新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ワクチンの入荷/供給と需要態勢に思う事

2021-05-25 08:54:03 | コラム
菅首相肝いりの大型接種会場では5,000人に接種:

私は高齢の一新宿区民としては、菅首相には肝いりの大型接種会場での接種が初日に5,000人を達成したことに満足されるだけではなく、未だに1回目の接種が29日や来月になっている市民もいることに少しくらい気を遣って貰いたいと思うのですが、不当でしょうか。

私はワクチンの入荷/供給に関しては市場に情報として流布されているように、アメリカ(EUのファイザー?等)からの入手と市場への供給が本当に十分なのかと、疑問に感じております。そう言う根拠は取り敢えず2件あります。

1件目です。先日は調剤薬局の店長から「新宿区では漸くワクチンの供給が潤沢になったようだ」と聞いたと書きました。その直後に一般的な接種の予約を受け出したと聞いた病院に診察を受けに行きました。しかしながら、何処を探してもその旨の掲示がありませんでした。そこで、受付の女性に尋ねてみました。答えは、接種の予定表を取り出して「このようになるはずでしたが、未だにワクチンが入ってきていないので、予約は・・・」でした。

2件目です。昨日は掛かりつけのクリニックに行きますと、受付の掲示が変わっていて「ワクチンの接種(現在は医療従事者のみ)は7月31日まで午後に」となっていました。S医師に尋ねてみると「兎に角ワクチンが・・・」でした。事実、新聞に出た新宿区への割り当ては、6月末と7月初旬に50箱でしたから、開業の医院やクリニックまでは回ってこないのも、当たり前かと思わせられました。国立国際医療研究センターでは「接種はしていない」と大きく方々に出ていました。「この病院でこれでは、他のところでは」と半ば落胆させられました。

この状態では我が方で、私が来たる29日、家内が6月2日にそれそれ1回目の予約となっているのは、有り難いことだと受け止めるべきかと思ってしまいます。その時にあって、大型会場では首相の肝いりで、既に昨日から5,000人もの接種が出来たという報道には、本末転倒ではなく、末は軽んじられているのかと思ってしまいます。だが、あれはModerna(くどいと言われようと何だろうと「モデルナ」の表記にはウンザリです)のワクチンだとかですが、新宿区では75歳以上は17日から開始されていれば、ファイザー製でしょうか。

昨夜のPrime Newsではアメリカのバイデン政権が韓国にワクチンの原液を送って最終製品にすると取り決めたとの件が論議されていました。韓国側では文大統領の訪米の大いなる成果と受け止められているようです。私にはこれが韓国が言うように、我が国を出し抜いた成果か否かは解りません。だが、菅首相のファイザーのブーラCEOとの電話会談の成果の具体的に現れているのだったら、遅滞なく報道して、疑心暗鬼を生じている新宿区民を少しでも安心させて欲しいものです。重ねて言いますが、首相にはその辺りまでの心遣いがあっても良いのではないのかなと思っております。

5月24日 その2 昨23日の勝負から

2021-05-24 12:13:27 | コラム
勝負の面白さと苛酷さを見た:

ラグビーのトップリーグ:

先ずは午後1時過ぎから始まったラグビーのトップリーグの決勝戦から。サッカー出身者として羨ましいなと痛感させられたことがあった。それは、パナソニックの快足ウイング福岡堅樹君の最終試合であるとNHKが売りにして中継し、緊急事態宣言下にあれほどのラグビー礼賛者が観戦に来るということ。当方は昨今恐る恐る「Jリーグのサッカーの試合は余りにも緊張感も迫力もないのでほとんど観ない」と言ってしまっているのだ。その感覚と比較すれば、ラグビーのこの水準にある試合の方が、本当に残念だが単純に面白いのだった。

決勝戦はパナソニック対サントリーで、川淵三郎氏が築き上げたJリーグとは物の考え方が根本的に異なるようで、企業名がもろに表に出てきているのだ。当方はどちらが勝とうと余り関係がないのだが、外国人の中に日本人の選手も混じっていると言いたい試合の流れに興味があった。特にサントリーにはニュージーランド代表だったSOのボーデン・バレットがいたので、その上手さには興味も関心もあった。パナソニックは彼ほどの凄い選手はいないが、福岡をどう活かすかには少しだけ興味があった。大体からして団体競技で、一個人を特定して騒ぐのはおかしいと思っているのだ。

