マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

待降節第四主日・・・『私は主、それを創造する。』 そして 『主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。』 そして 『世々にわたって隠されて、秘められた計画、「福音」は、今や現わされた。』

2020-12-20 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月21日。日曜日。快晴。

今日は待降節最後の主日。

                     『待降節第四主日』
 
               祭壇上の4本のロウソクに点火されました。

 第一の主日には『悔い改め』の濃紫。 第二の主日は『希望』の薄紫。 第三の『喜び』のピンク。

そして。
今朝9時半・・・
   『イエス・キリスト』の白色『GLORIA]』のロウソクにも点火され、
           イエスが私たち信徒をお迎えくださいました。


第一部:待降節第四主日ミサ

『今日の入祭唱』

     『天よ、露を滴らせよ。  雲よ、正義を注げ。
 地が開いて、救いが実を結ぶように。 私は主、それを創造する。』

         イザヤ書 45章8節


『今日の第一朗読 預言者ナタンの言葉』

    『ダビデ王は  王宮に住むようになり、
   
         『ダビデ像』   ニコラス・コルディエ作品
      在位:紀元前1000年 - 紀元前961年

 主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。

王は預言者ナタンに言った。
「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」
ナタンは王に言った。
 「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」

しかし、その夜、
ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。

    「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。 主はこう言われる。
 あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。


わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。

    主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。」』
          サムエル記上 7章1-16節参照


司祭様の説教。ほんの一部です。
    
      『神の家』=『教会』を建てるのは、人間ではなく、神様なのです。

        教会を、自分たちの力で、建てよう、良くしようと思うなら、
    神様は、ダビデに言ったと同じ『言葉』を、私たちにも言われることでしょう。
      『あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか!』  と。


     『教会』は、私たちの『救い:安らぎ』のために、一番必要な『場所』なのです。

   『教会』=『主の家』は、
      「主のはしためのこの身に、お言葉どおりになりますように』
         マリア様が言われた時から、始まったのです。
   『神の教会』は、
     マリア様のように、私たち教会の構成員が、神に従うようになる時から、
            『主の家』となっていくのでしょう。


    私たちは、
    私たちの『祈りの家・教会』を神様に完成していただくために、
      私たち一人ひとりが、神の御旨を知って、共に行ってまいりましょう。


私は神父様のお話に
深く納得いたしました。
常に謙虚に、
『神の計らい』を尋ね求めたいものです。
           

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

   『皆さん、神は、 わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、
         あなたがたを強めることがおできになります。
この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。

       その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、
      預言者たちの書き物を通して、 信仰による従順に導くため、
      すべての異邦人に知られるようになりました。

   この知恵ある唯一の神に、
   イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。』
  
          ローマの信徒への手紙 16章25-27節


   旧約時代から、ず~と、人々が待ち続けた 神の『秘められた計画』:『福音』 は、    
         『イエスの誕生』  によって、
 
                  目に見える啓示がされたのです。

            
ここから・・・

第二部 


             『クリスマスの黙想会』
 
  
          コロナの感染状況が全国的に拡大しているため
         この冬休みは全国的に『自粛強化』となりました。
  私たちの教会は、信者数がとても多く、外国人信徒も多く、高齢者が多いということで、
       今年のクリスマスミサ(12月24日・25日)が中止となりました。
  今日の『黙想会』で、一年間の信仰生活を反省しつつ、『今年のクリスマス』です。


     『黙想会』の指導者の神父様は、
         私たち信徒が、イエスキリストをお迎えするにふさわしい、
          『悔い改め』 と 『改心』 へと導いてくださいます。
         

『黙想会』での神父様のお話。 一部です。


    『皆様に質問します。
      皆様は、主の御名を、キリストの御名を、
        人との会話で、一週間のうちに、どれ位、口に出していますか?

           家族との会話で? 友人との会話で?

       ほとんど、御名を口にすることはないのではないですか?
   ミサから、一週間後のミサまでの間に、どれ位、神の御名を口にしていますか?


 皆様の信者生活の中心が、イエス様ではなくなっているのではないでしょうか?
     それが、<キリスト者の減少> を招いているのではないでしょうか?



    私たちキリスト者は、
      イエス様を通して、『神』を知り・・・
      イエスの『あがない』があって、『神の子』として頂いたのです。
      イエス様が聖霊を送ってくださったので、
                神様を、『お父さん』と呼べるようになったのです。


   <教会の再生・発展>のためには・・・
       『イエスの光』 が必要なのです。
     『諸国民を照らす啓示の光』 が必要なのです。
      イエスの両親が、その子イエスを主に捧げるため、神殿の境内の入ったとき、
       聖霊からお告げを頂いていたシメオンが言った『イエスの御名・敬称』です。
           ルカ福音書 2章22-35節



       『イエスの到来・誕生』で実現する『神の国の現存』への無感覚が、
         私たち信者の中でも、広がっているのではないでしょうか?


    『神の国』は、イエスの誕生・受難・復活で、すでに来ているのです。
        クリスマスは、
    私たちの心に、『イエス』がお生まれになる時です。
 私たち皆が、『イエス』中心の感覚を、私たちの心に戻す時なのです。


    私たちは、
    私たち一人ひとりが、自分の中におられる『イエス様』を
       聖霊から『知恵』を頂きながら・・・
        人々に伝えてまいりましょう。


今年のクリスマスは
司祭様の誘導で黙想するという
『恵みの一日』となりました。
より『神の到来の意味』を考える機会となりました。
祝賀会もなし。 ケーキもなし。
寒空の馬小屋でお生まれたイエス様に
思いをはせましょう。
 
     
    以上。 待降節第四主日ミサ、クリスマスミサの前倒し? でした。
        おつきあいくださいまして感謝申し上げます。


『今日の祈願』

  『すべての人に愛を注がれる神よ、
 この集いから派遣されていくわたしたちを聖霊で満たしてください。
       主の降誕を心から祝うわたしたちが、
    多くの人と喜びを分かちうことができますように。』

         

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
本当に思いがけないことが起こるコロナ禍です。
自粛を徹底しながら、コロナ収束を願ってまいりましょう。
皆様のクリスマスが恵み豊かな一日となりますように! お元気で!

