新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が考えるカタカナ語の問題点:

2022-07-06 07:31:32 | コラム
何故カタカナ語は誤用され濫用されるのか:

 私は我が国の学校教育の英語の問題点の一つとして長い間「単語を覚えることを重視していることは好ましくない。単語はその意味を記憶するだけではなく、文章乃至は会話の流れの中でどのように使われているかを理解せねばならない」と指摘してきた。

しかしながら、ただ単に意味だけを丸暗記した事の副産物として、その単語の代表的な意味だけを覚えたので、屡々「単語だけを並べたら外国人に通じた」というような情けない英語力が養われたのだった。しかしながら、我が国の学校教育での英語で育てられた人たちの読解力はかなり高い水準にまで達していると見ている。言葉を変えれば、寧ろ私如きを超えている領域に達しておられると思う場合が多々ある。

単語丸暗記の副産物はそれだけではなかった。その蓄積された知識を何処かで誰かが無闇矢鱈にカタカナ語として使うようにもなってしまったのだ。このような私に言わせれば好ましくない流れに加えて、テレビに登場する人気が高い芸人やタレントどもが「これ見よがし」じゃなかった「これ聞こえよがし」(?)に奇妙なカタカナ語を使って「如何にも教養があり、英語に精通しているかのように振る舞う」のだった。

それを見聞きしたミーハー族は彼らタレントが使うことでもあり、「良いことを覚えた」とばかりに誤解して真似をして無定見に使うようになった。テレビ局も負けずに彼らに迎合して野放図にカタカナ語を濫用するようになった事等々が、今日までのカタカナ語の濫用というか、粗製濫造の切掛けにもなっていると見ている。

 これだけでは何らの説明になっていないので、濫用/誤用の実例を挙げてみよう。つい先頃にも、テレビのニュースの登場した外飲食店のチーフが、失礼!代表取締役だった、「うちは~をメインにしているので」と語っていた。このように“main”という単語はカタカナ語化して「主に」か」「主として」の意味で猫も杓子も使うようになってしまった。

これなどは「単語の代表的な意味だけを暗記しただけ」の典型的な悪い例なのである。「悪い点」は「mainは形容詞であり、必ず名詞の前に持ってくることが原則なのである」を綺麗サッパリと無視していることなのだ。即ち、“the main street”や“the main gate“や「当店の主たる料理は」のように使われるべき単語なのだ。但し、「メインバンク」は恰もその原則に従っているかのように作られているが、英語で“main bank“というと「日本銀行」か“FRB“のことだと思われてしまうので、要注意だ。

ここでもう一つ、英語本来の意味とは異なった使われ方がされている例として「ケースバイケース」を挙げておこう。これは、英語では“case-by-case”であり「個別に」とか「一件ごとに」を意味していて“It depends.”のように使われている。例えば、「そこには徒歩で行きますか、電車にしますか」と尋ねられれば“It depends on the weather.”のように言うのであり、“Case by case.とはならないのだ。

だが「ケースバイケース」は「時と場合による」の意味で広く使われている。私が昭和30年(=1955年)に新卒で就職した頃には、社内では既に「ケースバイケース」を使う上司がおられた。このように「言葉の誤用」としての歴史は古いのだ。

このような誤用の他の例も挙げておくと「ウイン・ウイン」がある。この“win-win“も次に名詞が来るのが原則なのだ。例えば“a win-win situation“のようになるのだ。言いたくはないが、安部元総理はこの「ウイン・ウイン」のフレーズがお好みだった。私が問題にしたいことは「単語とフレーズはその遣い方を流れの中で覚えるようにすること」なのだ。

「メイン」などの使われ方は未だ意味を正しく覚えているから良いかも知れないが、中には全くの誤用になっている例もあるので困るのだ。例えば、“stress”=ストレスがある。これはウイルス感染の防止策で不要不急の外出をしないように要請された結果で、欲求不満となってしまうのだった。それを何処かで誰かが如何にも英語通の如くに格好を付けて「ストレスが溜まる」と表現したのだった。それを聞いた正しくstressを覚えていなかった者たちの間に普及して「ストレスだ、ストレスだ」と言うようになってしまったのだった。

