まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

結局、猫はいいなあ

2024年02月20日 10時59分42秒 | 日々雑感
「頑張れ」という声かけがプレッシャーを与え、パワハラになることもあるらしいけど

営業成績の良い同僚は「いつもすごいね!」などと褒められると、プレッシャーになるから言わないで欲しいという。

いろんな人がいるもんである。

ちなみにZ世代ではなく、40代。

周りのみんなが喜んでくれるから頑張るけど、極力目立ちたくないし特に褒められたくもないらしい。

ワンフォーオール、オールフォーワンというやつか?

偉いようなよく分からないような。

わたしは褒められるの大好きだけど。

営業成績は「気にしていない」と口にする人がいるけど

たぶん、気にしているのはカッコ悪い気がするからだろう。

気にしてもいないけど成績が良いのがカッコイイ・・・

漫画の主人公みたい。

まあカッコいいですけどね。

頑張ってないのにすごい成績と、頑張ってすごい成績なら頑張ってない方がすごい気がする。

いや、そうでしょうか。

頑張らないと良い成績が取れない人がすごい成績だったなら、すごく頑張ったって事なんだから

頑張った人の方がすごくないか?

なんだこの文、中学生か。

ま、わたしは大して頑張ってないのだけど。

だって頑張ったのに結果が出なかったらがっかりしちゃうもん。

イソップ童話のキツネか。

いずれにしても「一人はみんなのために。みんなは一人のために」という言葉は好きではなくて

わたしはわたしのために、みんなはみんなのために・・・がいいと思う。

でも猫だったら「わたしはわたしのために。みんなはわたしのために」だよな。

猫はいいなあ。
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取り返しのつかないことへの恐怖

2024年02月18日 00時13分28秒 | 日々雑感
テレビで美容整形の話題を特集していた。

二重まぶたやリフトアップなどは、隠さずにむしろSNSにアップしている人もいるほどポピュラーだが

ある国で植毛が盛んになっている話には驚いた。

わたしの知る限りでは、そこの国では頭髪が薄くなっても「男らしい」とモテるという話だったのに。

他国から植毛のために渡航して来る人が後を絶たないほどだそうだ。

そして一番驚いたのは赤ちゃんの頭の形を整えるという話。

同じ方向に寝かせておくと頭の形が悪くなる、ということは耳にしたことがあるが

子育てしたことがないので、本当のところは分からない。

小さなヘルメットのような矯正器具をかぶった赤ちゃんは、みなニコニコして可愛らしかった。

保険適用外なので50万くらいかかるらしい。

そこまでする必要ある?という雰囲気がスタジオにはあったし

わたしも、どちらかというとそう思ったけれど

わたしが子供の頃にはお金持ちしかしていなかった歯列矯正を

今は多くの家庭の子供がしているし、昔は子供が対象だったけど

今は50代でも60代でも始める人がいると聞く。

わたしの母は恐ろしいことに40代で総入れ歯だった。

じゃあ子供の歯には気を付けるかというと、全く無関心で

虫歯になったら治療するか抜けばいいと思っていた。

当然、子供の頃のわたしは虫歯だらけで、中学で奥歯を抜いている。

それ以来、奥歯はない。

って、なんかお笑い芸人のようだけど。

なので歯列矯正どころではなく、歯並びの悪さはもう諦めている。

この諦めというのは案外と絶望ではなく、気楽なもので

今なら間に合うとか、どうしようとか思い悩まずに済むという清々しさがある。

選択肢があるというのは大事なことだけど、それだけ後悔も残ることになる。

あのときやっておけば治すことが出来たのに。

取り返しがつかない事態よりも、取り返しがつかないという後悔をしたらどうしようと思うと

できることはなんでもしてやりたいと思う親も多いだろう。

「絶壁じゃん」と坊主頭をからかわれていた同級生はその後、どうしただろう。

頭の形に関しての不満を漏らす人は周囲にはいないけど、

密かに悩んでいたりするのだろうか。

頭の形って、子供の時に決まってしまったらもう変わらないのだろうか。

ルッキズムが取り沙汰される昨今ではあるけれど、今後どんなことで美しさを競うことになるのか

どの部分が美の基準として取り上げられるのか、今の時点では誰にも分からない。

もしかすると指は長いほど良いということになって、

すごい矯正器具をつける時代が来たりして。

巨人の星か。












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配慮しすぎてもしなさすぎても

2024年02月17日 19時15分24秒 | テレビの話
「昭和の価値観」とか「令和の価値観」とか聞くと

おいおい平成はどこ行った?

