新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「半旗を掲げる」って何の事

2022-07-14 09:19:57 | コラム
首相官邸が掲げたのが遅かったとは:

何処かの外国よりも官邸が半旗を掲げたのが遅かったと、ある新聞が批判していた。「何をやっていたのかな、岸田さんは」と思いたくもなる。

とは言ったが、ここでは岸田文雄総理の批判をしようというのではない。“half-mast”を「半旗を掲げる」と先人が訳したのは、滅多にない下手な表現だと思うのだ。恐らく、元の英語である“half-mast”を苦心惨憺して訳されたのだろう。だが、「半旗」と言われると、私は当初は「半分の大きさの旗を掲げること」か、と思ってしまった。しかも、half-mastという表現を知ったのも、1972年以後にアメリカに行くようになってからのこと。

彼らはmast、即ち「帆柱」の高さの半ばに旗を掲げて弔意を表すと知ったのだった。決して「半分の大きさの旗」のことではなかったのだ。だが、「半旗」ではどう読んでも「半分の大きさ」としかなり得ない。我が国には翻訳の名手が方々におられるのだと思っている。私が常に批判してきた例に“United Nations”を忖度して、何処にもinternationalとはなくても「国際連合」にしてしまった。何かに懸命に阿っているとしか見えないのだ。しかも、略語は「国連」と来た。

彼乃至彼らは“Security Council”を「安全保障理事会」とし、マスコミ(なのか?)は「安保理」という略語も創造した。Permanent Memberが「常任理事国」というのも「上手い!」を越して凄いと思っている。それほどの能力がありながら、「半旗を掲げる」はないだろうと言いたい。そう言う以上、何か実態に即した訳語を考えてみたが「半分の高さに国旗を掲揚する」以外には浮かんでこなかった。力不足だと反省。

話を元に戻せば、官邸の方が遅かったというのは、矢張り腑に落ちない。松野官房長官が「国葬」に否定的なことを言っていたのは、安部元総理に対して何か含むところでもあるのかと疑いたくなるが、あるはずがないだろう。もう少し上手い言い方が出来なかったのかと感じた。だが、松野氏が眼鏡は何時も替えて出てこられるのが印象的だ。


請求書をWEBに切り替えます

2022-07-13 08:11:30 | コラム
勉強と認識の不足かあるいは勘違いでは:

私は怒っているのだ。

小田急百貨店(小田急電鉄)から葉書で「紙の削減による自然環境保護推進のため、WEB明細への切り替えをお願いしております」との通知が来た。偽らざる所を言えば「又かよ。何を勘違いしているのか」というのが感想だった。昨年だったか、東京電力からも同様な主旨で「毎月の検針票をこれまで通りの紙にするかWebにするかの選択」を迫られた。紙の検針票を選択しておいた。

非常に遺憾なことは、我が国には製紙会社と日本製紙連合会の懸命な広報活動にも拘わらず、未だに1980年台に我が国では「紙は貴重な天然資源である森林を野放図に伐採するだけはなく、無闇に浪費して環境を破壊している。紙の消費を避けるべきだ」という誤った観念が広く普及して、製紙会社は悪の如くに指弾された時期があった。我々に言わせれば「環境保護論者たちのとんでもない誤った認識である」のだった。

それ以後は業界を挙げてその誤解と誤認識と勘違いを正すべく努力してきた。私は1994年1月末で引退したが、この誤解が未だに尾を引いているとは思ってもいなかった。ウエアーハウザー社は我が国に対する製紙の原料の木材チップと製紙用パルプ(そして一時は古紙も)の最大の供給会社だった。木材資源の面では我が国は決して豊ではないので、アメリカ他の森林資源が豊かな国からの輸入に依存していた。

勿論、北海道や東北地方には豊かな闊葉樹林があり自給自足とまでは行かなくても、その資源も活用されていた。そして、間違いなく認識して貰いたい事は「如何なる製紙会社も木材業者も、無計画に貴重な森林を伐採するようなことはない」のだ。しかも現在では森林認証制度があって

