新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月20日 その2 アメリカ大統領選挙

2016-02-20 08:53:58 | コラム
次なる”Change”は:

19日のPrime Newsはなかなかの聞き物(見もの?)だった。先ずは藤崎一郎元駐米大使が出席されていたのは結構だ。だが、上智大学におられるとは何となく役不足のような気もするが、大学の格がそこまで上がったのかとの感はある。次には明大・海野教授がクリントン陣営にボランテイヤーで参加されて戸別訪問に千数百件も回ってこられた経験をも踏まえて語られたこと。休講にされていたのかと訝った。慶大の渡辺教授の語りには特別の感想もなく普通に聞けたが。

共和党を皮切りに各ゲストが豊富な知識と経験を基に現状を語られたので、私には非常に興味ある内容で大いに勉強させて貰えた好企画だったと思う。結論めいたことを私なりに纏めれば「誰が候補者になるかは未だ解らない」となるが、「職業政治家」、「体制派」(”establishment”に相当するようだが)、「保守」、「リベラル」、「ネオコン」「民主社会主義者」といったような言葉が言わば乱舞した内容だった。

体制派であると思っていた、当時はブッシュ大統領の盟友であったジョージ・ウエアーハウザー率いるW社に勤務していた私には、共和党支持者の中にもごく普通の富裕ではない階層の者が数多くいると聞かされたのはやや意外だった。だが、体制派に属する者たちだけに支持されていたのでは、最早白人を超える勢いの所謂”minority”や労働者階層に圧倒的に支援される民主党と真っ向から戦えないのは当たり前かとあらためて認識でした次第。

聞き終えての感想は「オバマ大統領を2期も当選させてしまった背景にある”minority”という名の多数派にはアフリカ系、アジア系、ヒスパニック、労働組合、”poor white”等に加えて先ず絶対的に富裕層に上がっていけない白人の層もあるのだ」と、あらためて再認識出来たこと。即ち、各党の候補者に選出されるまでにはこれらの複雑な層の支持が必要不可欠である事のようで、それらの層に如何に訴えかけるかという問題のような気がするのだ。要するに、鍵を握っているのはこれらの層であるということになってしまった変化だ。

それは、取りも直さず、20数年前まで私が慣れ親しんできたアメリカとは人口構成がそこまで変わってしまったことが背景にあるので、トランプ氏がメキシコ人を閉め出せ、イスラム教徒を入れるなと恰も暴言のように主張する陰には、少なくとも同氏はそういう危機感を持っていることを示しているのではないのか。オバマ大統領が初選出された頃に「アメリカ建国の時にはイスラム教徒など一人もいなかった」と唱えた私が親しくしていた体制派がいた。誰がアメリカを要らざる方に”change”させたのか、そして”change”させ続けるのか。そしてその方向は。

朝日新聞社恐るべし

2016-02-20 07:51:13 | コラム
朝日は矢張り何の反省もしていなかった:

朝日新聞社はUNの委員会での杉山審議官の発言に対して「遺憾である」との文書を外務省に提出したと報じたそうだ。あの一連の誤報の謝罪記事から寧ろ後退したと思えてしまう恐るべき姿勢だ。ここに至るまでの朝日新聞社の態度を思えば特に驚きを感じなかったが、余りにも厚顔無恥且つ傲慢無礼にも見える。彼らは自分の国家の名誉よりも自社の顔の方が心配だとしか私には見えない。恐るべき新聞社だ。

当方が恐れることは、未だこのような新聞社を信じておられる数百万部の発行を許しておられる読者がおられることだ。

2月19日の日記

2016-02-19 18:04:55 | コラム
東京ビッグサイトに買い出しに行った:

昨18日に家内が24日に手術を受ける為にすぐそこの東京山手メデイカルセンターに入院した。主治医の説明では退院は3月21日頃の見込みである由。従って40数年ぶりの一人暮らしが本格的に始まった。先ず心がけたことは体調の維持で、もしその間に当方の身に何らかの異常が起きても誰も面倒を見てくれる者がいなくなるし、仮に風邪でも引いては面会にすら行けなくなるからだ。言うまでも無いことで患者に風邪をうつせば手術が出来なくなるので。

そこで、本19日は予定してあった某商社がビッグサイトで開催するファミリーフェアーに食料の買い出しに出かけた。有り難いことに東京駅近くの鍛冶橋のバスの駐車場から無料の送迎バスが出るので、10時半にYM氏と待ち合わせてバス待ちの長蛇の列の最後尾に並んだ。暫くぶりに月島を経てビッグサイトに向かう道筋はまるで谷底を走るような感じで、両側に高層ビルとアパートが林立し往年の面影がなく、何処を走っているのかが解りにくいのが極めて印象的。

約30分でビッグサイトに到着したのだが、矢張り入り口には長い列が出来ていて、必ずしも何から何まで飛び切りの安値とは限らないのだが、デフレ傾向が収まりきらない我が国の景気の下では多くの人々がかくの如くに押し寄せるのだと、あらためて実感した次第。YM氏と目指すPハムの売り場に直行して思い思いに特売のハムやソーセージ類を買って目的を達成した。YM氏はその他にもいくらかの食料品を買って帰宅。当方は居残りを選択したが、他に魅力的なものも見当たらず、自販機でジュースを買って飲み干してからまた送迎バスに。