と、いつも思う。

そして昭和は良かったとか,昭和の価値観などが話題になると

昭和のどこ?と思う。

とにかく昭和は長かったので、戦前戦後高度経済成長と

どこを切り取るかで価値観も全く違うはずだ。

そしてよく昭和と言えばバブル世代と言われがちだけど

実際は昭和から平成にかけてで、バブルの象徴のように言われる「ジュリアナ東京」に至っては

平成にオープンして、平成にクローズしている。

平成のはじめの10年くらいは、昭和の雰囲気を引きずっていたと思う。

それはさておき。

「不適切にもほどがある」というドラマを楽しみに見ているのだけど

毎回、何度も笑ってしまう。

昭和が良かったとか間違ってるとか、令和が正しいとか息苦しいとかじゃなくて

世代がどうとかいうことでくくって過剰に配慮しても、問題は解決しないよね?

ということを、説教臭くならないように笑いに変えてくれている。

1980年代以降をリアルタイムで過ごした人間にとっては

昭和ってこんなだった?という答え合わせをしたり

昭和っぽさをうまくファンタジー化してるなーと感心したり出来るけど

リアルタイムで知らない世代にとっては、ただただ昭和のパワーを

羨ましいと感じるか、野蛮と感じるか、理解不能に陥るか・・・なのかな。

どうだろう。

このドラマについて同世代とも別の世代とも話したことがないから分からない。

共有しないで一人で楽しみたいかも。

「地上波でおっぱいが見たいんだ」という台詞に吹き出してしまったけど

いや、昭和だってテレビでおっぱいを見るのは大変だったのだ。

まず、テレビは一家に一台の時代は親が寝るまで「11PM」も「トゥナイト」も見られない。

家族で見ているドラマのラブシーンでおっぱいが出てくると、気まずさ全開だし。

そう思うと現代のほうが、スマホでおっぱいどころかなんでも見られるでしょう。

本当に昔のドラマって、なにかにつけて女性の裸が出てきたなぁ。

二時間ドラマのサスペンスには温泉が出てきて、若い女の子が出たり入ったりしてたし。

わたしが嫌だったのは、時代劇でもよくあったのだが若い女性が暴行を受けるシーンだ。

社会的な正義とか問題意識なんかこれっぽっちもなく、ただお茶の間に裸を届けるための

エロを見せる仕掛けとしてのもっともらしいシーン。

そういうシーンが喜ばれるという、需要あっての供給だと思うと本当に嫌。

映画なんかでも、脱ぐと一人前の女優なんて評価を受けたりしていたけど今でもそういう風潮ある。

「不適切にもほどがある」での「インティマシー・コーディネーター」を見て

今ってそんな時代なの?そんな必要ある?と思うか、そうだよなー、やっぱこういうの大事・・・と思うかは人それぞれ。

ただ、昔と違うのは脱いだらそれが未来永劫残るということ。

若気の至り、青春の思い出、減るもんじゃなし・・・で済んだ時代は去ったのだ。

軽い気持ちで脱いでも永久に残る。

断り切れずに脱いでも永久に残る。

お金目当てでも、身体に自信があったからでも、みんなが褒めてくれても

どんな理由で脱いでも永久に残る。

脱ぐ自由があってもいいと思うけど、それは永久に残るということなのだから

無理に脱がせたり、そういう雰囲気に持っていったりして脱がせてはダメ。

昔は良かったという人におじさんが多いのはなぜなのだろう。

それはおじさんが堂々と威張り散らしていられたからじゃないかしら。

昔って、どのへんの昔か知らないけど。

昔は暮らしに困ったら、親や家族のために売られる娘がいたことを考えると

昔が良かったなんて、簡単に言って欲しくない。

そんなの本当の昔じゃないかというかもしれないけど、それほど昔のことじゃないのだから。

話はずれたけど、「不適切にもほどがある」は面白いけど危険なドラマだ。

配慮が必要と思っていた年下の同僚に、最近

「なんでこっちばかりが配慮?」と感じてしまうことが多くなった。