「適正に管理された認証森林から生産される木材等を生産・流通・加工工程でラベルを付すなどして分別し、表示管理することにより、消費者の選択的な購入を通じて持続的な森林経営を支援する仕組みです。 これにより、森林・林業の成長産業化に寄与し、地域振興や資源循環型の社会の実現を目指すことができます。」

なっているので、木材資源はキチンと管理されている。

言い換えれば乱伐や盗伐などあり得ないのだ。また、製紙会社自社林を厳重に管理して、伐採した跡には自社で育てた苗を植えて伐採できるようになるまで育成しているのだ。また、我が社では50年かけて育成した針葉樹を伐採し、製材し、残渣を木材チップにしてパルプと製紙の原料にしている。更にそのパルプとチップを我が国に供給してきた。

この頃、私が環境保護論者を揶揄していたことは「紙の消費を節約すれば、何処か海外の国の木材資源を保護していることになるとご承知か」と。あの当時だったか、あるそそっかしい有識者は東南アジアの某国で焼き畑農法によって消えてしまったマングローブ林の跡地を見て「こうやって貴重な天然資源が百貨店の包装紙などになって浪費されているのか」と嘆いて見せたのだった。将に無知と不勉強の産物だった。

私が引退した後では、多くの製紙会社は海外に大規模な自社林を育成し、そこで発生したチップを国内に輸送して消費していると聞いている。その海外の森林でもウエアーハウザーが実施していた「管理された森林」(=managed forest)と同じように「種苗から育成して、伐採した跡の森林地に植えて、成長したら伐採し、又苗を植える」と循環させているのだ。管理の意味には「間引きし下枝を払って酸素の循環を計り、日光が地面に当たるようにする」がある。

この度の小田急電鉄(小田急百貨店)のお知らせを見て感じたことは、「もしかして、彼らは未だに1990頃までに認識でいるのか、何か勘違いしているのではないか」なのだ。また、楽楽清算のテレビCMでは「未だ紙かよ」などと横沢に絶叫させている。何時何処で、製紙産業が天然資源を浪費していると言うのか。認識不足も甚だしい。

敢えて申し添えておくと、ウエアーハウザーが来たアメリカに保有する森林地は約600万エーカー(1エーカー≠1,200坪)だから、四国全体の面積よりも広いのだ。そこで切り出された木は円形の真ん中から製材品を伐りだして、残った外側の三日月型の部分を砕いてチップにしている。又、間伐材や風倒木や切り落とした下枝等は工場に持ち込んで燃やして、発電等のエネルギー源にしている。何一つ無駄はないのだ。これでも「自然環境保護推進」の為に紙の消費を削減すると言うか。


参議院議員選挙が終わって

2022-07-12 09:55:13 | コラム
何時もの通りでここ新宿区百人町は静かな選挙だった:

もう30年以上もこの街に住んでいるが、衆議院だろうと参議院だろうと、選挙期間中はこの界隈は静かなままで、滅多に選挙カーなど入ってこない。以前にも述べたことで「テレビや新聞が騒ぎ立てている選挙戦などは、何処か余所の国での催し物では」と思うほどだ。幾ら多くの方に褒めていただく記憶力を以てしても、過去に、K党の街宣車が何を間違えたのか、山手線の線路側の細い道に入ってきたことがあったかなという程度。

当初はここ25階建ての俗に言う「タワーマンション」が3棟並んでいて合計576戸もあり、更に道路を隔てた山手線の更なる外側にはここよりも戸数が多いだろうとみている大公務員宿舎があるのだから、さぞかし「大票田だ」とばかり候補者たちが群がって押し寄せるとばかり思っていた。所が、期待に反して、何時でも静かで長閑な状況は変わらないのだった。静かなことは結構だが「何故なのか」と、大いに不審に感じていた。

しかも、住民の政治意識は決して低くないようで、投票所に行けば何度が入場のための列の最後尾に並ばねばならないことになっていた。今回の参議院議員選挙の場合でも並ばせられた。出口調査なるものに出会ったことは、先頃の衆議院選挙で初めて経験した。思うに、この地区には元からの新宿区の住民が少なく、公務員宿舎の住民の方々は異動の時期が来れば次の任地に赴かれてしまうのだろうから、地元意識が希薄な人たちの集団だろうかなと考えていた。

