ここをジョギングしているせいか売店のアジュンマとは顔見知りの様で

私達も会話に加わり楽しい一時を過ごしました

この梅ジュース、済州でも飲みましたが中々です




ようやく目指す落下岩上に建つ百花亭が見えてきました

ここには百済滅亡をを知った官女たち約3千名が

節操を守る為にこの落花岩から白馬江に身を投げたという悲話が語り継がれ

今でこそ何事も無かった様に静かに流れる白馬江ですが

当時は落花岩も川の水も<血で染まったと言われています/font>






お母さんが愛情込めて作ってくれたお弁当なんでしょうね

幸せそうな子供たちの笑顔です


「ここから急坂を下りますと皐蘭寺(コランサ)という寺が有ります」

そう言うと男性は道無き雑木の中を駆け上がっていきました

教えて頂いた道を下り寺に着きますと本堂から僧の読経が聞こえています

場所によっては録音された物をスピーカーで流している寺も有りますが此処はライブ

こうでなくてはいけませんよね

今までの早足が祟ったのかベンチに腰を下ろすと一気に汗が・・・

側に有った売店で団扇を二つ購入しましたら耳かきを二つサービスしてくださいました






直ぐ側の御堂では熱心な信者が祈りを捧げています

こんな所をカメラに納めるのは罰当たりでしょうか




ちょっと心が咎めましたので御神水で清めて・・・っと


身を清めたあと白馬江を覗けば今、ちょうど遊覧船が扶余に向かうところでした



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ハス池・宮南池(クンナムチ) 扶余(プヨ)

2014年10月12日 | 韓国



今日は市街地の外れに有る宮南池を散策です

インフォで頂いたパンフレットに寄りますと

韓国最初の人工庭園で634年、宮の南側に池を掘って柳を植え真ん中には島を造ったと記録されており

百済の路子工は日本に渡って飛鳥時代庭園造景技術を伝えたという

蓮華が満開になる7月になると庭園祭りと署童蓮華祭りが開かれる

と記して有りましたが生憎、時期が少し早かった様でハスの花を見る事はできませんでしたが

その代わり水連の優しい花弁が7月の祭りを待つかの様に開花し始めていた事は幸運でした












こちらはコウホネですね






花に見とれて気が付きませんでしたが、よく見ればメダカが泳ぎバンが泳ぎ

トルコ石色をしたトンボが群れをなしているでは有りませんか






それらを私達と同じ目線で見つめる猫の目的は別なのでしょうか

単に日向ぼっこと思いたいですね


とにかく驚くほど広大な面積です

今は緑一色の世界で、それはそれで そぞろ歩くには持って来いなのですが

やはり花(ハス)が咲いていた方が良いのに決まってる









小学生の課外授業でしょうか

こういう風景は微笑ましいものですね




中州で休んでおりますと後ろからご婦人方の賑やかしい声が聞こえてきました

葦の葉影から覗きますとお祭りに向けて枯れた葉の除去作業をする作業員の声でした

偶に大きな笑い声も聞こえます

どんな話をしながら精を出しているのでしょうね




今日も暑い一日です

木陰を求めてセンスを傘代わりに歩いていきますと

柳を揺らす風を受けて寛ぐ姿があちこちの東屋で見受けられました

私達も東屋でしばし風に身を委ねる事に致しましょう




池には島が造られておりまして、古人も遊興に耽ったで有りましょう休憩舎が広大な敷地を引き締めています










一日、たっぷり遊んだ宮南池

何時の間にか陽が西に傾いていました

池に差し込む光は、まるで私達を遠い百済の時代に誘う(いざなう)ようです

そうした時間をもう少し楽しんでみるのも良いかもしれません

私達はもう一度、ハスの迷路に足を踏み込む事にしました


宿に戻る道すがら、おや何て可愛い子犬

雄さんの足元にじゃれ付き離れようとしません

道路の向こうではもう一匹、路駐の車の陰で熟睡

この辺りでは放し飼いしても構わないみたい


残照に浮き出たケぺク将軍の像が見送られて帰った宿までの30分

いい一日でした




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暑さに負けた光州の一日

2014年10月09日 | 韓国
ここのところの暑さは殺人的です(5/29)