教会も我が家も暮れの大掃除 そして 天使ガブリエルのお告げ・・・『ザカリアの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』

2020-12-19 20:55:34 | 日々のこと。 世界のこと。
12月19日。土曜日。曇り。

今日は
私は、今年最後の『教会掃除担当日』でした。
コロナ禍の中で
今までの通常の掃除の他に
机と椅子の消毒作業が加わります。


               『イエス様誕生の馬小屋』
 
             教会のクリスマス準備も完了です。

          『教会』は、信者にとってもう一つの『我が家』です。
       今日は、一年分の感謝の気持ちを込めて、教会を磨き上げました。

帰宅後。

              我が家の暮れの大掃除を続けます。
   このコロナ禍で、この経験で自分に問いかけ、自分の生き方も大きく変わっていきます。
         我が家の掃除も、今までの通常の大掃除と大きく変わります。
            ともかく、みそぎというか、断捨離の実行です。 

  断捨離の極意は・・・
      そのものを抱きしめて、”ずーと一緒にいましょうね!” と言えるものは残す
       それほどの思い入れを持てないものは捨てる! だそうです。
              ↑今朝のNHKラジオからの豆知識です。
           なるほどね。 と、抱きしめながらの・・・実行です。面白いです。



そして。

今日は12月19日。御降誕六日前。

『今日の入祭唱』

  『もう少しすると、来たるべき方がおいでになる。
    わたしの正しい者は信仰によって生きる。
わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。』

      ヘブライ人への手紙 10章37&38節  


『今日の福音 洗礼者ヨハネの誕生の次第』

 『ユダヤの王ヘロデの時代、 
       アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。
 
    その妻は アロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。

二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。
しかし、
エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。
さて、
   ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、
祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。
     すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。
 
      『天使ガブリエルがザカリアに現われる』

 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。
天使は言った。
 「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。
      あなたの妻エリサベトは男の子を産む。
       その子をヨハネと名付けなさい。

  その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。
      多くの人もその誕生を喜ぶ。

  彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、
   既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、
 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。

 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、
逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」

そこで、ザカリアは天使に言った。
   「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。
      わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」

天使は答えた。
     「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。
あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。
あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。
   時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

   ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。
   ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。』
             ルカ福音書 1章5-25節


昨日、知り合いの方が、
神様からの素晴しい『恵み』を頂きました。
祖父母も両親もクリスチャンで、当人は幼児洗礼の方です。
信仰は、当たり前のことのように、身に染みてはいました。
ところが、昨日・・・
”これが信じることなんだ!” と、
神を信じる『確信』を頂いたのです。
信仰の『確信』の『瞬間』とでも言えば良いのでしょうか。
正に、聖霊の導きですよね。
彼にとって神様からの『クリスマスプレゼント』でした。

    今日は・・・

          洗礼者ヨハネの父となるザカリアの経験です。
  ザガリアは、主の聖所に入って仕事をしているときに、『電撃』の『瞬間』を経験するのです。

   突然に。

    神の御使いが、ザガリアに突然に現われ、語りかけるのです。
    『あなたの妻エリサベトは男の子を産む。 その子をヨハネと名付けなさい。
       その子は、準備のできた民を主のために用意する。』  と。

   そんな時。

      ザガリアは、
      まずは・・・当然のこととして、天使を見て不安になり、恐怖の念に襲われます。
      次に・・・ 『高齢の妻が身ごもる証拠を見せてほしい』
          ・・・と、『神の言葉』を信用する以上に、自分の思いを優先させたのです。
      天使は、
       『あなたは口が利けなくなり、
             妻の出産の日まで話すことができなくなる。』
                ・・・と。答えます。
        加えて、答えます。
       『話せなくなる理由は、
          「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかった」からである。』 と。

   一方。

      ザガリアの妻エリザベトの反応の『言葉』はこうでした。
       『主は今こそ、こうして、私に目を留め、
         人々の間から私の恥を取去ってくださいました。』
              ・・・と。『感謝の言葉』を述べました。
        
      
ここで私は思い出します。

    ザガリア同様に・・・

    おとめマリアにも天使が現われました。
     『マリア、恐れることはない。あなたは神から『恵み』を頂いた。
      あなたは身ごもって男の子を産む。その子にイエスと名付けなさい。
      あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
           神にできないことは何一つない。』
              と、言われました。
      その時の。
    おとめマリアの天使への『返事』はこうでした。
『どうして、そのようなことがありえましょうか?わたしは男の人を知りませんのに。』
   『わたしは主のはしためです、お言葉どおり、この身になりますように。』
    ・・・と。疑問を持ちつつも、自分の考え優先ではなく『神の御言葉』を信じました。

   同様に・・・

    マリアの婚約者・ヨセフにも、夢の中で、天使が現われました。
     
    ヨセフ様は、
    信じられないような、聖霊による、『マリアの懐妊』を告げられたとき、
        一言も発することなく・・・
       『主の天使が命じたとおりに、妻を迎え入れた。』のです。


      神にあくまで従順なヨセフ と おとめマリアの、
           二人の揺るがない『信仰』により、
         『神の救いの始まり』=『イエスの誕生』
             が実現したのです。



     神様は、『人類の救いの計画』 を、人間の協力を通して行われるのです。
      神は、自分の人類の愛ゆえに、人間と共に、『事』を運ばれたいのです。
         神様は、『神の国』を、人間と共に、実現なさるのです。


         祭司ザカリア と 年老いた妻・エリザベト 夫婦
      
         大工ヨセフ と 婚約者・おとめマリア 夫婦
  
           この2夫婦の違いは何でしょう?
司祭ザカリアは
  自分の知識が邪魔をして、最初の反応は、疑い と 恐れでした。
              『神の御言葉』に身を投げ出すことができないのです。
  一方。
大工のヨセフの他の三人は
  自分の弱さを知りながら、素直な心で、『神の言葉』に『希望』をかけました。
              『神の言葉』に『自分の人生』をかけたのです。
           

私たちも、
神から、いつも、声をかけていただいています。
神から、いつも、呼ばれているのです。
昨日、私の知り合いが、神に『恵み』を頂いたように・・・
私たちも、『神の恵み』に気づいて・・・信仰を深めて、
『神の呼びかけ』にジャンプいたしましょう。承知いたしましょう。
そして、微力ながら、『神の救い』に協力できるといいですね。               


『今日の祈願』

  『全能の神よ、
 主の降誕を待ち望むわたしたちが、
   近づく救いの日を清い心で迎えることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は、待降節最後の主日です。 いよいよ『4本のロウソク』が灯ります。
明日の後の4日目には、いよいよ『イエス様の誕生』ですね♡♡  お元気で!  