結果的には、先行したパナソニックをサントリーが追い切れずに6点差で負けたのだった。凄いなと感じたのはバレットのポジション取りだった。それはラグビーフットボールという以上、キックというか蹴る能力が重要になるのだが、この試合では両方のSOもSHもTBもパントキックを多用した。その長いパントキックは察するに、相手の守備陣形を見て空いているところを狙うのだろうが、サントリーの場合はパナソニックが何処に蹴ろうと行く先にはバレットが待ち構えていたのには恐れ入って、「流石」とその読みに敬服して見ていた。

私が見たところでは「何れの実力が上」と言うよりも、所謂「サドンデス」(sudden death)方式のトーナメントでは「時の運」も働くので、パナソニックの勝ちとなった。だが、本当に白か黒かの決着を付けるには、最低でも3回ほど試合をやらせてみないことには、どちら本当に強いのかは解るまいと思った。

女子の中京テレビブリジストンレデイース:
これは、目下日の出の勢いで勝ち続けている稲見萌寧の凄さというか「ゴルフはUKが発祥の地と聞いたが、恰もアメリカ系の球技の如くに『モメンタムのスポーツ』か」と思わせられたほど、見事な圧倒的な優勝だった。彼女の冷静そのものと見える感情の動きを見せないプレー振りには、往年の不動裕理の凄さにも似たものを感じた。兎にも角にも、第1ラウンドの13バーディーに2ボギーという記録では、パープレーのホールが三つしかなかったというのは凄すぎる。

この今年度で5勝もした稲見のゴルフが実力を付けつつある段階なのか、またはモメンタムに乗った勢いだけなのか、あるいは両方なのかは解らない。これで、オリンピックの出場資格では「シンデレラ何とか」と持て囃された後は、私が未だに出会い頭ではと疑っている渋野日向子を追い越しそうなところまで来てしまった。しかし、渋野は何と言っても所謂メイジャー(くどいと言われても“major”を「メジャー」と表記するのは許さない)を制覇した実績があり、現在はアメリカに渡って苦労して勉強中だ。

強行開催されれば、後2ヶ月しか残っていないオリンピックにどちらが出て行けるのかも、興味深い見物だと思う。本来ならば、もっと時間をかけてどちらの実力が上かと判定したい物だと思わずにはいられない。昨年の11月に亡くなった弟はシングルハンデイキャップにもなっていたゴルファーだったが、「優勝はフロック(英語は“fluke”で「まぐれ当たり」の意味)で、2位に来るのが真の実力者である事が多い」と言っていた。これを当て嵌めると渋野は未だ「フルーク」のような気がするのだが・・・。

大相撲:
ここは興行界の出来事。カタカナ語を使って表現すれば、優勝者はプレーオフまでもつれ込んだ結果、照ノ富士となった。照ノ富士は破竹の勢いで勝ち進んできていたので、全勝優勝かと思われていたようだった。それが意図的だったとは見えない相手の髷を掴んだ反則を検査役に判定されて負けとなってから2連敗し、貴景勝にも「本割」とやらで負けて、12勝3敗で並ばれてしまった。勝負の流れというものは解らないものだと、その優勝まで持って行くことの難しさを見せてくれた。

ここではマスコミの論調の面白さを論っておきたい。それは、あそこまでどん底から上がってきた照ノ富士を「来場所は綱取り」と書き立てていること。それならば、同じ12勝3敗だった貴景勝の横綱昇進の有資格者ではないのかと尋ねたくなる。尤も、あの世界は、我々で悪ければ私が暮らしている一般人の世界とは文化が異なるのだから、優勝した照ノ富士だけが有資格者となる決め事か慣習があるのかと思っている。あのプレーオフでは1回しか取り組めないが、せめて3回くらいやらせてあげないと「真の勝者」とは言えない気もするが、物理的かフィジカル的に無理な相談か。


