新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

注意力散漫

2022-07-26 08:50:23 | コラム
Tシャツが後ろ前だった:

お恥ずかしながら、当方はどうやら生まれついての粗忽者のようで、これまでの人生で屡々「あっつ、しまった」という小さな失敗を繰り返してきた。幼稚園から小学校入学の頃には「注意力が散漫である」と親が注意されていたようだったし、今で言うお手伝いさんたちには「一時もジッとしていないので困る」と苦情を聞かされていた。簡単に言えば「そそっかしい」のである。

そのそそっかしさ歳を追うごとに顕著になってきたようで、現在の89歳ともなれば「あっつ、やっちゃった」が頻発するのだった。だが、自分で勝手に「これは認知症の前駆症状ではない。ただ単にそそっかしさが増幅されただけだ」と思い込むようにしている。

最近はCOVIDの感染を怖れつつも、少しでも体を動かして「老化」を幾らかでも食い止めようと、ジム通いを復活させている。朝出掛ける前には、忘れ物がないかとリュックサックの中身を調べ直している。そこで犯す失敗は「中にチャンとものが入っているか」を調べても「何が入っていないか」を見落とすことである。例えば、履き替えるべき靴下の有無は確かめるが、ポカリスエットを入れた小型のペットボトルが入っていないことには気付かないような失敗である。

昨日はロッカールームに到着してから忘れ物がなかったことを確認して「これで良かった」と一安心して着替えを終えて、4階のジムに上がった。無事にストレッチの体操とLEGという機械で足が動くような訓練をしてから、一周100mのインドアトラックで意気揚々とウオーキングを開始した。好調に100mを70秒ほどで3周してから、永年の顔馴染みの同年齢のご婦人に手を振ってから立ち止まって、トラックを外れて挨拶をした。

そこで、ふとトラックの周囲に張り巡らされている鏡を見ると、白地にBROOKS BROTHERSとプリントとされたTシャツを後ろ前に着ていた自分の姿が映っていたのだった。


味なことをする世界陸連

2022-07-25 15:41:47 | コラム
「脱ペットボトル」だったとか:

当方は、あのTBSが織田裕二と中井美穂を使って懸命に中継放映に励んでいる、このアメリカはオレゴン州ユージーン(Oregon州Eugene)で開催されている世界陸上は申し訳ないことで、それほど熱心には見ていない。だが、女子のやり投げで北口榛花さんが3位に入賞された快挙も録画で見ていた、偉いものだと感心しながら。

ところで、何処のニュースだったかで「選手たちがゴールした後に取り出して飲んでいる白い容器には何が入っているのか。牛乳では?」という話を採り上げていた。私は永年の経験からして、あの開閉可能な口栓が付いた容器は、その形状からして一目でTetra PakのTetra Brik(テトラブリック)ではないかと読めた。だが、まさか牛乳ということはあり得ないだろうと思っていた。

すると、その続報のような形で「あれは紙パックであり、中身は水である」と報じられていた。私はそれほど気にも止めていなかったが、あれは明治乳業が「おいしい牛乳」の900mlのパックに使っているテトラブリックと同じ紙パックだろうと見ていた。テトラブリックならば、冷蔵輸送乃至は冷蔵ケースを使わないで常温で野外に置くことも可能なので、面白い着眼点かと思っていた。だが、報道によれば「時節柄、PETボトルを避けて紙パックを採用した」そうだった。

「なるほど。それならばユージーンの隣のワシントン州バンクーバーに俗称アメリカテトラパック(Tetra Pak Inc.)の紙パック加工工場があるではないか」と思いついた。この工場はそもそもウエアーハウザーの工場だったものを、アメリカに進出したテトラパックに譲渡したのだった。念の為に申し添えておくと、ワシントン州に隣接するカナダのブリティッシュコロンビア州には著名な風光明媚のバンクーバー(Vancouver)があるので、屡々混同されていた。

紙パックに話を戻せば、嘗ての業界や一般の消費者の常識では「紙パックに水を充填すれば、紙に水が浸透してしまうだろうから、ものの役には立たないだろう」と懸念されていた。だが、この水が滲んでいくことを防止する紙パックの加工技術は、1970年台後半に既に開発されていた。だが、その加工コストと需要が何処まで伸びるかに疑問があったので、余り急速には普及していなかった。

しかしながら、我が国の高度な技術水準では水よりも困難だと見られていたアルコール類(日本酒やワイン)の紙パックは、1980年代にはその技術をアメリカに逆輸出する(ライセンスを降ろす)までに至っていた。紙パックはそこまで広い範囲に応用されていたのだから、今回のようにテトラブリックが世界陸上の会場で使われていても何の不思議もないと思う。

だが、アメリカは未だにヤードポンド法に固執しているので、あのパックは恐らく1,000mlでも900mlでもない、クオート(quart)の0.9461リッター入りではないかと考えていた。ではあっても、世界陸連も味なことをしてくれるものだと感心している。