今日は芸術村と国立博物館を予定していましたが結局、暑さに負けて芸術村のみとなりました

光州バスターミナル前~芸術村 (39番のバス 2400ウオン)

宿を出、大通りに向かいますとバスターミナルをグルリ一周 タクシーが列を作っていました

その数たるや東京ドーム程の面積を持つターミナルですので

一体、何代のタクシーが客待ちしているのか夥しい程の台数です


先ずは通りに面して建つインフォメーションに足を向けます

「今年はセオウル号の事故の関係で催しが自粛されてご迷惑をお掛けして申し訳けございません

芸術村へはこの直ぐ前の停留所から36番と09番が出ていますが

09番の方は少し歩いて頂く事になります・・・etc・・・」

今日は昨日の役に立たない女の子とは打って変わった親切な対応の女性でした

今日は何か良い事が有りそう 一日の始まりが気持ち良いと、そう思えてきてしまいます

果たして・・・・・・・・・・・


車窓からこんなお店を見つけました

一目瞭然 分かりますよね


30分は乗っていなかったと思いますが何とか無事、芸術村へやって来ました

芸術村と言うからには街中が博物館みたいなのかしら?と期待に胸を膨らませ路地に入りますと

数件の陶器を扱ったお店と額縁屋さんが並んでいるのみ

後は何処でもみられる街の風景でした

これでは、バスの窓から眺めたヤカン屋さんの方がアート的存在価値が高かった・・・わねぇ

それでも望みを捨てず私達は汗を拭きながら歩きます

一見の骨董品店を見つけました

無造作に日本人形が置かれていたり山の様にガラクタが積まれていたりでしたが

その中で自然の艶が出ている一つの木彫り人形に目が留まりました

店主に値段を問いますと25000ウオンとの事

それを18000ウオン(日本円で1800円位)にして頂き家の土産としました




少し先の客の入りの良い食堂が今日の私達のお食事処です

芸が無いと笑われそう

私が頼むものは何時もこんな物です

まぁ、海外生活は絶対 無理でしょうね






こうしたアーケード街もほんの僅か

強烈な日差しが照りつける中を歩いて行きますと右手に見つけました

民主化に向けて学生運動が勃発したその記念館

入って良いのか悪いのか分かりませんでしたが門を潜りますと

人の姿もなく只、静まり返るばかりの施設でした




川を渡り尚も進みます

おや?この家

大分、荒れてはいますが文化財に指定されそうな民家

?先生生家と有りましたから名の有るお方の建物だったのでしょう


それにしても暑くてどうかなりそうです

近くの高台に公園が有りましたので一時の涼を求めて逃げ込みました

霞む市街地を見下ろす公園で汗を静めながら、どちらともなく「今日はもう帰ろうか」


今日は結局、木彫りの人形を手に入れただけ

暑さに負けてターミナルに戻りますと本屋さんでは立ち読みならず座り読みの客が一杯

ベンチが設置して有るという事はハタキを掛けられる心配は無いという事ですね

まるで図書館の様な本屋さんでした


そして夕食はやはり日本食

私は店頭に飾って有るエビ天ウドンを頼んだはずなのですが・・・

看板に偽り有り、エビは一匹も乗っていませんでした

良い事有りそうな一日はことごとく打ち破られた一日となってしまいました

が、怒るまい


光州(9:20)→全州(10:45)  座席指定 9600ウオン

全州バスターミナル→全州国鉄駅  タクシー 4500ウオン

全州駅(13:46)→論山(14:34)  電車 4100ウオン *(論山→ヨンソン)

