たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

井伊の赤ぞなえ

2020年11月25日 | 紅葉

下田邸の紅葉は長野氏滅亡後、箕輪城主を務めた武将・井伊直政の軍勢になぞらえて「赤ぞなえ」とも言われております。

周囲に溶け込む様にデザインされた自衛隊服と違い敢えてこの様に目立つ甲冑に身を固め戦に臨んだのは逃げも隠れもせず勇ましく戦う戦国時代の精鋭の象徴色だった様です。

今日(昨日)、外科へ行く用事が有りましたので帰りがけ下田邸の紅葉の様子見に寄って見ました。 ここ2日ほど少々強めな風が有りましたので、もしかしたらと思ったのが大当たり、木々の紅葉と敷モミジで、まさに赤ぞなえの様相でした。

 

蹲に はらりと落ちた欅の葉

 

池もたくさんの落ち葉で埋まっています

 

 

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(続)小楢山

2020年11月24日 | 心に残る思い出の山

続き

出だしの階段登りを終えると道は下りとなり標高は完全に峠より下がってしまった。旧道と新道の分岐点(行程のほぼ中間点)に来て漸く尾根の取りつきに入った。それも一気に高度を取り戻すかの様な急な登りだ。

一面ススキの斜面を朝露に濡れながら喘ぎ登る途中、左手にドッシリと構えた金峰山が見えて来た。五丈岩も大きく指呼の間である。後方には甲斐駒ケ岳と鋸岳も青い山体を木の間に覗かせている。幕岩からの展望の期待が一気に高まった。

稜線に乗ると急な登りも一服し嫌な笹道を急ぎ足で通過すると間もなく、傍らに朽ちた四角い水槽が有る一杯清水に出た。以前は飲み水に使用されていた様だが今はとても飲める状態では無く又、飲む気にもなれない。此処から先は明るい樹林帯となり秋を告げるアザミ、マツムシソウ、リンドウ等々が疎らに道を彩っていた。

やがて樹林を抜け夢窓国師が歩き廻ったと言う開放的な錫杖ヶ原に着くと展望もにわかに広がり再び金峰山が姿を見せた。左隣には八ヶ岳が美しく南アルプス群は山ひだがクッキリと、まるで屏風の様に連なっている。

何よりも私達を驚かせたもの。それは空の青を背景に、くっきりと浮かぶ富士山。秀麗という言葉は富士山だけにのみ有る様なそんな想いを抱かせる姿だった。

南アルプスの連なり

今年は雨が多かったせいか山頂から幕岩までの道はキノコのオンパレードだった。雄さんはさっそくハナイグチを採取。途中、小さな岩峰を超えれば、いよいよ この山のハイライト、幕岩が待っている。 幕岩は恵林寺住職・棲悟宝嶽大師が、この岩峰より旭光が生まれ一日が始まる感応を得た事から黎明岩と命名したと説明書には有る。

幕岩を廻り込んで鎖で登りあげると幕岩の上は意外に広く南側に緩く傾斜するテーブル状だ。しかし取り敢えずゴルジュを登り切った訳で先へ行くには登り切った岩から左側の岩に移らなければならない。其処を繋ぐ幅80㎝位、長さ1m強の渡り岩は角・5㎝位で辛うじて支えられている自然の石橋だ。雄さんは難なく渡って行ったが、この石橋も岩と同様、傾いており下は今、登って来た鎖場 足がムズムズして私にはとても渡れない。 仕方がないので鎖場とは反対側に1mほど降りて、そこから腕力で身体を引き上げ向かいの岩に移った。

この岩の幅は人一人が座れる程度、先端は船の穂先の様に狭まっている。私も岩の上に立ったが高度感が凄まじく長居は無用の岩だった。

小楢山山頂に戻り先ほどの高揚した気持ちを静め昼食・・・『私、未だ興奮が治まらない顔をしてますね』 この時には厚い雲が空を覆い、あれほど良く見えていた山々は何処にもなく私達が「富士山だ」「北岳だ」と興奮しながら見ていた場所には老夫婦が塩山市を眺め腰を下ろしていた。

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登る時よりも急坂のススキの斜面をひとしきり下ると今度は入山時に下った分の登りが始まる。何だか今日はとても疲れた。雄さんは前日、長七郎山を登って来た割に元気だ、きっとハナイグチがたくさんゲット出来たせいだろう。木の階段を下っている途中、樹間にお地蔵さんの姿が見え人の気配がした。

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幕岩から写した大展望

小楢山を前景に乾徳山から始まり八ヶ岳、五丈岩を山頂に戴いた金峰山、そして南アルプスの峰々が其々の姿を、クッキリと浮き立たせ目の前に広がっている。ジッと地蔵岳に目を凝らせば天頂を指しているオベリスクが確認され直ぐ後ろに聳えたつ甲斐駒ケ岳の側面には独特の岩壁の摩利支天も手に取る様だ。

中でもやはり北岳は二位の貫録を持って如何にも誇らしそう。そして振り向けば懐かしい大菩薩連嶺が有り、その右下、塩山市が広がる雲上に一際高く富士山が浮かんでいた。

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心に残った思い出の山 「小楢山」・・・こなら? おなら? (笑)

2020年11月23日 | 心に残る思い出の山

雁坂峠の長いトンネルが開通し今まで山梨県側からでしか入れなかった奥秩父の山がグンと近くになった。「オナラ山でも行きますか」(本当はコナラ山が正式名なのだが私の中にオナラでインプットされてしまっているので中々訂正できない「俺たち夫婦にお似合いかもな」(結婚前、最低限、オナラは互いの前ではしない様にしようと誓い合っていたのだが・・・守れなかった)

PM10時半出発、トンネルを過ぎた料金所で710円を支払いながら道を尋ねたのが悪かった。真夜中で人恋しかったのか待ってましたとばかり明日、行われるマラソン大会から始まって塩沢が巨峰の里である事等など中々私達を開放してくれなかった。

広瀬の町では私は見ていなかったのだが雄さん言うに道路脇の白線内で男性が二人、体を丸めて寝ていたという。

途中、道が二手に分れた所で案内板を見ていると一旦、通り過ぎた車がバックしてきた。見れば未だ10代とも思える女の子。そんな事で道を教えてくれたのは有り難かったが真夜中の1時過ぎの事である。こんな時間、親は心配しているだろうに。

料金所の人と言い、路上で寝ている人と言い親切な女の子と言い山梨県は何か変!

