まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

人類みな兄弟・・・とはいかないので

2003年09月20日 22時16分00秒 | 日々雑感
レジに小さな男の子がやってきて「お願いします!」と商品と百円玉を差し出した。

本当に小さな男の子なのに、やけにしっかりとした口調に驚いて

「まあ、お利口さんね」と言って会計をすると

「ありがとうございました!」と、これまたきちんと言うので

「まあ、偉いわ!」と褒めると「もう四歳だもん。お兄ちゃんだもん」と誇らしげに去っていった。

わたしは少し、胸が痛くなった。

以前、三歳くらいの女の子が一歳前後の妹を抱っこしてあやしていたときにも同じ気持ちになった。

もしもこの子らが兄や姉でなければ、もっとふにゃふにゃしていられるのに。

実際、同い年のひとりっ子や、弟妹の立場にいる子と比べると、小さなうちからしっかりしている子が多い。

まわりから「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」と言われ、自覚するのだろう。

少子化の問題があれこれと言われているが、子を生まないわたしとしてはなんと言ってよいものやら、という気持ちと

日本人が滅びるなら滅びたっていいじゃないか、とも思う。

どういう思想も持ち合わせていないが、減ってゆくのは運命かも知れないし。

地球にはまだ、たくさんの人や子供がいるんだしさ。

さて、そんな投げやりなわたしだが兄弟は多いほうがいいと思っている。

多ければ多いほどいいと思う。

テレビに出るような大家族、大勢の兄弟を見て貧乏で親の愛情も行き届かず可哀想と言う人がいるが

家が手狭だから、独立心も旺盛になるしさ、ひとりっ子よりはましだと思う。

別にひとりっ子を非難しているわけではないので悪しからず。

兄弟は一歩間違うと一生ついてまわる厄介な敵だが、うまいこといけば心強い味方である。

両親亡き後、頼り合える兄弟がいるのはいいことだ。

わたしは三人姉妹だが仲は決していいとは言えない。

姉とは一年に一日しか顔を合わせないし、妹とはふた月に一度会うかどうかだ。

しかも妹は、わけあって家族とほとんど口をきかない。

それでもやっぱり姉妹がいてよかったと思うのは不思議だ。

姉は子供の頃からしっかりしていて、できそこないのわたしの面倒をよく見てくれた。

たぶんわたしが、自殺もせず非行にも走らず現在に至るのは姉のおかげだ。

妹にとって「姉」というのは一番上の姉だけなのでわたしは姉という自覚もなかったし、妹の面倒なんかろくに見やしなかった。

しかし、妹が学校でいじわるされたりすると憤ったり心配したりしたものだ。

これから先、わたしたちが助け合って生きていくという保証も展望もないけれどむしろ助け合わないで生きていけたらと思う。

遠くにいて絆を感じることができる存在になればなんて、甘い夢を見たりもするのだ。
コメント
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