帰路は有楽町駅まで歩くことを選択し、これまた久しぶりに山手線の30分の旅で新大久保に帰還。大荷物は近頃流行のリュックサックに詰め込んだのだが、1週間分にもなるだろう食料品は結構な重量で肩に食い込んだ。途中でまた一寸買い物して帰宅すれば午後は2時半近く。それから遅めの昼食を一人寂しく楽しんでから一休みして3時丁度に家内が待つ(希望的観測だが)病院の5階に。整形外科の患者なのだが、空きベッドがなく産婦人科の部屋にいるので、何となく雰囲気が変わっている。飲料水が無くなったというので2階のコンビニまで買いに降りた。20分ほどいて帰宅。

年老いたる病み上がりの体には矢張りこれほど動けば、病院からの約3分の道のりも長く感じられた。3時半に帰宅。それからビッグサイトでの買い物の整理をしてまた一休みでウトウトすれば、早くも4時半を回っていた。つい家内が何か用意していると錯覚していたのに気付き、慌てて起き上がって先ずPCに向かった次第。夕食にはファミリーフェアーで買い求めた高級な!餃子でも食べるかと考えているところ。明日は仮に雨が降っても代々木上原のYクリニックまでプラセンタエキスの注射に行って体調を強化せねばなるまい。


2月18日 その2 外国を相手にして沈黙は禁物

2016-02-18 14:42:59 | コラム
沈黙の裏を察してくれるのは我が国だけの優しさ美風:

今回の国連女子差別撤廃委員会での杉山審議官の「強制連行説は捏造」発言の報に接して、あらためて我が国を代表して諸外国の隅々までに「我が国とは」を声高く正確に広報活動をすべきである外務省は弱腰であるだけに止まらず、西欧諸国との思考体系を含めた我が国との文化の違いを正しく認識も理解もしていなかったことが良く解った。誠に困った事態であると言わざるを得ない。

彼ら外務官僚は諸外国に派遣され、その任地先で現地の人たちと交流もするだろうし、高級官僚や政治家にも接触するだろう。現地の言語もある程度はこなせるようになるだろう。だが、敢えて言うが「私のように現地の会社に20数年も勤務し、彼らの文化と思想と哲学の下で仕事をする訳ではない」と思う。彼らの文化と思考体系に身を以て接する機会は私ほどにはなかったと思う。

私には英語圏の例しか採り上げられない。だが、その世界で強烈に知り得たことは、アメリカ人の頭脳構造には「以心伝心」は言うに及ばず、黙っている他人の心の中を察してくれるとか、言わなくても解ってくれるだろうという類いの優しい考え方はないという明白な思考体系の違いだった。それは「これくらいの細かいことは言わずもがなだ」などと気を抜くと相手先から「それは聞いていなかった」という結果になり、大失敗だと後になって恐ろしいほど解るもの。ましてや「捏造だった」などという重大極まりないことを真っ向から否定しておかないでいれば「真実だったと認めた」と解釈するのが彼らの手厳しい思考体系なのである。

世界の如何なる大きなスポーツの大会でもフェアープレー賞を取ってくるような綺麗で美しい試合をする日本だから、日本人だから、韓国が如何なる主張をしようと、吉田清治の捏造本を出そうと、朝日新聞が自虐的な記事を載せようとも「まさか日本人ほど綺麗な国民が、あのようなことをする訳がない」などと察してくれるほど欧米人はお人好しではない。黙っている以上、「反論も反抗もしないからには認めたのだ」と思うのが自然なのである。

大体からして「ノー・コメント」と言えば「自分に不利なことをは言わない」と思っているらしい同胞が多いのは大間違いで、あれは「反論の余地がない」と認めたと解釈するのが英語圏の国の考え方だ。そんな外国を相手に良くも長年言うべきことを言わずに、今日の事態を招いたのは、私には外務省を含めた官僚と政治家の外国との文化と思考体系の違い知らずの責任が大きな位置を占めていると思えるのだ。

戦後70年を経て、これまでに数多くの「沈黙は認めたこと」の痛みを学習しながら、これまで汚名返上の手段を講じてこなかった外務省には大反省を促したい。もしかすると、外務省は弱腰ではなく「違い」を知らなかっただけではないのか。実は、この点はビジネスの世界で活躍する人たちも例外ではないと敢えて申し上げて終わる。後難を恐れて言えば「留学や駐在したことでは解るような違いではない」ということ。要するに諸外国と論争する場合には”Better late than never”なのだが。


Better late than never

2016-02-18 13:53:16 | コラム
慰安婦の強制連行は捏造:

昨日、産経が一面に白抜きで「慰安婦問題」とした上で「20万人、朝日が混同」とジュネーブから田北眞樹子記者発の記事を載せました。内容は「日本政府は国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した」とありました。説明者は外務省の杉山晋輔外務審議官で強制連行を裏付ける資料がなかった事を説明し、吉田清治の捏造で朝日がこの本を大きき報じたことが国際社会に大きな影響を与えたとあります。

やるべき事を弱虫の外務省が漸くやったのであって、私は快挙ではないまでも「良くやった」と少しは褒めても良いだろうと思いますし、私が日頃唱えている”Better late than never”が実践されたことだと思うのです。このような説明を今後ともUNの場のみならず全世界で展開していって欲しいものだと思います。当然韓国は反抗するするでしょうが、本当のことを百ぺん言えば本当のことと解らせられるでしょう。嘘だって百回言えば本当のことだと思わせるのですから。不思議なのは、このことを伝えたメデイアが少なかったことです。矢張り反日勢力には面白くなく価値がないニュースだったのでしょうか。