右折して30分ほどで焼山峠の駐車場に着いた。車を降り空を見上げると満点の星だった、こんな素晴らしい星空は八ヶ岳以来である。 シュラフに潜ってからも暫く興奮が治まらず手を伸ばせば掻き集められそうな無数の星を私は何時までも眺めていた。天の川の流れに流星が飛び交う・・・いつしか私は宇宙空間に浮いている心地で眠りの世界へと引き込まれていった様だ。

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目を覚ますと雄さんの姿が無かった。暫くしてハナイグチが凄い数あったと興奮気味の顔で帰って来た。キノコと言えば昨日、赤城へ勇んで出かけたところ収穫ならずと落ち込んでいたが今日はどうやらキノコを追って山を見ずの登山になりそうな予感がする。

これはベニテング、可愛いですねぇ。でも食べると悪魔に変身する怖~いキノコ

登山口には十数体の地蔵が並んでいた。一体の地蔵を借りて一緒に寝ると子宝に授かる、授かったらそのお礼に地蔵を2体にして返すと言う風習がこの地にあったと言う。

 

7・8号と続けて台風が接近しているので心配だったが今のところ影響は無さそうで昨夜の星空と共に今日は天高くの秋晴れの朝だった。 一歩、樹林下に踏み入ると陽射しは強いが吹く風は、すっかり秋の風で登山道脇にはトリカブトがヒッソリと咲いている。

山に関係ない序文で長くなってしまいましたので今日は入山した所で止めておきます。続きますのでコメント欄は閉じました。

 

 

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あの日の友は今?

2020年11月22日 | 心に残る思い出の山

嫁いだ娘さんの病気で山梨へ行ったままのKさん、親に内緒で昼間の内に山道具を車に積み夜中にそっと抜け出して谷川岳に通うと言うヤマキチだったNさん、年賀状のやり取りはするものの御姑さんと暮す様になり自由を束縛されてしまったTさん、 月日が経てば諸事情での音信の途絶えは今までかなりの人数に上る。出会いあり別れありそれが人生なのかもしれない。

Tさん、Nさん、私、Kさん

白駒池を起点に高見石を目指したあの日から何年が過ぎたのだろうか

苔に目の無いNさんは苔の多い八ヶ岳山系に入って目が輝く。随分、種類を教えて貰ったものだ。

高見石小屋、此処へはもう何度きた事か。

 

ヤナギラン

オッ、リスが居た

石が累々と重なる高見石から眼下に起点の白駒池を。ここから眺める白駒池は森の中の瞳の様だ。

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パキスタン・フンザのナジール・サビールさんと。彼は世界でも屈指のアルピニストで有り国務大臣でも有る(日本語堪能)。 今回の来日は登山医学の講習のためだそうだ。 この日はパキスタンの山岳写真やフンザの桃源郷等々をスライドで披露して下さった。会食後は青ちゃん行きつけの山平でお酒を酌み交わし友好を深めた。

雄さんの左にいるのが青ちゃん。「雄ちゃん、俺はもう体がガタガタだ、死にてぇよ」と会えば冗談を言っていた谷川岳の猛者。その彼とも疎遠だ、今は何をしてるだろうか?            引き続きコメント欄は閉じます。

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骨董市

2020年11月21日 | 陶器、磁器

随分前の事です。会社の帰り道、問屋町を通りかかった時に問屋町センターで開催されている骨董市の案内板が目に留まりましたので覗いてみる事に致しました。その時に購入した器が食器棚の整理をしていて出て参りました。

 

 

こちらは黑織部の沓型茶器、何となく気に入ってしまった一つです。銘が無いのが気になりますが絵も悪く有りませんでしたし坐りも良いし・・・もしかしたら玉堂の文字に騙されてしまったかもしれませんが器選びは本人が気に入ったかどうかですよね。

 

 

これは赤絵ですが何とも言えません。元々の絵にもう一度、色を付けて釉を掛け焼き直した様な・・・やはり銘は無し

 

こちらは人間国宝、沖縄の金城次郎氏の猪口です。独特の「次」の銘は間違いないでしょう。 力強い魚やエビをモチーフにしたボッテリと厚く素朴な感じが心情の味わい深い器です。 金城次郎氏の作品と言えば陶芸展で購入した抹茶茶碗が有りますが、この様に出何処がしっかりしていれば心配ないのですが骨董となると余程、目が肥えていないと難しいものです。

この三品の内、どれにしようか迷っておりましたら店主が傍らに来て「御姉さん、お財布に幾ら在るの?」と聞くので「18000円」と応えますと「いいよ、今日、最終日でそろそろ店仕舞いだから三品それで買ってきな」  果たして私は得をしたのか騙されたのか。 でも、今、見ても中々な物に見えますので18000円ならば大きな損はしていないでしょう、と思います。     「コメント欄は閉じます」                

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