“stress”とはジーニアス英和には「精神的・感情的な緊張、圧迫、圧力、重圧」とある。Oxfordには“MENTAL”として“pressure or worry caused by the problem in ~’s life”とある。「こういう圧力や心配頃が外出を禁じられると貯まるのか」と考えれば、言葉の誤用であることは明白だ。明らかに“frustration”即ち「欲求不満となる」の間違いであろう。私は在職中に多くの問題を抱えて精神的な重圧に苦しめられていた時期があった。その辛さで全身が凝っていたし、頭痛に悩まされていた。本部の人たちには「ストレスに悩んでいる状態」として知られて、同情もされていた。明らかに“frustration”ではないではないか。

「トラブル」などは誤用という範疇に入れるのではなく「濫用」としたいのだが、これについては何度も「おかしい」と指摘してきたので、ここでは触れない。代わりに「メリット」と「デメリット」を挙げておこう。

“merit”は、ジーニアス英和には「長所、利点、(賞賛に値する)美点。◆日本語のメリットはadvantageに当たることが多い」とある。ここまでで言葉の誤用乃至は勝手に転用したと判明する。即ち、英語の単語の意味の誤解であり、誤用である。遺憾ながら、猫も杓子もと言うか遍く国中に広まって使われてしまっている。ジーニアス英和には良い例文が出ていて“Email has its merits and demerits.”とあった。「長所も短所もある」と言っているのだ。なお、demeritという単語の発音は「デイーメリット」となる場合が多いのも、ローマ字読みした欠陥が出ている。

 未だ未だ「ローマ字読み」による弊害なども取り上げて論じたいのだが、これ以上論じ続けていると「何を指摘したいのか」の焦点が定まらなくなる危険性があるかと思う。ここまで論じてきただけでも、「我が国の単語重視の英語教育から派生する問題点が多いのだ。その一つがカタカナ語の乱造である」とご理解願えれば幸甚である。

なお、上記は2021年11月10日に発表した「カタカナ語の問題点」を基調にしたものである。


「謝罪の文化」を考えよう

2022-07-05 08:27:43 | コラム
KDDI高橋誠社長の謝罪記者会見の虚しさ:

我が国は西欧文化圏の諸国には存在しない「謝罪」という文化がある。彼らは先ず絶対と言って良いほど「自らの非を認めて積極的に謝ることはしない」のである。我が国では先ず謝れば言わば「水に落ちた犬は打たない」のが習慣であるから、アメリカの会社に移った後では、この両極端の狭間に落ち込んで悩まされたのだった。

それはそれとして、我が国ではテレビ時代になってから、何時何処で何処の会社が先鞭を付けられたのか知らないが、何か重大な過失乃至は事故を起こした会社の首脳部が記者会見を開いてテレビカメラを入れて、そのテレビカメラの前で全員が一斉に頭を下げて詫びることで、罪一等を減じられるかのようになったのだった。

また、ここには我が国と西欧諸国との文化の違いがあって「彼ら諸外国、中でもアメリカでは副社長兼事業部長を始めとして首脳部は職責上と年俸の高さから常に第一戦というか現場に出て客先を訪問するので、何が何処でどのように起きているかを把握している」のだ。一方の我が国では「管理職としての地位が上昇するに従って、現場から遠くなる傾向が顕著なので、どうしても現状の把握が十分ではなくなるし、特に役員ともなられればその感が否めない」ようだ。

私には、このような記者会見に臨まれる社長や役付役員の方々は、動もすると心からの謝罪と言うよりは実務担当者が用意した原稿を読んでおられるだけになり、本気で事故乃至事件が起きたことをお詫びしておられるようには聞こえないことが極めて多いと見える。極端な表現を用いれば「頭を下げて、強風が過ぎ去るのを待っているのでは」と、疑いたくなるような例も散見された。

これぞ「謝罪の文化」の悪しき表れであろうか。俗に「御免と言って済むのならば警察は要らない」と言われているではないか。我が国の「謝罪の文化」では「謝って自社の非を認めたからと言って、自己の全責任を負い先方の求めに従って全額を補償するということまでには至らない」のだ。

だが、アメリカのように「謝罪の文化」の欠片も存在しない国にあっては、気軽に“I am sorry this accident took place.”とでも言ってしまった時点で「御社が被った如何なる経済的損失も補償する責任を負います」と明言したことになるのだ。だからこそ、彼らは謝らないのだ。この点が非常に大きな文化の相違点である。

であるから、アメリカ人たち交渉の最初から謝るようなことは言わないし、責任を認めることを極力回避する議論を展開しようとするのが普通である。ここには悪意はないと言って誤りではない。