いや、ドラマのせいじゃないですね。
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聞かないわけは

2024年02月17日 17時21分44秒 | 日々雑感
出産で、自身の家族が増えた報告をするときに

性別を公表しない芸能人が多くなった気がする。

プライベートなことだし、防犯というか子の安全を考慮してということもあるだろう。

かと思えば、「元気な男児が誕生」とか「長女を授かりました」などという報告もあり

まあ、人それぞれである。

最近は「性別はこの子が決めることだから」という風潮もあるし。

そういうこととはあまり関係なく、数年前からわたしは

知人の出産報告を受けても実際に赤ちゃんを見せに来てくれても性別を聞かなくなった。

理由は「聞いても意味が無い」と思うようになったからだ。

以前は赤ちゃんの性別を聞くときに「女の子ですか?」と聞くのが良いとされていた。

それは女の子に「男の子?」と聞いてしまうと失礼だからという、わりとつまらない理由かららしい。

赤ちゃんの時から女の子っぽく可愛く見えないとダメなのか?

そんなことないでしょう。

というか、別にいくつになってもそんな必要ないでしょう。

性別を聞く人の中には相手が男児と分かると

「それは何よりですね、跡継ぎが出来て」なんて言ったり

女児と分かると「お嫁に出すとき泣きますね」とか「親の面倒見てくれるからいいですね」とか

他人が何をごちゃごちゃと。

性別を尋ねるのは、どちらだかよく分からないからなんだから

じゃあどっちだっていいじゃん、とわたしは思うのだ。

どちらか分かったところで、可愛いね、おめでたいねということに変わりはなく

どちらだったにしろ、意味が生じないので聞く必要がない。

まあ、それはわたしにとって・・・であるから

聞きたい人は聞いたらいいとは思う。

答えるかどうかは、相手の自由だし。

先日、同僚から「妻が妊娠しまして」と報告されたときも

わあ、おめでとう!と心からお祝いの気持ちを述べつつも

性別を聞こうともしないわたしに、彼の方から

「なんか、まだどっちか分からないみたいです」

もしかして聞いて欲しかったか?
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違う、そうじゃない

2024年02月16日 21時40分16秒 | 日々雑感
父が毎日のように「もう先がない」「どうせもう終わりだ」みたいなことを言う。

数年前に9時間に及ぶ大手術。

三年前には病の宣告。

そして昨年、また手術。

終わりどころか、不死のようだ。

80代後半、「もう先がない」ってなに言ってんだか。

だからわたしも言うのだ。

わたしだって先なんかないよ。

余命は頑張って30年。

ものすごく頑張れば50年くらい。

下手すればもっとうんと短いかも知れない。

産まれたばかりの子だって、余命はめいっぱいで100年くらいなんだからさ。

と冗談のように言って聞かせる。

職場でもその冗談が言いたくなり

「わたしはもう余命が30年からせいぜい50年しかないんだから」と言うと

同僚たちは笑うどころか

「何言ってるんですか、まだ折り返し地点じゃないですか」

そうじゃないんだってば。

まだ若いと言って欲しいとか、そういうんじゃないんだってば。

ただ「余命50年」というおかしさを分かって欲しかっただけなのだ。

でもこれは、わたしが悪かったね。

自分が最年長の場所で、つまらない冗談など言うものじゃない。

折り返しているつもりなどなかったのに『折り返しですよ』と言われ

面白くない気持ちになっているのは、もう年齢なんか気にしてないと思っていても

本当は少しでも若く見られたいという気持ちがあるからなんだろうねぇ。

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