確かにペットボトル(ポリエチレンテレフタレート=polyethylene terephthalate)の使用を回避したのは、プラステイックスのゴミ削減に貢献するだろう。だが、アメリカで「水をペットボトルよりも高価だろう紙パックに入れて販売して、需要があるのだろうか。費用対効果が期待できるのだろうか」との疑問は残るのだ。でも、永年紙パルプ産業界で過ごしてきた者から見れば「脱ペットボトル、大いに結構」と言いたくなるのだ。


7月24日のスポーツ

2022-07-25 08:31:11 | コラム
サッカーと野球:

サッカー:
東アジアE-1選手権とやらの中国対我が方のB代表のそのまた二軍の試合を観戦した。森保監督は前回の対香港戦で6点を取った者たち全員に替えて、全て新たな選手を起用したと聞いて「如何にもこの人らしいことをする」と感じていた。私は未だにこの監督さんを何処まで信頼して良いのか判断に迷っている。この総入れ替えも、招集した者たちを使ってみて何処まで出来るかを試そうとの意図があったのかも知れないが、格下相手に0点の引分けではどう評価すべきか解らない。

新メンバーたちは当方が最も嫌っているサッカーを展開して、遂に全員が引いて守り、甚だしいときは解説の岡田武史氏が指摘されたように、中国が守りに5~6人を並べていたので、大袈裟に言えば蟻一匹も入り込めそうな隙間もなかったかのように見えた。中国は時たま機会が訪れれば逆襲には出たが、何としても得点を許さないとの固い決意の下に試合に臨んでいたのであると見た。そこに決定力不足の我が代表が攻め込むのだから、大きな期待は出来なかった。

その相手に対してBティームの二軍たちは攻めあぐんでいた。そうなったのも当然で、何時ものように後陣で安全第一のディフェンスバックス間で横→横→後のパス交換でボールを保持し、少しでも相手突っかけてくれば躊躇せずにGKまで回してしまうのだ。テレビ中継だとボールのあるところばかりを映し出すので、昨夜は極力前線で誰かが裏を取って動くか、フリーになろうとするかを見るようにしていた。ボールを持っている者が裏に落ちるパスでも出すかにも注目していた。

正直に言えば、そう期待するのは無駄だと解っていた。彼らは結局中国の鉄壁の守りを崩せなかった。釜本が指摘していたように「現在のサッカーでは寄せてきた相手を抜き去っていくような『自分でやってやろう』というサッカーを何故やらないのか」と、苛立たせられるサッカーが90分間も展開された。

それが「安全第一」なのか、そういうサッカーをするように子供の頃から育てられてきたのかは解らない。だが、我々のWMフォーメイションの時代とは比較にならないほど技術が向上していながら、何故あれほどパス交換に徹して攻めないのかと気になった。また「シュート力が弱いのも何故かな」と不思議に思っていた。

President誌の対談で川淵三郎氏が「Jリーグを作ってから全般的に技術の水準は上がったが、サッカー界には大谷翔平のような図抜けた選手が現れない。物足りない」という意味の事を言っておられた。これに対して、ファーストリテイリングの柳井正氏が「思い切ってやってやろうという気概が見えない世代だ」と指摘しておられた。良いことを言っておられると感じて読んだ。

私は四十雀でサッカーを楽しんでいた頃に、何度か若い世代と試合をする機会があったが、技術水準は我々の世代では考えられないほどの高みに達していたが、気迫は感じ取れなかった。そういう事実から考えてみると、「これこそが世代間の物の考え方と見方の隔たり(ギャップと言えば解りやすいか?)の表れであって、昭和一桁生まれでWMフォーメイションの時代のサッカーしか知らない者が論評すべきではないのか」と考え込まされた。

スワローズ対カープの野球:
この言わば「裏番組」も一寸気になっていたので、しきりにチャンネルを変えて見ていた。と言うのも、スワローズが前夜に多くの非感染者を使った試合で、カープに22本ものヒット打たれて惨敗していた状態から、どれほど立ち直っていたかに関心があったからだ。既に指摘してあったことで、スワローズは多数の感染者が出た後でも監督も不在でも、試合を続け5連敗したのに、3連戦を中止して貰った球団もあったからだ。連盟の措置は不公平ではないかと言いたいのだ。

所が、途中から見たこの試合では、スワローズは青木宣親を除いて全レギュラメンバーが復帰していたし、高津監督の顔も見えていた。残された関心事は「前夜に22本も打ってしまったカープが晴らしてスワローズを連覇するほど打てるのかな」だった。矢張りというか何というべきか打てずに、4対2で負けてしまった。勝った方のスワローズにしても、4点が全部ホームランで、流れの中でRBIを取っての勝利ではなかったが、多くの主力選手が復帰したばかりでは仕方があるまい。

これでまた、「セントラルリーグでは勝率が5割に戻ったカープ以外の4球団の負けの数の合計が、スワローズの勝ち数に等しい」という状態になってしまった。言ってみれば、セントラルリーグの火が消えそうな「一強五弱」の事態に近付いたのである。それも問題かも知れないが、NPB当局はこのCOVIDの第7波襲来の時期にあって、大量の感染者を抱えてもオールスターゲームを本気で開催するのだろうか。