『コロナ禍陣中見舞い』・・・五つ星兵庫限定商品・・・『うの花すし』 そして 『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』

2020-12-18 11:00:00 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。
12月18日。金曜日。曇り。

ご近所さんから
『コロナ禍陣中見舞い』

                 『うの花すし』
 
      『播磨 但馬 丹波 摂津 淡路 五つ星兵庫限定商品』

       ”外出もままならない毎日・・・墓参りの帰りに買ってきましたので・・・。”    
            お向かいさんから『陣中見舞い』を頂きました。

          『五つ星兵庫限定商品』 の存在は知りませんでした。
              『うの花すし』も初めてです。

 『大正十年の創業以来、親子代々で美味しいものを提供したいという一心で店の味を守り続けています。
  身近な食材で美味しくお腹一杯お寿しを食べてほしい、
        そんな思いで、先代が考案した創作寿司が 「うの花ずし」です。
  味の決め手華美な装飾はありません。
  卵と出汁で6時間かけた炊いたうの花に地元でとれた鯖を塩と酢で処理するだけの素材を活かしたお寿司です。
  鯖のにぎりの上に上品な甘さでやさしい口当たりの「うの花」をふんわりと化粧しております。
         ぴりりと効いたからしが決めてです。』
           『寿し竹』さんの言葉より


       なるほどね。 『うの花』って『豆腐のおから』ですよね。
        ご近所さんの『優しい心遣い』 が身にしみます。
        勿論おいしくて、めずらしく・・・おいしい昼食となりました。
                    感謝!感謝!


そして。

今日は12月18日。御降誕七日前。

『今日の入祭唱』

   『ヨハネが「神の子羊」と告げ知らせたかた、
    わたしたちの王、 キリストが来られる。』



『今日の福音 キリストの誕生の次第』

      『イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。    
         母マリアはヨセフと婚約していたが、
 
二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

夫ヨセフは正しい人であったので、
   マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、
          主の天使が夢に現れて言った。
  
          『ヨセフの夢に現れる天使』

     「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
       マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
      マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。

         この子は自分の民を罪から救うからである。」


このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
    「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
          その名はインマヌエルと呼ばれる。」
    (イザヤ書 7章10〜14節)
 
                            
      この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

    ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。』 
         マタイ福音書 1章18-24節


    神様は、『人間の救いの計画』 を、 お一人でなさることはしませんでした。
    神様は、『ご自分の計画』の実行のために、 人間に協力を願うのです。

        『神の計画の実行者・イエスの誕生』 のために、
         婚約者のマリアとヨセフ両者に協力を願いました。

 マリアは、母として、『私は主のはしためです。お言葉のとおり、この身になりますように。』
     ヨセフは、父として、『天使が命じたとおり、妻を迎え入れました。』
      ・・・と言ったとき、『お告げの天使は去って行った。』 のです。


     神様のなさり方は、不思議なことです。  それは『神の神秘』です。
         確かなことは・・・
         神様は人間を信用してくださっているということです。
       神様は、一番大切にしている働きにも、小さな働きにも、
         人間の協力を願っておられるということです。


私たちも、
できることは小さなことですが
神様のお仕事に協力できるように
心の準備をいつもしていたいものですね。


『今日の祈願』

   『聖なる父よ、 わたしたちを受け入れてください。
 人間の貧しさを身に帯びてわたしたちをいやしてくださったキリストに
         結ばれることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
外出のままならない毎日、『小さな心遣い』で互いに慰め合いたいものです。
それは、神様の愛のメッセンジャーとなるチャンスかもしれませんね。  お元気で!

『シンドラーのリスト』・・・『一つの生命を救う者が世界を救える』 そして 『アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図』

2020-12-17 13:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
12月17日。木曜日。曇。

3時間15分の大作映画を観ました。
     『シンドラーのリスト』


第二次世界大戦時。
ドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が
東欧のドイツ占領地で進む中
ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが
ポーランド系ユダヤ人1100人の命を救った実話 です。


  映画の最終で・・・
    
          『今夜、真夜中に戦争は終結する。War is over。』
 
               『最後の別れの挨拶』
      1100人のユダヤ人とドイツの軍人たちの前で挨拶をするオスカー・シンドラー


       『明日から、君らは生き別れの家族を探す、その多くは見つかるまい。
        6年間に及ぶ惨事。世界が犠牲者を悼んでいる。我々は生き残った。
        私に感謝する者もいるだろう。自らに感謝せよ。Thank yourself。
            死の前で勇気を見せた仲間に感謝を・・・。』


私は『最後の挨拶』を聞きながら
胸がいっぱいになり
胸に手を当て、涙せずにはいれませんでした。
思わず、映画を観ながら・・・
『最後の挨拶』をメモせずにはいれませんでした。


      『シンドラーのリストを作成するシンドラーとユダヤ人会計士イザック・シュターン』
   

       ナチス党の党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラーは
戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取って、ホーロー容器工場を開設。
       有能なユダヤ人会計士イザック・シュターンに工場の経営を任せ、
         「安価な労働力」としてゲットーのユダヤ人を雇い入れ、
     また持ち前の社交性でSSの将校に取り入って自らの事業を拡大させていきます。

 しかし。

やがて冷酷なSS将校ゲート少尉がクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長としてクラクフに赴任して来る。
    少尉ゲートとその部下のSS隊員達は、ゲットーや収容所でユダヤ人を次々と殺戮していく。
    会計士シュターン初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫る中、
       金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じていく。
            そして・・・
            彼はある『リスト』の作成を決意する。