ところが、ある事情通に聞けば「この一帯は確かに票田ではあるが、組織票が期待できない地域なのである。誰かボス的な存在がいて票の取り纏めをする地方とは非常に趣を異にしているので、候補者たちにとっては魅力がないのであろう」とのことだった。即ち、政治意識が高いことが必ずしも集票には結びつかないということのようだった。確かに、過去30有余年の間に一度もこの地域から立っておられる候補者のご尊顔を拝したことがなかった。

何方だったか権威ある評論家が「議員たちは地元のために働くのではなく、お国のために懸命に働くべきである」という、極めて尤も至極な指摘をされていた。だが、ここ新宿区百人町界隈には地元を代表して活動してくれている議員さんがおられるとも思えないのだ。元ヴァレーボール選手や芸能人の当選者に何を期待すれば良いのだろうか。


「そういう事態が起きることなどないだろう」などと思うな

2022-07-11 08:20:19 | コラム
アメリカ/ヨーロッパの人たちの物の考え方:

「白人たち」としても良かったかも知れない。この度の何とも取り返しが付かない安倍晋三元総理が狂弾に倒れられた事案で、あの奈良県における警備体制の不行き届きが大きく取り上げられ、アメリカのその道の専門家にまで批判されてしまった。私は我が国の警察組織自体がこのような不測の事態に対する速やかな対応に不慣れな点があったと見ているが、最悪の結果になってしまったことの原因は他にもあると思っている。

それが、私が永年指摘し続けてきた「我々と白人の世界との思考体系の違いであり、物の考え方の違いである」に帰結すると思っている。奈良県警の警戒態勢に問題はあったが、あの安倍元総理の背中側が全く無警戒だったことが示していたのは「まさか、我が国、しかも我が県で安倍晋三元総理を狙撃する悪漢が現れることなどあるまい」と決め込んでいた事ではないのか。であるから、数十名もいた警察官の中で誰一人として背中側の警備に当たっていなかったのではないか。

私はこの度の事件もあって、既に彼ら白人たちがどのように「まさか」乃至は「万が一」という事態が発生したら如何に対処するかを常に考えて行動している実例を挙げてきた。だが、実際に彼らの中で働いたことがない評論家やジャーナリストたちは「このような彼らの物の考え方というか『まさか』の事態への彼我の対処の違いを認識出来ていないのではないか」としか思えないのだ。解っていれば、奈良であのような事態に至る前に防げたかも知れないのだ。

改めて「相違点」を示す具体的な例を挙げていこう。1980年台末期だったと思う。我が事業部で未だ未だ伸び代が残っていると期待していた中規模の得意先に、副社長と図って刺激策(インセンティブ等とも言うが)を提示しよう(英語では“dangle a carrot”などと言う)と売上げを伸ばして原紙の購入量が増えた場合の「数量値引き契約」を提案したのだった。

その前の副社長との打ち合わせの際に、私は現状を100として、最高到達点を150として段階的に値引き額を増やそうと提案した、副社長の案は最高到達点を300にするとなっていた。「あの会社の能力ではあり得ない数字だ」と反対したら一蹴された「万が一300に達した時の値引き額を提示してなかったから、何もしないという気か」と言って。打ちのめされた気がした。300を限度として契約した。私が94年の1月でリタイアした後では300に到達するまで成長していた。

リタイアした後のことだったが、かのイチロー君が我が社の地元の球団である「シアトルマリナーズ」で大活躍した。私が知る限りでは恰も単打製造機であるかの如きイチロー君は、翌年の契約を結ぶ際には「ホームラン王になったら」との条項を必ず入れていたそうだ。