強行開催となるのか、オリンピック

2021-05-24 08:00:48 | コラム
野党とマスコミは屡々「強行採決」と言うが:

つい先頃のオリンピック・パラリンピックについてのオンライン会議での、IOC副会長とやらのJohn Coates氏の発言は誠に不愉快だった。失礼、コーツ副会長は「真正面からIOCのオリンピック開催の意向を、極めて解りやすい言葉で真っ向から表明しておられた」と言うべきだったかも知れない。だが、如何にIOCが思い上がっているかと同時に、我が国の関係者たちから侵すべからざる神聖なる存在の如くに崇め奉られているとは申せ「非常事態宣言があろうとも関係なく開催する」という言い方には呆れるだけで、言うべき言葉を知らなかった。

言葉を換えれば「IOCが開催すると決めた以上、主催都市とその国の側に如何なる悪材料が発生していようと開催するのである」と、ごく当たり前のことだと思って、IOCの意向をバッハ会長に代わって我が国にお伝え下さったと解釈するしかないのだった。これを野党とマスコミが屡々用いる表現を真似れば「強行開催」とでもなるのだろうか。要するに「IOCがそうと決めれば、何ものも何事も、それを遮ることなどあり得ないのだ」と解説されたのだ。強行採決にしたところで、多数決が原則である民主主義の下では「強行でも何でもない」と言えるのと同じ理屈だと思う。

私はIOCが雨が降ろうと槍が降ろうと開催すると言うだけであることの最大の理由の一つが、NBCからの中継放映権料であると思っている。彼らはそう表だって言わないだけであり、他の理由は後付けだと思っている。故に、私が既に傲慢だと切り捨てたオーストライリア人(カタカナ表記にご注意を)のコーツ副会長は、せめて小さな声で「実は此れ此れ然々で」と言えば少しは可愛げがあると認めてやるが、あの我が国を見下したような語り口には、反感を覚えるだけだ。

極論を言えば“vaccination”を何時まで経っても「ヴァクシナイション」というような発音をしている神経を疑うのだ。私は何人ものオーストラリアとニュージーランド人を知っているが、あれほど露骨にオーストラリア独特のアクセント(いうのか訛りというかは別して)を修正していないお方は珍しいような気がする。余計な揚げ足を取ったと思われたかも知れないが、私はあのコーツ氏の傲慢な態度を見れば、その上司であるトーマス・バッハ会長をワシントンポスト紙が“ripper-off”、即ち「ぼったくり男爵」と呼んだことが、今更ながら納得できるのだ。

マスコミには度胸がないから、自民党と公明党の政権がやることを直ぐに「強行採決」と誹るが、IOCのあの傲慢な姿勢を「IOCは強行開催へ」と報じるほど性根が据わっていないようだ。バッハ会長が何と言われるか、一度で良いから批判して試してみることくらい出来るのじゃないか。君等が尊敬するアメリカの有力地方紙、ワシントンポスト紙はやったじゃないか。


平井デジタル化担当大臣は言った

2021-05-23 10:53:17 | コラム
デジタル庁の組織は全員横一線で:

先ほどまで見ていたフジテレビのThe Primeに出席された平井卓也担当大臣は「デジタル庁の組織では全員が横一線であり、部だの課だの言う組織は設けない。それは新しいことを創造しようという目的のためには、上下関係は不要だから」と述べておられた。尤もであるとは思って聞いた。平井卓也担当大臣がこの発想というか思考を何処から得られたのか知る由もないが、アメリカの組織の在り方にも似ているのが興味深かった。また、この「管理職の下に横一線」という考え方は、嘗ての日本興業銀行の常務だった上田正臣氏が提唱されて、銀行内で物議を醸したと伺っている。

自分自身がアメリカの大手製造業の会社所属して経験したその「横一線」というか事業部長乃至は部門長に全ての権限が集中しており、部員全員には身分というか位の上下がない組織では、確かに事業部長には全員から報告が上がるので風通しは良かったと思う。同時に、事業部長からは全員に上意下達が行き届いていたが、部員間の横の連絡はそれほど緊密ではなかった。他の部員が何をしているかは、誰かが事業部長に提出する報告のコピーを恣意的に選んだ同僚にでも落とさない限り、先ず直ぐに知ることはなかった。

