新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

民主党の古川元久議員を責める

2016-02-25 08:27:58 | コラム
「ら抜き言葉」に見る国語の乱れを嘆く:

昨日だったか、民主党と維新の合流を報じるニュースの中でインタビューに応じた、私が最も忌み嫌う民主党の元高級官僚議員の筆頭である古川元久はこともあろうに「ら抜き言葉」で語ったのだった。呆れると同時に情けなくなった。テレビ局は一般人乃至は芸人がら抜きでしゃべった際には字幕はきちんと「ら入り」にしているにも拘わらず、古川先生の際には訂正していなかった。矢張り彼らはリベラル派であり、反安倍内閣かとまで疑った。

古川元久は東大法学部から旧大蔵省出身とまでは承知していた。私はあのトッチャン坊や風の風貌で民主党の看板芸である自民党政権の閣僚の揚げ足取りのエース的存在の古川が勿論大嫌いである。最近テレビの表舞台(?)に登場することがないので大変結構と思っていたが、思わぬところで現れしかも国語を乱すというボロまで出してくれた。

早速、Wikipediaを見れば、何と誇り高き旧制愛知一中=現旭ヶ丘高校出身という立派な学歴だった。そういう勉強に専念してきたはずの大秀才ともあろう者が、「ら抜き言葉」で話すとは何とも情けないし、呆れ果てた国会議員であると立腹した。AHOの芸人どもがどんな言葉で語ろうとも私は責める気はしないが、古川の如き影響力があるだろう者が、テレビで堂々とおかしな国語を操っているとは誠に腹立たしい。しかも、彼は既に50歳だそうで、良い大人があんな言葉を使うとは言語道断だ。

自民党も何時も古川その他の元秀才民主党議員どものに揚げ足を取らせているのではなく、こういう時にこそ「正しい国語で語れ」と週刊文春の記者にでも語れば良いのではないか。または、テレビ局代議士の場合での字幕を「ら入り」にせよとでもアドバイス(嫌なカタカナ語だ!!)でもしたらどうかな。

私事ですが

2016-02-24 19:27:11 | コラム
家内のすべり症の手術は無事に終わりました:

本24日家内は朝9時にストレッチャーで病室から出発し、午後2時過ぎに執刀して下さった先生から「無事に終わりました」とボルトが2本入った写真を見せて頂き説明がありました。先生は安物のテレビドラマのように「手術は成功しました」などという表現はされず、その通りかと理解出来ました。そこまでで「良かった、無事で」と私の方が張り詰めていた何かが切れていまい、麻酔が切れて話が出来るようになって観察室に戻された家内二言三言言葉を交わしたまでで安心して帰宅しました。

ここから先は、先ず自力で歩けるようになってリハビリに入り、コルセットが取れて退院出来で、日常生活での注意事項が減って家事までに復帰が叶って初めて「成功」と言えるのだと思っております。明日からは毎日様子を見に行きますし、心理状態によっては慰めるのが私の役目でしょう。執刀して下さった先生は聞く限りではその分野では定評がある名医だそうで、安心して終わるまで待つことが出来ました。

手術を受ける当人よりも、私の方が遙かに心理的に参っていてしまったようなお恥ずかしい状態でしたが、無事に終わって緊張の糸が切れました。そこで暫くは毎日更新が出来なくなるのかなどと考えております。何卒宜しくご理解のほどを。

Koreatownが衰退したこの時期に

2016-02-23 08:36:28 | コラム
韓国の総菜を売る店が出来(シュツライ):

これは今更目新しい話でもないと思う。近頃JR山手線・新大久保駅を利用することが増えたが、嘗てはあれほど混雑していた改札口付近に屯する連中も見かけないし、Koreatownの地図を配るお兄さんたちも姿を消した。最早その最盛期には頻繁に訪れたし、友人・知己をご案内した大久保通りから職安通りにかけての韓国料理屋にもついぞ行っていない。噂では閑古鳥が鳴いているとか。

ところがである、我がアパートから道路を隔てた反対側にあったキムチなどを作っていた小規模な食品工場が、何時の間にか内装工事を終えて窓口から白菜キムチその他の総菜を売る店に業態を変更していたのに気付いた。当方の推理が正しければこの工場は職安通りの何処かの店にキムチを卸していたのか、その下請け工場の何れかだった。