          もうけた大金すべてをゲート少尉に賄賂として差し出し、
        1100人のユダヤ人を、工場の『労働力』として雇うという名目で
             『1100人の命』を救う『決意』をします。
         『シンドラーのリスト・1100人のリスト』を作成するのです。


『最後の別れの挨拶』は続きました。


           『私はナチの党員で、弾薬の製造業者だ。
            強制労役で利益を得た。私は犯罪人だ。

             君らは自由。 私は追われる身だ。
     零時5分まで君らと共にいて、その後逃亡する私を許してもらいたい。

      亡くなった君らの同胞をしのび、3分間の黙想を捧げよう。』



『最後の挨拶』を終えて・・・
逃亡の身となったシンドラーは、
一つづつのスーツケースを持ち
妻たちと4人で旅立ちます。


   『抱き合い最後の別れをするシンドラーとユダヤ人会計士イザック・シュターン』
 

  シンドラーーは泣き崩れます。
      『もっと救い出せた。もう少し努力をすれば・・・。
       車を売れば、10人を救えただろうに・・・。
       金のバッチを売れば、もう二人、いやもう一人救えた・・・。
       もっと努力すれば、もう一人救えたのに、救えなかった。』

  シンドラーの片腕として働いた会計士シュターンも泣き崩れます。
      『彼らから新しい世代が育ちます。
        もっと大勢を・・・? こんなに救って?』
 と言って
          手作りした『指輪』 をシンドラーに贈ります。     
     『指輪』には『ユダヤの聖書の言葉』が刻まれていました。

      『一つの生命を救う者が世界を救える』


     なぜ? 人間はなぜ、 正反対の『生と死の道』、 を選ぶことになるのだろうか?
           
               『答』は自分で決めるしかない。
            『自由』が与えられた人間は、自分の『選択』の報い、
                 が、与えられると神様は言われる。
             『自由』には『責任』が伴う事だけは確かであろう。
                



シンドラーは、
ナチ党員として裁かれることなく
その後は、新事業を始めます。
後に。
1961年に彼が救ったユダヤ人たちにイスラエルに招待されて以来・・・
年の半分を彼が隠居生活をしているフランクフルトで過ごし、
他の半分をエルサレム在住の、彼が救ったユダヤ人たちの下で過ごすという
    『二重生活』が、13年間、
1974年(66歳)にドイツのヒルデスハイムで亡くなるまで続けられました。
彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。
シンドラーが助けた方たちの子孫は6000人以上だそうです。
 『一つの生命を救う者が世界を救くった。』 のです。
    『彼らから新しい世代が育った。』 のです。

そして。
『シンドラーのリスト』の映画監督・スティーヴン・スピルバーグは
『この映画を、犠牲になった600万人のユダヤの方々に捧げます。』
の『言葉』で、映画を終えました。 



そして。
年末で思い出すのは
『2020年度 ビッグニュース』
そのに続いて、その

        今年は・・・ 『被爆75周年』 
 
     原爆投下後・・・亡き弟を背負った 『焼け跡にたつ少年』

   米占領軍カメラマン・米国の写真家ジョー・オダネル氏の『証言』
  原爆投下後の広島・長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影しました。
 火葬場にいた2人の男が背中の弟を下ろし、そっと火の中に置いた。 と証言。
   
      『No More ヒバクシャ No More 核兵器』   『No More戦争』  
       目を離すことなく・・・『その後』を見守っていきましょう。 


そして。

今日は12月17日。御降誕八日前。

『今日の入祭唱』

   『天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。 山々よ、歓声をあげよ。
   わたしたちの主は来られる。 貧しい人々を憐れんでくださる。』

        イザヤ書 49章13節参照


    『今日の福音 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図』
 
 

       『アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
   アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
   ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
    アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
           エッサイはダビデ王をもうけた。

   ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
    ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
    アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
      ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
      ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
  ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。

         バビロンへ移住させられた後、
      エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、
    ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
       アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、
      エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、
ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

      こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、
ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。』 
           マタイ福音書 1章1-17節


    『イエスの系図』には、
       14代×①~③=42代の中に、
       女性四人が入っています。
       四人の中には、異邦人や罪人と言われる人もいます。
       『神の救い』は、異邦人にも罪人にも、及ぶのです。
     
 女性四人は、特別な事情があって、ダビデの子孫となり、『イエスの系図』に入っています。
 神様は、 人間を自分の協力者として立て、 『人間の歴史』を指導なさる御方です。


私たちも、
神の指導を信じて
歴史の1ページの協力者になれるかもしれませんね♡♡



『今日の拝領唱』
 
    『見よ、 万民が望んでいた方が来られ、
   神殿を栄光で満たす、と万軍のの主は言われる。』

      ハガイ書 2章7節参照


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私は今日、来年の心の計画を立てるのにふさわしい『豊かな時間』を過ごせました。
STAY HOMEの年末を有意義に過ごせるといいですね。  お元気で!

オンライン授業・・・『パソコン設定』 そして 『天よ、露を滴らせよ。 雲よ、正義を注げ。』

2020-12-16 10:00:00 | 娘と娘家族
12月16日。水曜日。曇り。

私のパソコンの先生は娘です。
IT関係のすべてを娘から習います。

今日は
先生と『オンライン授業』でした。


       今日は・・・    『三つのパソコンの設定』
 
      先生曰く、 
           二つの画面を出して、左側にノートパソコンを設定しましょう。
             合計で3画面を、同時に見るように設定しましょう。
              メインパソコンでは、今の作業中の画面を出す。
            他の二つのパソコンでは、作業中には使っていないけど、
             出ておくと便利なものが出ている状態にしましょう。
         
   それって・・・  
   いくつものことを同時にこなす聖徳太子並に、頭を働かせるということですよね。


事の発端は。

  12月10日に断捨離で・・・         『和室に積み上げた不要品』
 
        スキーポール。 海岸でのバーベキューセット。 パソコンも2機種。
              等々。和室に山積みになっています。
            明後日の金曜日が月2回の『資源ゴミ回収日』です。
                
    すべてを捨てる予定で、一応、
    Myパソコン先生に相談したら、
       ”パソコンだけは、更に便利に、使いこなしましょうよ!” との答だったのです。


           捨てるはずの、パソコン2台とモニター3台が、
         荒ゴミ候補から昇格して、わが書斎に逆戻りとなりました。

        先生は、仕事場では、5台のパソコンをこなしているとか・・・
        弟子の私も頭の柔軟性を養うために頑張ってみましょうかしら!?
            今日も、先生のご指導に 感謝!感謝!


