他人のことを「めんどくさいやつ」なんて言うのはひどいと思うかもしれないけど
面倒くささもそれぞれだ。
わたしは子供のころから
「なに言ってるか分からない」とか
「そんなこと考えなくてもいいんじゃない?」とか
「考えすぎだ」とか言われて
周りの子供からは変な奴と思われ、大人からは屁理屈ばっかりこねて・・・みたいに言われて
考えたり屁理屈こねることは恥ずかしいことなのだと隠すようになった。
考える自由や理屈をこねる自由があるなどとは思いもよらなかった。
考えようとして考えているのではなく、考えてしまうのだということを分かってもらうすべも持たなかった。
でも「めんどくさいやつ」という言葉を聞いたとき
それは悪口かもしれないけど、許容の言葉にも感じた。
「あの人めんどくさいよね」
分類されてしまえば、それもありでしょうと言ってもらえる時代なのだ、今は。
多分だけれど。
それで、めんどくささを誰に対しても垂れ流さない程度の常識は身に着けたので
分かってくれそうな人には、ぐだぐだ言ってみたりする。
人の悪口は好かないのだけど、今日はどうしても言いたくなり
同僚にぐだぐだ言った挙句、
「とは言っても、そんなに悪い人でもないのにこんなに悪く言ってしまった。
昔はこんなじゃなかったのに、ああ、もう心がうす汚れてるなぁ」と
中原中也のように嘆いて見せると
「そこまでがワンセットなんですね」
この人、よく分かってるなぁ。
そう、ここまでがワンセット。
ただ悪口を言うならまだしも。
わたしは本当は悪口なんか言う人間じゃないんだよ、というアピール。
でもそんな自分に対しての嫌悪。
そこまでを披露するのがワンセット。
ああ、めんどくせぇ。
面倒くささもそれぞれだ。
わたしは子供のころから
「なに言ってるか分からない」とか
「そんなこと考えなくてもいいんじゃない?」とか
「考えすぎだ」とか言われて
周りの子供からは変な奴と思われ、大人からは屁理屈ばっかりこねて・・・みたいに言われて
考えたり屁理屈こねることは恥ずかしいことなのだと隠すようになった。
考える自由や理屈をこねる自由があるなどとは思いもよらなかった。
考えようとして考えているのではなく、考えてしまうのだということを分かってもらうすべも持たなかった。
でも「めんどくさいやつ」という言葉を聞いたとき
それは悪口かもしれないけど、許容の言葉にも感じた。
「あの人めんどくさいよね」
分類されてしまえば、それもありでしょうと言ってもらえる時代なのだ、今は。
多分だけれど。
それで、めんどくささを誰に対しても垂れ流さない程度の常識は身に着けたので
分かってくれそうな人には、ぐだぐだ言ってみたりする。
人の悪口は好かないのだけど、今日はどうしても言いたくなり
同僚にぐだぐだ言った挙句、
「とは言っても、そんなに悪い人でもないのにこんなに悪く言ってしまった。
昔はこんなじゃなかったのに、ああ、もう心がうす汚れてるなぁ」と
中原中也のように嘆いて見せると
「そこまでがワンセットなんですね」
この人、よく分かってるなぁ。
そう、ここまでがワンセット。
ただ悪口を言うならまだしも。
わたしは本当は悪口なんか言う人間じゃないんだよ、というアピール。
でもそんな自分に対しての嫌悪。
そこまでを披露するのがワンセット。
ああ、めんどくせぇ。