自慢話ではない切実な回顧談であるが、私はこの文化の相異という深い谷間に落ち込んで、彼らに「謝ることは全責任を負いますと認めることにはならないのが日本の文化であり、謝って初めて本当の補償(乃至は先方からの求償)の話し合いには入れるのだ」と説得し続けたのだった。簡単には理解されなかったのは言うまでもないこと。最後には「貴方は何か適当に英語で言ってくれ。それを私が謝罪の文言に直して通訳するから」とまで説いて聞かせたこともあった。

結果としては、彼らも謝ること、それも誠心誠意で謝ることが出来るようになり、先方と本当の意味で「意思の疎通」(「コミュニケーションが取れるようになって」などという間抜けなカタカナ語は使わないよ)を図れるようになって、真の信頼関係が構築されたのだった。「雨降って地固まる」という言い慣わしがあるが、我が方にとっては「謝って地固まる」となったのだった。

何も、KDDIの高橋誠社長にこの文化の相異に始まる経験談を聞かせようとは思わないが、「心が籠もらない、誠心誠意ではない謝罪など無意味だ」と承知して貰いたいのだ。

畏メル友RS氏は私が“「利用者その他の損害を受けたであろう方々に向けて真剣に誠意を込めてお詫びしよう」という気迫が全く感じられなかった。”と指摘したのに対して、“実に軽い「申し訳ありませんでした」との謝罪でした。あれでは逆効果、au離れが起きるのではないかと感じました。”と反応しておられた。


KDDIの通信障害に思う事

2022-07-04 08:33:37 | コラム
スマートフォン包囲網が暴き出した問題点:

我が国のディジタル化:
時代のディジタル化とはほぼ完全に無縁な世界で暮らしている、ディジタル・ディバイドの当方には「何がそれほど重大な問題なのか」と思わせられたKDDIが引き起こした通信障害がこれほど広範囲に悪影響を与えたとは、将に想像も出来ないことだった。2日間も復旧できずにいると報道されても「それがどうしたの?」という程度のこととしか捉えられなかった。

だが、昨日のニュースを見ていて「そういう事だったのか。私が嘆いてきた“スマートフォン包囲網”がかくも広い範囲で、多くの人に迷惑をかけることになるのか」と、寧ろ感心さえしていたのだった。例えば、宅配便を配送して回る個人事業主がおられて、営業上で少なからぬ損害となるとは、ディジタル・ディバイド世代の理解を超越していたのだ。

私はディジタル化の推進に熱心だった菅前首相でも「全ての国民は可能な限りスマートフォンを持つようにして、ディジタル化の普及と発展に協力して欲しい」と要請されたとの記憶はない。だが、国が推進されようとする多くの処置というか仕組みには、スマートフォンが基本的な器機に(密かに指定?)されていたのだった。そこで、当方も負けじとばかりに昨年10月にドコモからの提案もあり、思い切ってらくらくスマートフォンに切り替えた。

ところが、多くの新機軸のシステムには韓国製だか何だか知らないがLINEが基調になっていて「これを使う為にはLINEで友達登録をして」などと出てくる。こっちは古式豊かな折り畳み携帯電話を、出先から家内に「これから帰ります」と連絡する程度の為に切り替えたのだ。同じ時にマイナンバーカードも取得したが、その取得に伴ってくれるというマイナポイントとやらは「何とかpay」に付与されるらしいのだが、そのような支払い手段を採り入れる気には未だなっていない。

このように、当方はドコモのスマートフォンなので、KDDIが何を引き起こそうと、何ら関係はない。だが、スマートフォン包囲網は私如き時代遅れの超後期高齢者の想像が及ばない領域まで拡大されていたとは、我が国のディジタル化は菅前首相の目論見通りに進んでいたではないかと、唯々感心している。マスコミも中国や韓国に遅れているなどと自虐的なことを言うなと言ってやりたい。

経営者の威厳がある風貌:
視点を変えてみよう。今回の障害発生を詫びる記者会見で初めてKDDIの高橋誠社長のご尊顔をテレビの画面を通じて拝する機会を得た。私は予てからNHKの故大谷英彦氏が唱えておられた「顔相学」を信奉しているので、我が国の大手企業の経営者たちが色々な機会にテレビに登場される時にその「顔相」を興味深く見つめている。