近年マスコミ報道によれば、韓国そのものが最早大規模にキムチを漬ける(製造する)ことが衰退し、中国からの輸入品が大きな市場占有率を誇っている模様である。事実、この辺りのスーパーでも何処でも、店頭にある瓶詰めのキムチはほとんどが中国製と表示されている。そして美味ではないし、衛生面から見ても一寸手を出す気にならない。またたとえ韓国製との表示があっても、中国製を韓国で瓶詰めにしただけとの解説もある。

当方の経験では30年近く前から営業している韓国料理店のINK屋で販売していた自家製の白菜キムチは確かに抜群の美味さだったが、400~500 gm.で¥800という高価なものだった。話が遠回りしたが、その新規開店に一昨日に漸く気が付いて、昨日400 gm.だったかで¥530の白菜キムチを試しに買ってみた。確かに中国製とは全く違う味で、職安通りで売られているキムチに似ていた。しかし、憎いのは製造元でありながら、見事に小売価格と値段を合わせていた点である。

何も今更韓国の食料品を買うこともあるまいといった考えも脳裏をよぎったが、話の種にはなるかと考えた次第だ。因みに、私は減塩食を今でも何とか続けている状態であるし、辛いもの大量摂取も芳しくない体調も抱えているので、今回の新規開店の小売屋の商品に対しても「偶には味わってみるか」という程度の関心しかないのが一寸残念である。

アメリカのビジネスの世界

2016-02-22 07:57:24 | コラム
中途採用と実力と体力の世界:

私も既に後期高齢者となって何年かが過ぎてしまったので、益々少しでもアメリカという異文化の世界で身を以て習い覚えた事柄を語り且つ書き残しておきたいと考えるようになった。昨日の「だから言ったじゃないか」もその思いの表れである。スポーツの世界ではDarvishも田中将大も(鈴木)イチローも、欧州ではあるが香川真司も本田圭佑も岡崎慎司も、テニスで世界を股にかけている錦織圭も皆痛切に体格、体力と身体能力の差については感じていることだと思う。よくぞその差を克服したとみている。しかし、その点を取り立てて言うべきではないくらいは自覚しているだろうと思っている。

私の経験の範囲では”Division Meeting”と呼ばれる全米乃至は全世界から全部員か販売店の代表が集う会議が、痛烈に身体的な違いを知る場となっていた。これはフロリダかカリフォルニアのような季候が良い景勝の地で開催される部会で、勿論会議が主体である。そこで月曜から金曜まで全員が会議終了後の午後には水泳、ゴルフ、ジョギング、テニス、乗馬、読書、昼寝等を思いのままに楽しむのだ。その際にはシャワールームをも含めて彼らと文字通りの「裸のつき合い」となって、その我々とは大いに異なる骨格と「上半身人間」振りに接することが出来る。

私には特に何かの競技を経験していなかった者たちでも、その優れた体格には何となく人種の違いを痛感させられたものだった。「上半身人間」と呼んだのは如何にもその発達が際立っていたからで、何も車社会で育ったから足が発達しなかったのではないのだろうとは思ったが、アジア系との顕著な相違点として意識して眺めていた。結果として、欧米系の競技は全てが彼らのそのような体格と骨格に基づいているのではないかと考えるようになった。

一方、ビジネスの世界では世界の名だたる企業で未だCEOは言うに及ばず真の意味での副社長にまでのし上がった日本人がどれほどいただろうか。私は頭脳と知能とその成果である学問の分野では我々が彼らに勝るとも劣らないと考えている。だが、ビジネスの世界ではそれだけではなく日常的に体力勝負まで挑んでいく必要がある分野だと最初から知って挑戦した人がどれほどいただろうか。その辺りを考えた時に、私は「アメリカの会社があのようなものだと事前に承知していたら決して転身などしなかっただろう」と言う根拠がある。

我が(生涯で最高の)上司はICT化される前の時代の事だったとは言え、日本時間アメリカ時間の別なく土・日に会社は言うに及ばず自宅にまで電話で指示や連絡をしてくる、陳腐な言い方をすれば図抜けた「仕事人間」だった。その仕事ぶりはPCが普及していない時期だった為もあり車の中にハンズフリーの電話を置いて、四六時中そこからでも東京事務所にも私の自宅にもに電話してきたから、恐らく他の地域にもそうしていただろう。彼は遅くとも朝は7時には出社し、夜は20~21時でも残っていた。