そして。

今日は12月16日。待降節第三水曜日。

『今日の入祭唱』

     『主は終わりの時に向かって急ぐ。 人をあざむくことはない。
   たとえ遅くなっても待っておれ。 主は必ず来る、遅れることはない。』

        ハバクク書 2章3節


『今日の第一朗読 イザヤの預言』


   『わたしが主、ほかにはいない。

       光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。
 
       『神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。』 創世記 1章3節

     わたしが主、これらのことをするものである。

    天よ、露を滴らせよ。 雲よ、正義を注げ。
 地が開いて、救いが実を結ぶように。 恵みの御業が共に芽生えるように。
      わたしは主、 それを創造する。

   神である方、天を創造し、地を形づくり、造り上げて、固く据えられた方
    混沌として創造されたのではなく、 人の住む所として形づくられた方
      主は、こう言われる。 わたしが主、ほかにはいない。


      わたしをおいて神はない。
   正しい神、救いを与える神は、 わたしのほかにはない。
   地の果てのすべての人々よ、 わたしを仰いで、救いを得よ。
         わたしは神、ほかにはいない。


       わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば、 その言葉は決して取り消されない。
 わたしの前に、すべての膝はかがみ、すべての舌は誓いを立て
      恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。


   主に対して怒りを燃やした者はことごとく、主に服し、恥を受ける。
   イスラエルの子孫はすべて、主によって、正しい者とされて誇る。』
        イザヤ書 45章6-8&8&21-25節 

 
『神の言葉』を預かり、語る、預言者たち。
  預言者イザヤは、力強く、 『聖なる唯一の神』 について語ったのです。

     神の義を持つ聖なる唯一の神。 すべての創造主。 救いの神。 
        全能、唯一の神がすべてのことをなさるのであり、
        イスラエルの神、主はご自分の栄光を示されるのです。 
                      ・・・と。


 紀元前550年~539年の間に、
     バビロン王国の捕囚の身になっているバビロンの地で、
       イザヤ第二書(40章~55章)は書かれました。

     この頃に、中東アジアは歴史の転換期を迎えることとなり、
       ペルシャを中心に新勢力が台頭してきたのです。
          強大な国となったペルシャは、
    征服国の外国人捕虜を自国へ帰還させる開放政策をとったのです。

 そこで・・・

     長年の捕囚生活を送っていたイスラエルの民に『大いなる希望』が燃え上がり、
        解放の希望に燃えた捕囚の人々が、心を目覚めさせ、
      ”われらの神、主は唯一の神、救う神である” と喜び叫んだのです。
              以上。『聖書100週間手引』より
  

私たちは、
イスラエルの人々の歴史
イスラエルの人々への主の温かいあわれみの経験から、
唯一の神の御心を知るようになるのです。
私たちも、広い心で、主の道を歩みたいものですね。


『今日の祈願』

   『いつくしみ深い神よ、
 私たちが、主の恵みに支えられて悪い習慣を改め、
    降誕祭にふさわしい準備ができますように。』

       


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒さ厳しい本格的冬の到来です。
コロナ禍と厳しい冬のダブルパンチの中で呉々もご自愛下さい。 お元気で!

あと9日で・・・『博士達イエスを拝む』 そして 『ヨハネが来て義の道を示したのに、祭司長や民の長老たちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じた。』

2020-12-15 22:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月15日。火曜日。曇り。

寒さが急に増してきた今日。

今年はホワイトクリスマスとなるだろうか?
昔は・・・夜半のクリスマスミサを終えて外に出ると
雪が降っていました。
家族で、雪の舞い散る真夜中、
家まで聖歌を歌いながら帰ったものでした。


               『博士達イエスを拝む』
     
              小磯良平作品       我が家にかかる版画


    『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
    そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
      ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。
       わたしたちは東方でその方のを見たので拝みに来たのです。」


             占星術の学者たちが出かけると、
     東方で見たが先立って進み、ついに幼子のいる場所に止まった。
           学者たちはそのを見て喜びにあふれた。
         家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
           彼らはひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、
           黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。』

                 マタイ福音書 2章1-11節


 誕生したイエス・幼子を、最初に見た方たち・異国の占星術の学者は、異邦人でした。
誕生したイエスは、異邦人・異国の占星術の学者たちによって、 初めて、『王』として認められたのです。

  『博士たち』は、司祭階級に属し、天文学者でもあり、政務にもたずさわっていた方たちでした。
     何よりも、
        待ち望んでいるユダヤ人の王に一目お会いしたい!” 
          ・・・と、
         主が来られるのをひたすら待ち望む方たちだったのでしょうね。    


      世界で初めて、神の独り子・イエスの誕生を見て、 そして 『王』であると認めた人が、
          それを一番待ち望んでいたであろう『ユダヤ人』ではなく
            素直な心で待ち望んでいた『異邦人』であった。
        驚く事実ですが・・・神様はそこに何を意図なさったのでしょうか?
           『幼子イエスの誕生』は、正に、『神の神秘』です。
      現在に生きる私たちも、素直な心で、『神の御計画』を受け入れたいものですね。
  


       私も、今宵、夜10時に外に出て、 空を見上げてみました。  
        漆黒の空にただ一つ  美しく輝いていました。
             『一等星』でしょうか?
   赤ちゃんイエス様のに早くお会いしたいですね。あと9日です♡ 楽しみです♡


そして。

今日は12月15日。待降節第三金曜日。

『今日の入祭唱』

  『わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に、あなたのもとに来られる。
    そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。』

          ゼカリア書 14章5&7節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは 祭司長や民の長老たちに言われた。
 

        「ところで、あなたたちはどう思うか。
    
ある人に息子が二人いたが、 
   彼はのところへ行き、
    『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』  と言った。
    兄は『いやです』と答えたが、  後で考え直して出かけた。