日が変わって5月30日

今日は扶余へ行きます

実はここは予定外の場所でした

もう帰国も間近になり調整を兼ねて選んだのが扶余だったのです

ただ交通の便がややこしく太田から行くか全州から行くか迷いましたが

地図を良く見ますとバスの便は途中で途切れますが全州から電車を利用すれば何とかなりそうです

全州まではおよそ2時間半

ここのところ、事故が相次ぐバス、先日も全州行の高速バスがエンジントラブルを起こし煙を出したばかり

無事に行って下さいよと暴走族並みのスピードで飛ばす運転手さんに我が身を託すほかない状況です

でも韓国の人は慣れたもの、完全に熟睡してますね


円形のバスターミナルは覚えが有る様な無い様な

確かバスターミナルの近くに宿をとって全州で歴史的建造物を見学したり

全州を基点に馬耳山や内蔵山に登ったはずだったのに

思い出せないままタクシーで国鉄駅へ行きましたが、此処も記憶が曖昧です




荷物が重いので雄さんと交代でホームに展示された陶器を見に行った時の事です

ついでにホームの端までウロウロしていますと笑顔で側に寄って来た制服の男性

不審者と間違われたかしら

「日本からいらっしゃったのですか?私はステーションマスターです。どちらまで行かれるのですか?」

相変わらず笑顔は絶やさず穏やかな口調でそう言いました

ますます心配になってきました

恐る恐る「論山まで・・・」と返事を返しましたが私は未だ不安

「だったら13:46の電車に乗って下さい」

会話がとてもスムーズにいっている様に見えるでしょうが

実際は韓国語と英語で、もう汗ビッショリだったのです

何時になったら解放してくれるのだろう、こんな時、雄さんが側にいてくれたら

そう思っていますと今度は展示してある陶器の場所を案内すると言うでは有りませんか

断るに断れず着いていきましたが韓国語の専門的な陶器の説明では理解できず

仕方がないので写真の方がこの陶器を作ったのですかとジェスチャーでを交えて聞いたり

秀吉や信長の名前が出たので多分その時代の作品を再現して作ったのだろうと理解したり・・・

そこへ来なくも良いのにもう一人の駅員が加わりました

三人が三人、片言で話しているので、お互い一言 話してはその度にへへへと苦笑い

ともかく「お一人で来られたのですか?」と言う問いにも、それを理解するまで一呼吸が必要でした

あぁもう、ギブアップ

こうなったら無理やりにでも主人の所まで連れて行くしか有りません

隔して一件落着と相成り私達は論山に向けて旅立つ事が出来た訳です

電車の中で、未だ興奮が収まらないでいる私のその一部始終を聞いた雄さん

暫く笑いが収まらない様でした






そんな私を他所に車窓の風景は長閑なもの


論山駅に到着しますと待ち構えていた様にタクシーの運転手さんが寄って来ました

当然、お断りをし駅のインフォで聞いたバスターミナルへと急ぎます


田舎の町なので、それほど大きくは有りませんでしたが

バスターミナルは奥まった所に有る様で中々見つけるのに苦労します

そこへ前方から女性が二人で歩いてきましたので声を掛けますと

「私、日本人です」   これは渡りに船

彼女は福島出身で16年前、扶余に来てそのまま居ついてしまったのだそうです

そう言う位、扶余は良いところなのか 期待が膨らみます




こうして私達は30分間、バスに揺られ無事、扶余の地を踏む事が出来ました


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無等山(ムドゥンサン)縦走

2014年10月06日 | 登山
続き

チャンプルチェ(休憩舎)を12:10 野バラの香りのする登山道を

立石台(イプソクテ)に向かい歩を進めます




休憩舎から僅か7分

目の前に立ちはだかった巨大な柱を何と表現したら良いのでしょうか

その高さとダイナミックさに私達は只々言葉も無く見上げるばかり