これがアメリカの組織の特徴で、即戦力になる者たちを事業部長が直接に面談して雇用の条件を決めて採用するのだから、言わば専門職というかスペシャリストの集団であり、それぞれが条件に応じて自分だけの力量で、与えられた“job description”=職務内容記述書に定められた仕事をやり遂げていくのである。そこには、他の部員の力を借りることなどあり得ないし、事業部長からの細かい指示などない。何度でも言うが「アメリカの組織とは、それほど個人の能力と主体性に依存するように出来ている」のである。

狙いは全員が与えられた課題を無事に達成していれば、その組織というか事業部でも良いのだが、事業部長が目指した成果が挙がって全員が目出度し目出度しとなって、事業部長は社長から高額のボーナスを貰えるという仕組みになっているのだ。部員はどうなるのかとお尋ねか。彼らは事業部長との査定の会談で適正な評価を得て昇給もするし、減俸もあるようになっているのだが。

平井大臣が言われていたことを勝手に解釈すると「部門長か事務次官(と言う役職者がいればだが)の下にデイジタル化の、我こそはと思っているような専門家を集めて、上下の差別なく相互に連絡や相談や打ち合わせを重ねて、我が国が恥ずかしいほど世界に遅れているデイジタル化を、あらゆる分野で達成し行こうという壮大な試みであろう」となる。そこに求められるだろう事は「テイームワーク」であり「皆で一丸となって」との精神構造だろう。その個性集団(だろう)の上に位して纏めていく指揮官は、余程この分野に精通していないと全体を御しきれないのではと感じた。

この極めて難しい課題を、組織として最も下位になる肩書きのない部員、更にそういう者を指揮する課長、そして複数の課長を束ねていく司令塔の部長という現在までの我が国の年功序列をも加味された組織というか構成では、承認の判子こそ廃止されるそうだが、段階を踏んでいく間に「折角出てきた知恵もアイデアの霞んでしまうかも知れない気がする」のだ。そこを排除しようと平井氏は考えられたのだろうと思う。しかし、年功経験とそれに伴う実力の積み重ねに馴れた人たちが、どれほどの成果を挙げるかは、実行してみなければ解るまいと思う。壮大な実験である気もするが。

我が国の組織の中で17年有余を過ごしてから「職務内容記述書」の世界に突然身を投じて、自分の(果たして何処まであるのかこれから試そうという)力量か実力だけしか頼りに出来ないと解ったときの恐ろしさは、大変なものだった。でも「やるしかない」と割り切ったのだったが「失敗したらどうしよう」などいうことなど考える暇もなく、未知の世界に飛び込んでいったのを思い出した。

それと形だけでも同じ組織を平井氏は導入しようと言われたのだが、そこに集う専門職の方々は、何処までその難しさを意識して取りかかるのだろうかと考えてしまった。だが、そこにあるだろう救いは「私のようにアメリカ人の中にただ一人だけの外国人として入って行ったのではなく、同じ日本人が率いる組織である」という点だと思う。また同僚となるだろうデイジタル化の専門家たちは、個人の力量だけで生きていこうとは考えずに、「皆で一丸となって」との精神で纏まって行くだろうと勝手に想像している。

デジタル庁が菅首相の構想の通りに、平井卓也担当大臣の指揮宜しきを得て成功することを、切に希望するものだ。ワクチン接種の予約だけであれほど混乱するような事態が、二度と生じないためにも。


5月22日 その2 良い時代になったものだ!?