ここで忘れてはならないことがある。それはアメリカの組織では地位と給与の上昇に伴って仕事の量と責任の範囲が天文学的に増えるのだ。その地位と身分と年俸を確保する為には、責任範囲にある仕事を全て完結し結果を出す以外の手段がないことだ。副社長兼事業本部長だからといって”job security”の保証など何処にもない世界なのである。何度も例に挙げたがヘンリー・フォードは社長だったアイアコッカを馘首した返す刀でその腹心の副社長をも”I don’t like you.”と言ってクビにした世界である。

夜遅くまで残っているのはが多いのは能力不足との説もあるが、天才を自称した我が上司は身長2 mで体重が100 kg超の体力で、我が国他の世界中を飛び回っていた。その猛烈振りに157 cmで60 kgにも満たない10歳も年上の私がついていく のは生易しいことではなかった。その彼自身と我々部下たちが最も気を遣っていたのが彼の「体重」だった。即ち、100 kg超は如何にも不健康であるだけではなく、我々彼に万一のことがあってはならないと慕っていたからだった。だからこそ、少しでも彼に運動する時間を取るよう進言していたものだった。

彼はW社のような規模の会社で寧ろ異例な存在でお定まりのMBAではなかったせいで、副社長就任が42歳と決して早くはなかった。だが、その類い希なる手腕で事業部を飛躍的に発展させたものの、結局は家庭に手が回らず離婚となり、仕事の出来過ぎを上司に疎まれたのか、50歳で追われるように辞めていってしまった。この辺りにも「アメリカの会社」の負の一面が見えるような気がするのだ。

ここまでは恰も回顧談のようにになってしまったが、終わりに参考までにW社をアメリカの業界で常にInternational Paperとトップ争いを演じる大企業に育てたオウナー・ファミリーの四代目当主で八代目CEOのジョージのCEO就任は39歳だったことも挙げておこう。ジョージは「会社の名前と名字が同じだからCEOになれたのではない。実力だ」と言っていた。実際にそうだと思わせる大社長だった。彼はエール大学の出身だが、入社時には工場の材木部門から出発して現場を知ることから出発した。この辺りがW社で見たアメリカのビジネス社会の別な一面であると思う。

敢えて解説しておけば(当時はいざ知らず)現代のアメリカの大手製造業(銀行等の金融の分野で新卒を採用するようだが)では工場で働くのは「地方採用」であり、所謂「エリートコース」ではないということ。本社機構には新卒を採用せず、大げさに言えば、ほとんどが同業者か異なる世界で経験を積んだ者が中途採用の形で集められているのだ。我が上司も州立大学の出身で工場の経理係に採用された身分から能力を買われて本社機構に引き抜かれ、コースに乗ったのだった。


I told you so.

2016-02-21 08:22:36 | コラム
田中将大がアメリカはきついと言ったとか:

こればかりは「実際に自分でアメリカ人の中というか、彼らの中に入るだけではなく彼ら独自の組織の中で働いてみて、初めて実感出来ること」なのである。この点は自分の体験と経験を踏まえて、これまでに何度か指摘したことだ。だが、現実にその経験をすることがない立場で、我が国の文化の中で過ごして今後も続けて行かれる方にはいくら説明しても、理論的にも感覚的にも捉えては頂けないことだと思っている。ましてや「我が親愛なるマスコミには」とでも言っておきたい衝動に駆られる。しかも、この点だけは私の得意とする「文化比較論」だけでは簡単に説明がつかないと思う。

田中将大がMLBに行ってみて解ったことは「アメリカ(のMLBで野球をやるの)はきつい。中四日の登板間隔や長距離の移動等」とラジオで述懐したと聞いた。まさしく「だから言ったじゃないか」なのである。私が何度も言ってきたことは「アメリカに行く場合にはただ単に仕事が出来るとか、野球が図抜けて上手いとか、英語がnative speaker並に出来るとか等のことだけでは『こんなはずじゃなかった』という目に遭うのは必定だ」である。

その他には、常に指摘し続けたことで「行って見て初めて実感する日米相互間に厳然として存在する文化(思考体系を含めて)の違いがある」のも動かしようがない事実だ。かく申す私だって自慢じゃないが、文化の違いが本当に理解出来て「これはえらいところに来てしまった」と痛感して何とか合わせていこうと真剣に考えるようになるまでには、間抜けなことに10年近くを要した。それが、英語の壁というものがそれほど高くなかったとしても、それほど容易ならなざる見えざる障壁だったということ。