私は現代の多くの社長や会長さんたちは、故松下幸之助氏とは違って自分が創立して資本も投じておられる会社の経営をしておられる訳ではなく、単なる経営担当者である方が多いのだろうと見ている。多くの場合に有名校を優秀な成績で卒業された就社された優秀な方々だろうと思っている。だが、それ故に「大社長」か「大創業者社長」のような風貌の方が少ないように思える。

KDDIの高橋誠社長は、私が感じた所では、この期に及んでも理論的な謝罪の言葉を並べられただけで「利用者その他の損害を受けたであろう方々に向けて真剣に誠意を込めてお詫びしよう」という気迫が全く感じられなかった。言わば「詫び馴れていないな」なのだ。「自社の歴史として最大の障害」などと、まるで余所事であるかのようだった。

高橋社長は経営を担当しておられるだけかと感じた。私にはさぞかし学生時代には学業成績優秀な方だっただろうと思わせる白面の貴公子のように見えた。だが、自分の家業を経営しているような本当の経営者に見られる迫力が感じられなかった。私には近頃の経営担当者によく見られるような社長さんの如くに見えた。

余り例には挙げたくないが、つい先頃確か97歳で亡くなったジョージ・ウエアーハウザー氏のウエアーハウザー家4代目の当主で、ウエアーハウザー社8代目のCEOであり、ウエアーハウザー社を木材会社からアメリカ第2の紙パルプ林産物会社に育て上げた、凄まじいばかりの迫力ある風貌は「経営者だな」と感じさせてくれていた。

自家の事業を経営するのだから、迫力が出る顔付きになるのは当然かも知れないが、単なる経営担当者ではない威厳を感じさせてくれていた。私がここで言いたいことは「社長や会長さんたちは単に秀才が会社の経営を担当するのではなく、近くに近寄るのも怖いくらいの威厳を持つ経営者となって、社業を繁栄させて、社員の給与を十分に遅滞なく上げられるようになって頂きたい」のである。

そこまでの域に達して「威厳ある風貌」になって貰いたいと願っている。何も「怖い顔になって下さい」と願っているのではない。経営能力を一層高めて、実績を挙げて貰えれば、風貌は自ずと付いてきて経営者としての威厳が出てくるのではないのだろうか。


7月のスポーツから

2022-07-03 08:40:28 | コラム
二つの国際試合とNPB:

酷暑の下で、7月に入ってからのスポーツには興味と関心がある試合が多かった。

1日のバスケットボール:
この男子代表の試合は、FIBA(International Basketball Federation)のランキングで世界第2位のオーストラリア対38位の我が国の代表の対戦だったので、「第2位の実力」に興味があったし、38位が何処まで対抗できるのかと期待していた。結果を先に言ってしまえば59対98で、言うなれば実力通りのことになっていた。

その第2位のテイームは実力のほどを、先ず強力なデイフェンス力を見せ付けてくれた。我が代表は全く攻め入る隙を与えて貰えず、24秒が経過する前に無理矢理に3ポイントシュートに持っていく他なく、それが外れてもオフェンス・リバウンドは身長差もあって全く取れなかった。オーストラリアのデイフェンスが「ゾーン」なのか「マントゥマン」なのか解らなかったが、日本代表は中に入り込む機会を与えられていなかった。

オフェンスが殆ど通用しなかったのと同様に、デイフェンスも身長の差(アナウンサーも解説者の何故「高さがある」と言うのだろう?)だけの問題ではなく、ほんの一寸隙を与えるか、何処かで誰かを瞬間的にでもフリーにしてしまうと、遠慮会釈なく3ポイントシュートを放り込まれるので、申し訳ない言い方をすれば「勝負になっていない」状態だった。要するに、ランキングの36位の差とはこういうことかと思い切り見せ付けられたのだった。

女子の代表をあそこまで育てられたトム・フォーバス監督が、男子を何処まで育てられるかが興味と関心の焦点だ。先ずは「高さ」の差をどうやって補うかだろうが、そこには女子が見せた3ポイントシュートの精度を何処まで高められるかが重要だと思う。あの試合にはNBA組が不在だったが、今後はNBAに採用される者を如何にして増やすかではないか。オーストラリアには2名いた。

2日のラグビー:
偽りがないことを言えば、私はラグビーの国際試合については「我が国を代表するテイームが出場するのではない」と見ている。私は何も国粋主義者でも何でもないが、WR(World Rugby)即ち「国際ラグビーフットボール評議会」が決められたのだろうと思っている「自国の代表に選出されなかった者が他国(例えば日本)で3年間プレーすれば、代表選手に選ばれる資格が出来る」のに疑問を感じているからだ。