   のところへも行って、  同じことを言うと、
    弟は『お父さん、承知しました』 と答えたが、 出かけなかった。


     この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」
      彼らが 「兄の方です」 と言うと、
イエスは言われた。
         「はっきり言っておく。
   徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
 なぜなら、
        ヨハネが来て義の道を示したのに、
 あなたたちは彼を信ぜず、 徴税人や娼婦たちは信じたからだ。
        あなたたちはそれを見ても、
     後で考え直して彼を信じようとしなかった。」』
          マタイ福音書 21章28-32節


今日の福音の意味は
こういうことでしょうか。

   ある人の息子の兄は、
   父の勧めの言葉:『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』に対して・・・
     最初は『いやです』と答えたが、 後で考え直して出かけました。
         父親の望み通りにしました。

      同様に・・・
   
   徴税人や娼婦たちは
   洗礼者ヨハネの話:『義の道』 を聞いて・・・
     最初は『理解できなかった』でしょうが、 後で考え直してヨハネを信じました。
         神のお望み通りにしました。


      兄と徴税人や娼婦たちの『共通点』は何でしょうか?
        最初は、自分の考えで動いた。 
        次に、 考え直して、父や神の意見に従った。
         素直に、 『自分の考えを改めた』点ではないでしょうか。


一方。

   ある人の息子の弟は、
   父の勧めの言葉:『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』に対して・・・
     すぐに『お父さん、承知しました』と答えますが、 最後まで出かけませんでした。
          父親の望み通りにはしなかったのです。

     同様に・・・

   祭司長や民の長老たちは、
     洗礼者ヨハネの話:『義の道』を聞いて・・・
       最初から、最後まで、ヨハネを信じませんでした。
     徴税人や娼婦たちが信じる姿を見ても・・・
       最後まで、我が身を反省して、改心することがなかったのです。
         神様のお望み通りにはしなかったのです。  

    
      弟と祭司長や民の長老たちの『共通点』は何でしょうか?
        最初は、相手の言うことを熟慮することなく、相手の考えを聞いた。 
        次に、 父や神の意見を尊重することなく、相手の考えを聞き流した。
         かたくなに、 『自分の考えに固執する』点ではないでしょうか。   


    『素直さ』は、『進歩』を導きます。  『かたくなさ』は、『停滞』を意味します。
       私たちに常に呼びかけて下さる『父親』は、『神様』なのです。


私たちも、
自分はいつまでも不完全な者である
と認める『素直さ』が大切なのです。必要なのでしょう。
不完全さを認めるところには、常に、『反省』が伴います。
『反省』のある所に、神様が働いてくださるのです。
『反省』に、神様が与えてくださる『助言』を聞き入れる、『余裕』が生まれるのです。
自分の考えに固執することなく、『進歩』し続けたいものですね。


『今日の拝領唱』

  『正しい審判者である主が、
    主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
       義の冠を授けてくださいます。』

          テモテへの手紙Ⅱ 4章8節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
おとめマリア様は、ひたすら、我が子の誕生をお持ちになったことでしょう。
私たちも、あと9日、イエス様の誕生を待ち望みましょう。
何か良いことがありそうですね。ありますきっと。  お元気で!

朝の小径・・・人生色々。 そして 『聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士 記念日』・・・『ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。』

2020-12-14 07:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
12月14日。月曜日。曇り。

朝七時

   真っ赤に・・・     『サザンカの落ち花』
   
               朝の小径を美しく彩ります。 
              その赤色に元気をもらいます。


               駅に急ぐ働く人や学生たち。 
          ”人の数だけ、それぞれの人生の数があるね!
       真っ赤な落ち花に元気をもらって、 行ってらしゃ~い!”

         
           コロナ禍に始まり・・・終わろうとしている今年。
             そんな中で
        今日も頑張る人たちを見送りながら、感動して、 
            ”エール” を贈りたくなったウォーキング中の私でした。


そして。  

今日は12月14日。待降節第三月曜日。


         『聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士 記念日』
 

1542年。 十字架の聖ヨハネは、スペインのアビラ近郊の町フォンティベロスでまれる。
    生後まもなく、父親を失いました。このため、家族は生きるすべを探しながら転々とし、
          ヨハネは、幼少のころからメディナにある孤児院に入れられて育ちました。
            この間、ヨハネは病院でペスト患者を助け、
          その一方でイエズス会の学校に通って勉学に励みました。

1563年。21歳。 メディナにあったカルメル修道会に入会し、サラマンカで哲学神学を学びました。
1567年。25歳。 『カルメル会』の改革にあたっていた、アビラの聖テレジアに出会う。
          テレジアは、改革の協力者となるよう、ヨハネを熱心に招きました。
            ヨハネはテレジアの招きに応じ、神学の課程を終えた後、
              テレジアとともに、バッラドリッドに移り、
            『跣足カルメル修道会』 のあり方について深めました。

1568年。28歳。 更に、バッラドリッドからドゥルエロに行き、
              農家の小さな小屋で、新しい『奉献生活』を始めました。

  ヨハネの精力的なはたらきもあって、『奉献生活』の『新しい生き方』、 は広まっていきますが、
      大きくなるとともに、カルメル修道会内における法的問題が生じていき・・・
       この問題がもとで、ヨハネは8カ月以上にわたってに入れられますが、
     その後はさまざまな責任職を担いながら、忍耐強く問題の解決に尽力しました。

     晩年のヨハネの生活は、 さらに苦難に満ちたものになっていきます。
        それでも、改革の仕事を最後まで続行しました。

1591年。49歳。 ヨハネは、最後まで、 温順と堅忍をもってすべてを受け入れ、
            地上での務めを終えたヨハネは、ウベダで死去。

1593年。死後2年後。  ヨハネの遺体は、セゴビアに移され、
              今も、『跣足カルメル修道会』の教会に眠っています。

    ヨハネの傑出した霊性 と 英知を示す、優れた『霊的著作』 を残した。
                 『毎日の読』より


『今日の入祭唱』

  『このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、
      誇るものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。』

              ガラテヤの信徒への手紙 6章14節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスが 神殿の境内に入ってえておられると、
        祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。
 

「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」
イエスはお答えになった。
        「では、わたしも一つ尋ねる。
それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。

         ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。
        天からのものか、それとも、人からのものか。」