なお、「何故、逸ノ城が平幕優勝した相撲を取り上げないのか」という疑問に対しては「私は相撲とは我が国の歴史と伝統に輝く興行である」と認識しているので、ここに論じる考えはないと申し上げておく。


2022年世界の大学ランキングに思う

2022-07-24 09:08:08 | コラム
我が国に誇りと自信を持つべきである:

言い換えれば「我が国にとっては、最早ヨーロッパ/アメリカへの崇拝(憧憬)は無用ではないか」なのだ。この点をPresident誌の22年8月12号で、脳科学者・茂木健一郎氏が独立研究者の山口周氏との対談で指摘しておられた。それでは「世界の大学ランキングは何処に行ってしまったのか」との疑問が出るだろうが、そこに行く前に、私にとってこの両氏の対談で印象的だったことから入っていこう。

それは、両氏が「このイギリスの高等教育専門誌The Times higher educationが毎年発行する世界の大学ランキングの22年度版には上位50校以内には東京大学が35位に入っていた以外には1校もなかったことを嘆くには当たらない」と指摘しておられた点である。茂木氏は“東大、京大が揃って上位にランキングされていない現実に「おまえらもっと頑張れよ」と思っていた。”と言われていた。

更に「でも、ここ最近はどうでもよくなってきてしまった・・・。つまり、これは当然の話なんですけれど、イギリスの教育界かジャッジするランキングですから、圧倒的に英米の大学が上位を占めているんですね。そんな彼らの価値観に、そもそも他言語文化の日本が必死に寄り添う必要はあるのかという疑問がある」と指摘されていた。賛成である。

そこを受けて、山口氏は「他者が始めたゲームに気づいたら参加させられていて、しかも真面目な日本人は、その土俵で必死に頑張り、上位を目指してしまうサガがあります」と応じられていた。20年以上も彼等アメリカ人(「白人」としても良いと思う)の中で、彼らの1人となって、彼らの思想・信条・哲学の下でというか、彼らの文化と思考体系に順応して働いていた者として言えば、この点も尤もな指摘であると思う。

換言すれば「彼らヨーロッパ/アメリカ人たちが打ち出した基準を最高のものの如くに崇めて受け入れ、それに何としても付いていこうとする必要は最早ないのではないか」と言っておられると読んだ。私は永年の白人世界で過ごして「我が国にはヨーロッパ/アメリカにはない独得の文明(civilization)と文化(culture)がある。それらを何か彼ら白人の世界のものよりも低位にあるかの如くに誤解して卑下する必要など毛頭ない」と認識しているので、両氏の指摘を尤もだと解釈したのだ。

敢えて再確認しておくと、私はこれまでに何度か「マスコミが世界の最新の科学と学問、スポーツ、歌舞音曲といった芸能の分野に我が国の優れた人たちが進出して輝かしき実績を挙げるか、世界的に著名は賞を受けると欣喜雀躍して、一斉に連日連夜報道して『さー、皆で祝いましょう。喜びを分かち合いましょう』と騒ぎ立てるのだ。

それはそれで結構なことだが、海外で認められたことでそんなに歓喜する時代は過ぎたのではないか。我が国には“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と称えられた時期があったではないか。海外進出が快挙であった時代は終わっているのではないのか。もっと矜持を持って自分の国に誇りを持つべきではないのか」と指摘してあった。茂木氏と山口氏の指摘は、こういう点を穏やかに、実例を挙げて語っておられたと読んだのだ。

そこで、President誌に掲載されたランキングの概要を取り上げておこう。意外だと思われる方はおられるだろうと思う事は、我が国で崇められているIvy Leagueの代表的な名門、ハーバード大学は第3位なのだった。第1位はオックスフォード大学、第2位はカリフォルニア工科大学(Caltech)、4位はスタンフォード大学、第5位はケンブリッジ大学、第6位はマサチューセッツ工科大学(MIT)、第7位はプリンストン大学、第8位はカリフォルニア大学バークレー校(州立)、第9位はイエール大学、第10位はシカゴ大学となっており、上位10校は見事なほどアメリカとUKの大学だった。

50位までをザット見ていくと15位にスイスのスイス連邦工科大学チューリッヒ校、16位に北京大学と精華大学、17位にトロント大学(カナダ)、21位にシンガポール大学、30位に香港大学、32位にルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ドイツ)、33位にメルボルン大学(オーストラリア)、35位に東京大学、37位にブリティッシュコロンビア大学(カナダ)、38位にミュンヘン工科大学とアメリカとイギリス以外の大学がランクされていた。因みに、50位にはマンチェスター大学(UK)だった。私は中国の大学の評価が高いのは気になった。

重ねて言うと、「このようなランキンが出てきたことで一喜一憂する必要などない」のである。寡聞にして、このランキングを採り上げて報じていたメデイアがなかったように思うが、もし見る機会があって、報道機関が卑下するような自虐的な論調だったとしても「何を言うか」と相手にしないようにして頂きたいのだ。山口氏は「相手の土俵で必死に頑張らないように」と示唆しておられたではないか。私はこの指摘は報道機関に向けられたと解釈するものだ。