これでは、日本代表とは言っても(名乗っても)「我が国における優秀な選手を集めたクラブテイームではないのか」との感を禁じ得ないのだ。だから、これまでに何度か「日本人だけの代表テイームを作って、海外の強豪国代表との国際試合をさせて、その代表が何処まで通用するのかが知りたい」と主張してきたのだ。

確かに、NPBの野球には外国人選手もいるが、オリンピック代表テイームは日本人だけだった。サッカーもオリンピックもW杯代表にもラグビーのような選手はいなかった。バスケットボールの男子代表には帰化した選手がいた。だが、ラグビーほどには「門戸開放」は進んでいないと思う。

1日の世界の(WRのか?)ランキング2位でヨーロッパの王者とアナウンサーが叫んでいたフランス代表には、白人とアフリカ系と思しき選手がいた。だが、国籍については触れられていなかった、だから、フランス代表と称するクラブテイームかどうかは不明だった。

そこで、試合である。フランス代表には言わば一軍ではない若手が出ていたと報じられた。それでも、試合開始後間もなく綺麗な右側へのパス展開でトライを取られてしまった。しかしながら、その後は我が代表も頑張って前半は13対13で終わった。

3名の元名選手の解説者たちは「この暑さと高湿度が徐々に効いていって、フランス選手たちは消耗するだろうから、我が方にも勝機が」というような希望的観測を語っていた。ラグビーの解説者ではかの大畑大介が出てくると、恰も応援団のようなことばかり言うので聞き辛かった。大畑も最近はその傾向が薄らいだが、あの試合では解説者たちは最後まで世界第2位を倒す希望を失っていなかった。それについて異論は唱えないが、違和感を禁じ得なかった。

試合は42対23の敗戦で、私は我が代表は善戦健闘だったと評価する。だが、色々と故障があったようで、SHは流ではなく、SOも田村ではなくて21歳の李だったという具合で、顔馴染みの代表選手たちではなかったのだから、褒めても良いだろう。でも、「あっ、良いプレーだな」と思うと外国系の選手なのは・・・なのだ。

NPB:
私は昨年日本シリーズまで獲ってしまったヤクルトスワローズが本当に強いのかどうかが解らなかった。しかし、今シーズンでもあの勝ち方である。良く解らないのだ。確かに村上宗隆は良くホームランを打つが、先日はインサイドを速球と落ちる球で攻められると4打席だったか全部三振に終わっていた。あれを他球団のスカウトたちは見ていただろう。山田哲人は「ここぞ」という時以外でも滅多に打てない。でも塩見や長岡や中村悠平がいるのだ。

投手陣は先発では奥川が故障しているので、小川と石川だけで回せるのかと思えば、中継ぎとクローザー人が奮闘している。立派なものだと思って見ている。また、スワローズの強みは昨シーズンで「勝ち方」を身につけたようで、昨夜も10回の裏でサヨナラに持ち込んだように、勝ちを急がない勝負強さを身につけた。

日本大学フェニックスを再建して3年目に甲子園ボウルに出場させた橋詰功氏は「勝った経験がある指導者でなければ」とその経験の強さを指摘しておられたという。高津監督に当て嵌まるのではないか。

読売ジャイアンツも採り上げておこう。昨日の広島に負けた試合を見ていると「菅野智之は終わったと言うよりも、もう過去の栄光を期待するのは間違いでは」と思わせてくれた。解説の槇原は同門の菅野を貶せないので「もう速球の力に頼らず、外していくというか、躱していく投法になった」と言っていた。苦しい言い訳のようにしか聞こえなかった。

原監督がどうしても彼に頼ってしまう気持ちも解るが、槇原も言っていたように「最早、松井秀喜も菅野智之も知らない若い選手が出てきた時代になれば、菅野の全盛期を知らなければ、通用しなくなるのでは」と語っていた。要するに「ジャイアンツのフロントも監督も、世代交代を迫られていると認識すべき時なのだ」と言うこと。

昨日だったかどうか記憶は定かではないが、原監督は広島に勝てそうなチャンスに中田翔と中島裕之を代打に出して失敗した。彼らの「顔」も通用しなくなってきたと自覚すべきだ。増田陸を育成から引き上げたので、知られていない顔だったので短期的には打てていた。だが、昨日は広島にやられてしまった。