決して人為的ではない 正に自然が作り上げた造形なのです

学生時代に学んだ柱状節理の成り立ちを思い起こし遠い白亜紀に想いを馳せながら

暫くはここから離れられずに写真を撮るのも忘れ只、呆然と立ち尽くす私達でした




この後も奇岩が続く気持ちの良い山道を辿りますと

まるで行く手を阻むように一枚岩が立ちはだかりました

これも白亜紀の遺物なのでしょう

名称は「昇天岩」

激しい噴火活動により流れ出た溶岩がそのまま固まったものと思われます

それがそのまま登山道、後世に残す遺産の上を土足で踏み込んで良いのかしらね




ずっと稜線歩きなので景色は勿論の事、流れる風が心地よく鼻歌交じりの散歩と言った感じが続きます

写真では平らな石畳に見えますが結構な登りでしたけどね




行く手に綺麗な三角錐の仁王峰が見えてきました

スクッと立ち上がる様は何と気品に満ちた姿なのでしょう

高い所でも1200mの高さしか無い山で有りながら、雄大さと奥深さを感じる山域です


12:45 瑞石台(ソソクテ)到着しました

稜線沿いにこの山の神髄である仁王峰・地王峰・天王峰が並んでいますが

こちら側からは柵が有り縦走する事は出来ません

建物らしきが見えましたので登山口を変えれば

あの山の一つの頂位は踏む事が出来るかもしれませんが、どうなのでしょうか??


私達は進路を西に取りここから樹林帯を下りにかかります

途中、ソソクテの展望台が有りました

この柱状節理は下の休憩舎から見上げた左側の岩で先ほど頂を踏んだソソクテから落ちています

イプソクテ同様、迫力ある立派な崖でした

「日本からきましたか?」

見れば多分、私達と同年齢と思える御夫婦でした

今までもそうでしたが日本を訪れた事のある韓国の方は、こうしてよく声を掛けてくれます

別れ際、奥様お手製の山葡萄のジュースを半分分けて下さいました

お水が少々乏しくなってきていましたので有り難く頂戴しましたが

貴重な水分、あの御夫婦は大丈夫なのかしら

そう思いながら口に含むと仄かな渋さ・・・美味しかった~~




再び樹林帯に入りガンガン下る足元にこんな愛らしい花を見つけました

この時期、花木が多い中、嬉しくなってしまいます






足をガクガクさせながら下って行きますと其処は分岐点

左へ行けば学生達が居た休憩舎、そのまま進めば中峰(チュンポン)です




「何だか凄く遠そう」と思っていた道も思った程では無く10分で中峰に登りあげる事が出来ました

(私の後方の峰はたった今、登ってきたソソクテです)




中峰は気持ちの良い丘といった感じ 13:50

ずっと歩き詰めでしたので、ここは腰を落ち着かせて心地良い風と戯れる事に致しましょう

(写真→中峰よりソソクテを振り返ります)




15分ばかりの時を過ごし急な石畳の道を下りますと前方に又、奇岩が見えてきました

山の向こうには光州の市街地も見えています

今日は中国からの黄砂が流れ来ている様でこの通りボンヤリした光州市街地でした






無等山は何処までも楽しませてくれる山です

近くに有ったらホームグラウンドにしたい様な山です

疲れたら豊富にある石が椅子代わりになってくれるので何処でも休めますしね






お馴染みの膝に優しい階段が出てきました


チュンモリジェ(登りで水場が有った所)がもう少しという所で

休憩舎に居た学生たちがゾクゾクと降りてきましたので私達は通り過ぎるまで休憩

目を上げれば真っ白な花が頭上を覆っていました


チュンモリジェからは別のルートを下る事にしました 15:20

景色が違えば下りの辛さも多少は軽減します

結構な時間を歩いて、ふと見れば欅の木 登りで給水休憩をとった場所です16:05

ここで、しばしの休憩を取り見覚えのある道を證心寺に向かいました


下山 16:35




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