彼らは論じ合った。
 「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。
  『人からのものだ』と言えば、 群衆が怖い。 皆がヨハネを預言者と思っているから。」
そこで、彼らはイエスに、
            「分からない」と答えた。
すると、イエスも言われた。
      「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」』
            マタイ福音書 21章23-27節   

今日は、
私はこんな風に考えました。


    イエス様は、神様です。 
    イエス様は、神の御心も、御自分の使命も、よくご存じです。
    私たちは、人間です。
    私たちは、神様の御心も、イエス様の権能も使命も、なかなか理解することができません。


   そんな私たちは、
   自分の至らなさ、知識や理解の不足、自分の間違い、 等を認める必要があるのでしょう。
   イエス様は、
   私たちの弱さをよくご存じでも、私たちを責めることなく、私たちの反省を促すのです。
    『あなた方が私の質問に素直に答えないなら、私も答えないことにしましょう。』
       ・・・と、上手に、反省と改心を促してくださるのです。導いてくださるのです。


私たちも、
素直になって・・・
自分のいたらなさを反省しましょう。
間違いの多いことを認めましょう。
そうすれば・・・
改心ができることでしょう。
きっと神様が導き、助けて下さいますことでしょう。


『今日の祈願』

   『愛の源である神よ、
あなたは、聖ヨハネの生涯を通して、十字架の神秘の偉大さを示して下さいました。
      わたしたちが、いつもキリストに結ばれて、
    人々の救いのために力強く働くことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も残すところ2週間と2日になりました。
師走で、私もなんとなく走り回っています。 お元気で!

楚々と、寒さの中で凜と立つ・・・『水仙の開花』 そして 『ヨハネは光ではなく、光について証しをするために来た。』

2020-12-13 09:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
12月13日。日曜日。曇り。

今日は日曜日・主日でも、
コロナ禍のためミサの参加はなしです。
ミサの時間に、庭を眺める廊下に座りました。
今朝咲きました。


        清清しく・・・    『水仙』
       
        別名    『雪中花(セッチュウカ)

      庭の花が少ない12月~4月に花を咲かせてくれます。
        この花が亡き母を思い出させてくれるのは、
  その楚々とした花の姿 と 寒さの中で凜と立つ姿 からでしょう。

       静かな主日の朝にふさわしく・・・
     水仙は、私の心まで清々しくしてくれました。
               感謝!感謝!


そして。

今日は12月13日。待降節第三主日。

『今日の入祭唱』

  『主において常に喜びなさい。 重ねて言います。喜びなさい。
      主はすぐ近くにおられます。』

        フィリッピの信徒への手紙 4章4&5節


『今日の福音 イエス御言葉』

   『神から遣わされた一人の人がいた。 その名はヨハネである。
 
           『荒野の洗礼者ヨハネ』   バルトロメ・ムリーリョ作品

        彼は証しをするために来た。 
光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
    彼はではなく、について証しをするために来た。

 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

 ヨハネは答えた。
          「わたしは水で洗礼を授けるが、
      あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。
 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」』
          ヨハネ福音書 1章6-9&26-27節 


失礼しました。
典礼の『今日の福音』部分を
半分省きました。

       洗礼者ヨハネとイエス様の 『嬉しい到来』 のみを考えてみました。

ヨハネは、『イエス様の道』を準備するために、イエス様の前に、神からこの世に派遣されたのです。

  洗礼者ヨハネの弟子たちは、『ヨハネは光』だと信じ、洗礼者ヨハネについていこうとしました。
     これに対して、
    ヨハネ福音書は、『まことの光・救い主はイエス』 であると宣言したのです。
洗礼者ヨハネ自身も、 イスラエルの学者たちに、 『自分の身分』を宣言したのです。
     『自分は救い主ではない。救い主は隠れて、すでにあなた方の中におられます。
    その人は私の後から来られる方で、私はその方の履物のひもを解く資格もない。』と。


       イエス様は、隠れて、私たちの中に、いつもおいでの方なのです。
           私たちの近くにおいでなのです。
    イエス様は、小さい人、貧しい人、旅人、すぐ隣の人、の中においでなのです。
                       それが、正に、神様の神秘です。

私たちも、
イエス様の呼びかけに耳を傾けましょう。
兄弟の中においでのイエス様は
私たちに 話しかけてくださっているのです。
イエス様を見つけ出しましょう。
クリスマスにおいで下さるイエス様を
喜んでお迎えいたしましょう。


『今日の祈願』

    『いのちの源である神よ、
 あなたからいただいた喜びを多くの人と分かち合い、
   救いの訪れを世界に告げ知らせることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
もうすぐクリスマスです。
心を清々しく保ちながら、降誕祭にふさわしい準備をいたしましょう。       

主の御降誕・クリスマスまで11日・・・『心の灯』 そして 『三人の弟子たちは、「人の子も、人々から苦しめられる」と告げられる。』

2020-12-12 23:42:48 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月12日。土曜日。快晴。


 今日は・・・            『待降節第二週・最終日』
 
            『待降節ロウソク2本に灯』             我が家居間に置かれたロウソク

          クリスマス前まで、 残り2本に点火、 残り11日です。
   4本には、『悔い改め』、『希望』、『喜び』、『イエス・キリスト』、4つの意味があります。

私のいままでの待降節の2週間は・・・
           
     『悔い改め』は十分だっただろうか?  『希望』と『喜び』は十分だっただろうか?
        『主イエス、私の所へ来てください!』 と、 祈りは足りているだろうか?

何事も
私には足るはずがなかろう。

     残り11日間・・・

           御ひとり子がおいで下さるのをひたすら待ち望みましょう。
         燃える『心の灯』を持って、 救い主を迎えることができますように。

          今日は、聖霊の働きで、私も悔い改めが少しできました。
                             感謝!感謝!


そして。

今日は12月12日。待降節第二土曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、ケルビムの上に座し、顕現してください。 
   御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください。』

         詩編80章 2&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『山を下りるとき、  弟子たちは  イエスに、
 
   「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」 と尋ねた。

イエスはお答えになった。
     「確かにエリヤが来て、 すべてを元どおりにする。
       言っておくが、 エリヤは既に来たのだ。
     人々は彼を認めず、 好きなようにあしらったのである。


  人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」

  そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。』
           マタイ福音書 17章10-13節


辞典で調べてみました。
エリアとは、誰なのか?

