わたしの中の「民主主義」というのは「多数決」というイメージがある。
みんなでよく話し合って、一番多い意見に決めましょうというイメージ。
このイメージが正しいかどうかは別にして。
大体、政治の仕組みは難しくてわたしにはよくわからないし。
ただ、いつも思うのは大人数の意見は正しいのか?ということ。
正しいかどうかではなく、賛成の多い意見に従うということはないだろうか。
小学三年生のとき書道の時間に誰かが「墨をなめると身体にいい」と言い出し
クラスのほとんどの子がなめる騒ぎになったことがある。
わたしは、根拠もないのに墨なんかなめる気になれなかったのでなめなかったが
そのときの、なめた子たちのテンションの高さは目を見張るものがあった。
まあ、ちょっとしたおふざけ、あるいは馬鹿騒ぎといった感じで
さめた目で見ているわたしのほうが嫌な子だったのかもしれないが。
同じ頃、クラスで催眠術が流行った。
おそらくテレビでそういう番組をやったのだろう。
クラスのリーダー格の女の子がみんなに催眠術をかけ、みんな
「かかった、かかった」と大騒ぎになった。
わたしだけどうしてもかからず、変なのと言われてしまった。
今思えば、単純な子はかかったような気になり賢い子はかかったふりをしていたんだろう。
子供の頃から、そういうときにうまく立ち回ることが出来なかった。
長じてからは、うまく立ち回ろうとも思わなかった。
気持ち悪いんだ、意思と関係なくみんなと合わせることが。
それ以上に、なんの疑問も持たずにみんなと同じことをする人が気持ち悪い。
気持ち悪いというより怖い。
独裁者も嫌だけど、むしろわたしは集団の狂気(使い古された表現だが)のほうが怖い。
独裁者を独裁者に押し上げるのは集団の狂気かもしれない。
民主主義でも共産主義でも社会主義でも人は時として集団になる。
集団の中の安心感、一体感、陶酔感、どれもこれもわたしには怖い。
たとえ他人と同じ意見、思想を持とうとも行動は個人で取るべきだと思う。
そうじゃないと、数を頼みにするだけの乱暴な集団になってしまうから。
みんなでよく話し合って、一番多い意見に決めましょうというイメージ。
このイメージが正しいかどうかは別にして。
大体、政治の仕組みは難しくてわたしにはよくわからないし。
ただ、いつも思うのは大人数の意見は正しいのか?ということ。
正しいかどうかではなく、賛成の多い意見に従うということはないだろうか。
小学三年生のとき書道の時間に誰かが「墨をなめると身体にいい」と言い出し
クラスのほとんどの子がなめる騒ぎになったことがある。
わたしは、根拠もないのに墨なんかなめる気になれなかったのでなめなかったが
そのときの、なめた子たちのテンションの高さは目を見張るものがあった。
まあ、ちょっとしたおふざけ、あるいは馬鹿騒ぎといった感じで
さめた目で見ているわたしのほうが嫌な子だったのかもしれないが。
同じ頃、クラスで催眠術が流行った。
おそらくテレビでそういう番組をやったのだろう。
クラスのリーダー格の女の子がみんなに催眠術をかけ、みんな
「かかった、かかった」と大騒ぎになった。
わたしだけどうしてもかからず、変なのと言われてしまった。
今思えば、単純な子はかかったような気になり賢い子はかかったふりをしていたんだろう。
子供の頃から、そういうときにうまく立ち回ることが出来なかった。
長じてからは、うまく立ち回ろうとも思わなかった。
気持ち悪いんだ、意思と関係なくみんなと合わせることが。
それ以上に、なんの疑問も持たずにみんなと同じことをする人が気持ち悪い。
気持ち悪いというより怖い。
独裁者も嫌だけど、むしろわたしは集団の狂気(使い古された表現だが)のほうが怖い。
独裁者を独裁者に押し上げるのは集団の狂気かもしれない。
民主主義でも共産主義でも社会主義でも人は時として集団になる。
集団の中の安心感、一体感、陶酔感、どれもこれもわたしには怖い。
たとえ他人と同じ意見、思想を持とうとも行動は個人で取るべきだと思う。
そうじゃないと、数を頼みにするだけの乱暴な集団になってしまうから。