その文化の違いに加えて、通訳を付けて貰って彼らの中で仕事をするというか、その高額な年俸に見合うだけの働きを求められていれば「きつい」のは当たり前過ぎることではないのか。大体からして「きつい」などという泣き言を言うのが誤っている。Darvishは1年も経たぬ間に「何か異種の競技をやっているのかと思った」と日米相互野球文化の違いを喝破したではないか。

ここまででは、一向に「だから言ったじゃないか」の中身に触れていない。それは「アメリカでは全ての物事が彼らの(白人だけではなくアフリカ系も入れて良いだろう)体格、体力、身体能力(に加えて、もしかして骨格も入ってくるだろうが)等に基づいて設計されているのであって、その中には最初から東洋系の人種が入ってくる事は配慮されていないのである。故に、彼らは何の苦もなくこなしているのだし、それが彼らにとっては社会通念であり、普通のことなのだ。

そこに(飽くまでも一般論だが)体格、体力と身体能力が彼ら並みではない日本人が入っていけば、苦戦するのは当然過ぎるほど当然ではないのか。勿論、東洋系にも個体差があるので、楽々とやってのけた成功例もあれば苦労を重ねて何とかついて行けた例もある。そこにはビジネスの世界であろうと、野球の世界だろうと、英語の壁も悲しくなるほど存在するのだ。だが、経験上では最も苦しめられたのは「体格、体力と身体能力の壁」だった。田中将大は2年だったかを経てそこに気付いたのではないのか。

田中は「中四日の登板間隔」や「長距離の移動」等を挙げていたと聞くが、そんなことは行く前から解っていたと言いたくもなる。だが、実際に経験してみるまではその肉体的且つ精神的な疲労度は解らないだろう。私の極端な身体的な過剰負担(かな?)の経験の例を挙げてみれば「大得意先の欧州出張中の部長さんワシントン州のW社本社に回りたいとのことで現地でアテンド願いたいと要望された。当方はその週に東京で重要なアポイントメント(と敢えてカタカナ語にするが)があり、そのアテンドの為にはアメリカ一泊で帰国せねばならなかった。そして厳しかったが実行した。

するとどうだろう、その週のアメリカ時間木曜日に別のお客様から同じような要望があって日本時間の金曜日に再びシアトルに向かわざるを得なくなった。余りの強行軍に副社長に「土曜日にそのお客様と一緒の帰国ではなくもう一泊させて欲しい」と願い出た。だが、「お前がこのために無理をして出張してきたことを印象づけて言わば貸しを作っておく為にも、ここは辛抱せよ」と命令されてしまった。要するにこれが彼らの「体格、体力と身体能力」に基づく仕事の進め方なのだ。当時は未だ50歳代だったから何とか耐えたが、恐らく彼らならば何ともないことだと思わせられるような厳しい日程で、彼らは世界中を飛び歩いていた。

換言すれば「そのような条件に十分に耐えた働くこと」などは当たり前で、わざわざ”job description”に記載されるまでのことではないのだと、今となっては解釈している。私が最も頻繁に国内で行動を共にした(出張して歩いたという意味)技術サービスマネージャーなどは、ワシントン州からオーストラリアに到着した日に我が国で大問題が発生した得意先の厳命でその晩の夜行便で大阪に入り、問題を解決してその晩にまたオーストラリアに戻っていった「これくらいは朝飯前」と言って。

私はここには「企業社会における文化の違い」を間違いなく見出すが、その基礎になっているところは「体格、体力と身体能力」があると思っている。「それくらいは解っている」と言いたい方もおられるだろうし、実際に経験した方も数多くおられるだろう。しかし、こればかりは実際に経験して初めて解ってくるのではないのか。私は問題はアメリカ側は雇用する方だから、案外に解っていないのではないのかとすら疑っている。アメリカにおける「雇う側」と「雇われる方」の違いは我が国では想像しにくいほど違うのも、これまた現実である。

故に「だから言ったじゃないか」と言いたくなるのだ。ここで英語の講釈で締めくくると「だから言ったじゃないか」は感覚的には”I told you so.”辺りになる。これは良く聞かされた台詞だった。