         エリアとは、
  イスラエル北王国のアハブ、アハジャ両王の時代(紀元前869~849年)活躍した預言者。
  ヤハウェの神礼拝に熱心で、バアル礼拝と対決し、ヤハウェ礼拝を擁護した大指導者。
  火の車に迎えられて天に上った。
    新約の時代において、
  『救い主が地上に来る時』、その前に現われる預言者はエリアの再来であると信じられてきた。
     イエスの時代の人々は、この再来のエリアを『洗礼者ヨハネ』において見ている。
  『イエスの山上の変容』の時、律法を代表するモーセとともに、エリアは預言者を代表して現われた。
                『聖書辞典』より


 今日の聖書では・・・

       ある日イエス様は、弟子たちに打ち明けられたのです。
  『自分はエルサレムで、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
    三日目に復活することになっている。』と。    

      その六日の後、イエス様は、ペテロ、ヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、
          高い山(ガリラヤ湖近くのタボル山)に登られました。


        一同が山を下りるとき、三人はイエスに尋ねたのです。
      『なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか』と。
         イエスは、三人にお答えになったのです。
   『エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、 好きなようにあしらったのである。』 と。
          そこで、三人は悟ったのです。
    「イエス様が言われた『すでに来たエリア』は、洗礼者ヨハネである。」 と。
           以上。マタイ福音書 16章21~25節 参照


   旧約時代。 エリアは、人々に反対され、預言者として認められなかったのです。
   新訳時代。 ヨハネは、エリアと同じ仕事をしたのですが、領主ヘロデ王に殺されました。
          エリアは、見事に、『イエスの先駆者』としての仕事は果たしました。
  救い主の時代。 イエスは、弟子たちに打ち明けた通りに、人々に棄てられ、殺されました。

      神様は、エリア、ヨハネ、イエス様を通して、働かれました。
        しかし、
    人々は、彼らを神から遣わされた人たちと認めず、反対し、棄てたのです。

 イエス様は、前もって、『人の子も、エリアやヨハネのように人々から苦しめられることになる。』
             と、ご自分の『受難』について、弟子たちに話されたのです。


私たちも、
預言者やイエス様の生活を
聖書から学びながら、
その生活の中に
神様の道と働きを見極めたいものですね。


『今日の祈願』

  『いつくしみ深い神よ、
   わたしたちが神の恵みに支えられて悪い習慣を改め、
  降誕祭にふさわしい準備をすることができますように。』




皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ明日は、待降節第三主日、三本目のロウソクも点灯しますね。
悔い改め、希望、喜びを持って、『心の灯』を燃やしながら、
イエス様をお迎えする最後の準備をいたしましょう。  お元気で!

クリスマスプレゼント・・・『時間』 そして 『ヨハネもイエスも認められない。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。』

2020-12-11 21:55:38 | 娘と娘家族
12月11日。金曜日。晴れ。

                  『イエスの誕生』
   
               『聖家族と三人の博士』    オーストラリアで購入しました


      5年前。 娘の出張についていって、『母娘二人のオーストラリア旅』
    12月といえども、 南半球、夏のクリスマス待降節、を始めて経験しました。
          子供達(孫たち)を 夫(婿)に任せて
             日常の超多忙を忘れての
     大人の女二人の1週間の外国旅行は、優雅に、夢のように、最高でした。


       そんな娘に、「クリスマスプレゼントは何か欲しいものある?」 と聞くと、
          娘の答はいつも同じです。 『時間を頂戴!』


      超過密スケジュールで働き、その上 母業と妻業を完璧にこなす娘です。
             寝る間を惜しんで働く娘です。
      私は、コロナ禍のお陰で、神戸からの娘の在所への上京がままならず
   『時間のクリスマス・プレゼント=娘の助っ人』 を贈ってあげられないのが、
                         心残りです。残念です。寂しいです。


そして。

今日は12月11日。待降節第二金曜日。

『今日の入祭唱』

   『見よ、 主は輝きをもって来られる。
 平和のうちにご自分の民を訪れ、 永遠のいのちを与えてくださる。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは  人々に言われた。

     「今の時代を何にたとえたらよいか。
  広場に座って、 ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。

    『笛を吹いたのに、 踊ってくれなかった。
  葬式の歌をうたったのに、 悲しんでくれなかった。』


  ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、
        『あれは悪霊に取りつかれている』 と言い、

  人の子が来て、飲み食いすると、
   『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。 徴税人や罪人の仲間だ』 と言う。

 しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」』
        マタイ福音書 11章16-19節


       イエス様もヨハネも・・・
  ヨハネが悔い改めを勧めると・・・人々の多くは、その必要を理解せず、断りました。
  二人が話をすると・・・人々の中には、興味を示さず、断る人がいることを経験します。
  イエスが神の話をなさると・・・納得できない人がいました。


      イエス様は、人々の反応を見て・・・
    『仲間の呼びかけに何の反応も示さない子どものようだ』 とたとえました。


       むしろ、 イエスに疑問を持つ人も いたのです。
     そんな人々に、イエスは、ご自分たちの正しさを断言なさいました。
     『わたしたちの知恵の正しさは、その働きによって証明される。』 と。

      
   洗礼者ヨハネもイエス様も、『神の救いの計画』 の 『しるし』 なのです。
       子どものように素直な人は、 『しるし』を見ることができるのです。
      信仰の目で見るとき、 『しるし』はどこにでも見ることができるのです。


私たちも、
素直な心で、純粋な気持ちで、
『神の勧め』を聞くことができますように。

『神のしるし』を見ることができますように。
2週間後の『イエスの到来』を見ることができますように。


『今日の拝領唱』

  『私たちの本国は天にあります。 
 そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
 主はわたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。』

      フィリッピの信徒への手紙 3章20&21節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
クリスマスの訪問も、クリスマスのお集まりも、コロナ禍の今年は難しいようです。
せめて、身近な人に、素敵なクリスマス・プレゼントを贈れると良いですね。 お元気で!