その事をアメリカに遊びに行った際に元の仲間たちと食事の機会があった。そこでイチロー君の契約の件を持ちだしてみた。すると彼らは「その話の何処が珍しいのか。当然だろう。何でそんな事を言うのか」と、全く相手にしてくれなかった。20年以上も彼らの中にいて、こんな事を話題に持ち出して不明を一人静かに恥じていた。このように「まさか」に備えておくのが彼らの物の見方であり、考え方なのだ。

また先日は「フランスの会社と合弁の化学工場の安全対策案」を立てた級友が完璧だと自信があった案をフランス側に提示した。所が「航空機を使って襲われた場合の対策が入っていない」と却下されたという経験談を取り上げた。この例が示すことは、奈良県警は「まさか、暴漢が車道に出て安倍晋三元総理を背面から狙撃するとは想定していなかったのだ」という点ではないか。ここでも「万が一」と「まさか」を想定しておくべきだとの教訓になっていたのだった。

何も自慢しようというのではないが、私は白人の世界に20年以上も勤務していたので、彼らの物の見方と考え方を現場で知り得るというか学ぶ機会があったのだ。何も、そういう事を学習しようとして入っていった世界ではないが、知らず知らずの間にこのような彼我の思考体系の違いと文化の相違点を経験し、理解できただけのことだ。

だが、この度の残念至極な事件があって、矢張り彼らの物の考え方と見方には我が国でも取り入れるべき点がある事を、あらためて痛感したのだ。そこで、何も奈良県警にだけではなく、広く失敗の例に学んで貰えば如何と考えて、経験から得た教訓を取り上げた次第だ。


7月10日 その2 安倍幸恵夫人のご心労は察するに余りある

2022-07-10 08:27:44 | コラム
安倍幸恵夫人がどれほど心身共に耐えておられるだろうか:

私は安倍幸恵夫人には心の底から同情申し上げていると共に、どれほど心身共に疲労されているだろうかを思う時に、何とも言えない気持ちになる。

「およそ、そんな事はあり得ないだろう」というような、暴漢に遙か奈良の地で狙撃され、心肺停止と聞かされて、急遽8時間もの強行の自動車の旅(「ドライブ」というカタカナ語を避けてみた)で現地に向かわれ、何とか安倍晋三氏の最後に間に合われた。そして、その翌日には霊柩車と見えたメルセデスベンツでまたもや長時間車に乗られてのご帰館では、心身の疲労は極限に達していただろうとお察し申し上げている。

しかも、ご苦労は安倍晋三氏のご遺体と共に帰宅されただけではなく、その直後から岸田文雄総理や小泉元総理を始めとする我が国としての最高の要人たちの弔問をお受けになっているのだ。ご心労というのか何と表現して良いかも解らないような、極めて辛い立場におられるのだと思う。

私は昭和12年12月の4歳の時に、当時として極めて珍しい交通の貰い事故により45歳で亡くなった父親が自宅に帰ってきたときの事を、本当に朧気に記憶している。母親は取り乱してはいなかったようだった。昭恵夫人のご心労はあの時の母よりも遙かに苛酷なのではないかと見ている。

言いたい事はここからである。それなのに、マスコミ(テレビ報道でも良いだろう)高速道路を走っている車を撮すとか、何時頃に富ヶ谷に到着するだろうとかいう類いのことをここを先途と報じている。私は「これでは昭恵夫人のご帰宅は恰も芸能ネタであるが如きで不謹慎だ」と思っていたので、殆ど見ていなかった。

彼らは、ここまで私が取り上げたような昭恵夫人のご心労をお察し申し上げたらどうかと思っていた。また自分の経験を言えば、車の運転をしない私でも、アメリカにいれば長時間の車での移動は日常茶飯事である。それでも恐らく最長の距離と時間ではシアトル市内から250kmほど離れた工場を一日のうちに往復したくらいである。幸恵夫人の片道8時間などは想像も付かない身体的負担であろうと思う。これを伝えないマスコミは浅慮ではないかと非難したい。

しかも、昭恵夫人と安倍家にとってはここから先に未だ未だ数々の行事が待っていると思っている。私は報道する者たちには、その辺の事情は十二分に解っているとみているので、十分に諸般の事情に気を配って報道して貰いたいものだと思うのだ。