H10年4月
8時間55分(歩行→6時間46分 休憩→2時間09分)
-(略)-
日航機墜落事故の御巣鷹の尾根を目指して立派な道路の工事が進められ地形が全く読めなくなってしまっていた。それでなくても上野村は開発の波に押され「日本のチベット」と言われたその言葉も今では色褪せ始めているのだ。だが近々無くなるであろう浜平鉱泉とひっそり佇む数軒の民家の在るこの辺りは未だまだ秘境と言う言葉がピッタリの場所であった。
糸を垂れる太公望を見ながら先ずは神流川に掛けられた吊り橋や木橋を渡り僅かに芽吹きの始まった谷あいを行くと20坪あるか無いかの空き家が在り(写真・右上に屋根が見える)建物の前には「ここで大便をしないで下さい」という立札が立っていた。雨戸も障子も壊れ大分、荒れているが環境の良い場所であった。
いつしか登山道は沢に沿う様になった。水量は多くないが沢床の石や丸木橋はツルツルと滑りやすい。 そろりそろりと右岸、左岸と渡り返しながら徐々に高度を稼いでいく。 周辺は何処にも人工林は無く自然の表情を豊かに見せる雑木林に覆われている。
左に大岩を見ると流れも細くなり、いよいよ傾斜が増し一歩一歩がそのまま高度に換算できる登りになった。 初めの内は傾斜を埋めるハシリドコロを眺める余裕も有ったが次第に会話する余裕すらなくなってしまった。 しかし「今、足を止めたら折角ローギアーで動いているエンジンが止まってしまう、頑張れ!」そう言い聞かせながら緩みない登りに歯を食いしばって耐えた。
そして遂に稜線に登りあげた。途中、笹道を通りダニを払い落した場所も有ったが弘法小屋までは先ほどとは打って変わって緩勾配 時折り遠くから聞こえてくるキツツキのドラミングに耳を澄まし薄っすらと緑に染まる山々に安らぎを感じての尾根歩きだった。
先ずは弘法小屋から一峰を越える
二峰目越え
岩の間を登って左に回り込み、もう一度 登って祠の在る三笠山山頂(シモヤツウチグラ)に到着。 誰もいない。 静かな山頂だ。
目の前に谷を隔ててまるで競い合う様に諏訪山が岩頭を振り立てている。目を右に転じると御座山(おぐらやま)が有り、既に林道が尾根まで伸びている御巣鷹山も有った。 あの事故から何年、経ったのだろう。 麓の上野村には立派な慰霊塔が建ち咲き誇る花々の中、大きな観音像が置かれている。
僅かに咲いているヤシオツツジを見ながら日陰に入ってゆっくり昼食をとった。此処は断崖の上、眼下に浅緑の樹海が広がり、その上に以前歩いた稲含山(いなふくみ)や両神山、二子山、未踏の天丸山、神の祟りを書いた小説「オコゼの空耳」で知られる中里村の諏訪山等々が波打っている。
遠望は霞が掛かり今一で有ったが疲れもピークに達し惰気を催しそうな三笠山頂での憩い「諏訪山頂はどうでもいいわ」 「エッ!ここまで来て登らないのか」今日も快調な雄さんは目を丸くした。
ここから諏訪山へは一旦大きく下ってまた登り返さなければならない。先ずこのコース一番の難所の岩場を降りた。綱は全体重をかけたら切れてしまいそうな頼りない物で足の支えになる木もグズグズ。 下を見れば深い谷、気の抜けない岩場の下降だった。 無事岩場を降り切り鞍部まで尚も下る。道が穏やかになったと思ったら今度は急登が始まった。何時だったか山好きのN氏が西上州の山は桂林の風景に似ていると言っていた言葉が思い出されたが、とにかく登ったり下ったりの気忙しさだ。
右に小さな祠を見ると山頂はその直ぐ奥 木立に囲まれて展望は無い、が満足感は有った。
三笠山へ戻ると私達より幾らか齢を重ねが夫婦が休んでいた。私が此処へ着いた時と同様「ここまででいいか」と諦めモードだ。 私達も岩に腰を下ろしコーヒーを味わい、もう一度のどかな風景を堪能して一足先に山頂を下った。
今日はバカに靴に足先が当たる。沢に着くやザックを下ろし靴を脱ぎすてて水の中に入った。水温は一分と立たない内に痺れてしまうほど冷たかったがお蔭で、その後は痛みをこらえる事も無く途中、空き家の傍らに名残の椎茸が有るのを見つけ少しばかり戴き無事、神流川に辿り着いた。
入山から下山まで休憩を含めて約9時間、長い道のりだった。
帰路、車窓には薄緑に膨らむ木々の芽や山桜の花が霞の様に、長閑でホッとする景色が何処までも続いていた。春は山も山村も素晴らしい!