2021-05-22 14:39:06 | コラム
現金でのお支払いは出来ません:

同じ事を2回も掲載しますが、先ほどは「その2」とする前にクリックしていました。粗忽でした。

一昨日のことになってしまったが、通院の帰りに新大久保駅前でバスを降りて、週刊誌でも買って帰ろうかと後ろを振り向くと、1年ほど前に新装なった(奇妙なカタカナ語にすれば「リニュウアルオープンされた」とでもなるか)駅舎の中に、今度は売店が開設されたのが見えた。てっきり従前の売店かと思って近付けば、見出しのような掲示がされていたのだった。「ヤレヤレ」と思って中も見ずに引き返したのだった。確認はしなかったが店員さんはいないようだった。

恐らくスイカであるとかパスモの類いをスマートフォンに落とし込むか、所謂電子マネー式のものでお支払いをと言う方式で、人件費も節約になっているのだろう。当方はパスモは持っているが、憎き新型コロナウイルスの流行以来、殆どJRにも私鉄にも乗らないので、チャージはしていないのだ。スイカも持っているが、パスモばかり使っている間に無効になってしまったので「最寄りの駅である新宿か高田馬場のみどりの窓口で再度手続きをして有効にして下さい」と言われてしまった。という事は、新大久保駅には売店は出来たが、みどりの窓口はないという事らしい。

以前から「時代はスマートフォンによる包囲網が縦横無尽に張り巡らされ始めて、旧式の(誰が言い出したかも知らない「ガラパゴス携帯」などと言う下卑た名称は採らない)二つ折りの携帯電話の所有者にとっては、誠に意地が悪い時代になったものだ」と言ってきた。そのうちに、間違いなく「ワクチン接種証明書」か「パスポート」の類いは、スマートフォンに装備されるようになるだろう。と同時に「こうすることによって、貴重な天然資源を消耗する紙類も節約できる」と謳って。

言いたくはあるが、これも「ほぼ間違いなく見当違いの世迷い言だ」と敢えて言っておこう。世間では屡々「我が国は資源小国」などと卑下する傾向が見られるのも遺憾だ。我らが紙パルプの原料になる針葉樹や広葉樹は、確かに我が国には潤沢にあるとは言えない。故に、当方が在職中にはウッドチップも製紙用パルプも、特に針葉樹ものは、大いに輸入に依存していた。我がW社などはその我が国向けの輸出の巨頭だった。言いたい事は「我が国で消費されている紙・板紙類の原料は、アメリカを始めとする海外の森林資源に依存していたのだ」という事。

ここから先は解りやすくするために極端な表現を用いるが「我が国で環境問題論者が貴重だと指摘する紙・板紙類の節約は、何の事はない海外の余所の國の森林資源を節約しているのと同じではないのか」と言うこと。現在では多くの製紙会社は海外に自社林を開発して、そこからのウッドチップ類を持ち込んでおられるのだ。勿論、北海道その他の広葉樹林を自社で育成して原料にされることも続いている。

かく申す私は恥ずかしながら、W社の自社林や製材所やウッドチップを造る現場を見たことはあるが、我が国の森林地を訪れたことがないほど、一般人には縁がない業種だと思う。紙類の消費を節約すると言われる方々は、何処まで現場と我が国の製紙会社の現場を見ておられるのかと思ってしまう。一度でも良いから、ワシントン州とオレゴン州に行って、600万エーカー(1エーカーは約1,200坪)というW社の森林を見てくるが良い。何度も指摘したが、ヘリコプターで1時間ほども社有林に上を飛んでいたのだった。

新大久保駅の売店のことを語ろうと思って書き始めたのだったが、ついつい永年の鬱憤を晴らそうという気になってしまって、筆ではなかった、指が滑ってしまった。同じ日に馴染みの薬局でスコッテイの太巻きにした8本入りのトイレットペーパーの狙いは「これにより、包装に使うフィルムと巻メート数を増やす代わりに紙管を細くして紙が節約できるのだ」と解説された。

結構なことだと思うが、それによって節約されるプラスティックと紙の量はどれほどかと思わずにはいられなかった。でも、環境を保護して地球温暖化を防止する大義名分の前には、当方は世迷い言を言っているに過ぎないと反省しきりだった。つい先日も、世界の新聞用紙の需要の衰退振りを採り上げたが、世間様は何処まで紙類を虐げられる、失礼「節約される」でした、ご意向なのかとやるせない気分になった。