悪いことは言わない。もういい加減にFAで出てきた選手を買い入れて使うか、飼い殺しにする戦術を忘れるべきである。だから、スワローズに13.5ゲームを離されるのだ。


香港の思い出を語る

2022-07-02 09:33:36 | コラム
私が知る香港は消滅したのだろうか:

香港が返還されてから25年経ったそうで、その記念の式典(なのか?)が開催され、習近平主席は「一国二制度は成功」と語ったと報じられた。昨日、偶々チャンネルがあった局でデーブ・スペクター氏は「20何回も訪れてきたが、もう行かない」と嘆いて見せていた。何故、彼がそう言ったかの解説を必要とされる方は極めて少ないだろうと思っている。

私も報道だけから判断しても、70年から96年までに4回も訪れていた香港にはもう行く事はないだろう。尤も、行かないという最大の理由は、2006年の心筋梗塞発症の後では2015年9月で失効したパスポートの再発行を受けていないからだ。海外であの発作に襲われたら如何ともし難いと怖れているからだ。

第1回目:
香港という異国に初めて入ったのは1972年8月のことで、最初で最後の社用での訪問だった。香港は台湾、フィリピンズ、シンガポールに続く第4番目の訪問先だった。フィリピンズでは初めて経験するアメリカ文明の香りに「外国」を感じさせられた。しかし、感覚では経済は明らかに華僑に牛耳られていた。シンガポールは華僑も何も人口の75%が中国系で、彼らは英語を普通に操って我々と仕事の話をするが、彼ら同士では中国語(広東語?)なのが印象的だった。

香港に初めて入って感じたことは「矢張り西欧文明の色が濃厚だが、仕事で出会った貿易商たちは勿論華僑ばかりで、フィリピンズよりも華僑(と言うのか?)が経済を回している所だと痛感させられた点」だった。何分にも37歳にもなって初めて出掛けた異国なので、ディザイナーブランドの店が数多く立ち並んでいる光景には「富有な人たちが数多く存在するのだな」と、林立する高層建築以上に圧倒された。食べ物は極めて美味だったと記憶する。英語はごく当たり前のように通じた。

ここでは「カルチャーショック」も経験した。それはホテルの最上階のエレベーターホールで早朝に出会った隙の無い服装をされた日本のご婦人が、「こういう場所で出会ったら“Good morning.”か『お早う御座います』のような挨拶をするべきなのですよ。貴方は未だ外国に慣れていないようだから気をお付けなさい」と一喝されてしまった。

これは些か過剰なお叱りだったと思うが、72年になってアメリカに行けば、見ず知らず同士でも“Hi!”とか“Hello!”であるとか“How are you doing?”と声を掛け合うのはごく普通のことだと解った。香港で大いなる予習をさせて貰えた。

第2回目:
この香港行きは1972年1月のパック旅行で、家内と小学校生徒の長男と幼稚園児の二男に加えるに義父と義妹も加わった大人数での観光旅行だった。子供たちにはこの頃から海外に馴れさせておくと将来役に立つだろうと考えてのことだった。この旅行の写真は数多く残っているが、色々と面倒を見ることが多かったせいか、余り記憶がないのが残念だ。そう言えば、マカオにも行って、カジノを見学できていた。

第3回目:
これは1988年11月のことだった。「我が社が嘗ては豪華なことをしたものだ」と回顧している「我がジャパンの東京営業所開設25周年記念」(だったと記憶する)の会社の旅行(company outingという)で、全員で香港旅行に出掛けたのだった。この際の香港での記憶は、先ず「ルイビトン」の店には延々長蛇の列が出来ていて2時間待ちであり、やっと中には入れても物凄い人で商品が陳列されているケースには近寄れず、皆で諦めて退出してしまったことを挙げたい。

正直なことを言えば、香港はduty freeなのだが、他の関税なしの国とと比べれば決して経済的な価格ではなかったのだと思っている。

次は意外でもなかったが、街を何名かで彷徨っていたら「ローレックスの偽物があるよ」と勧誘されて「皆で渡れば怖くないだろう」と、その怪しげな客引きに付いていったことも忘れられない。結局の所、何も買わずに無事に帰ってこられた。この偽物のローレックスだが、ビクトリアピークに上がっていくバスの中に売り込みに乗り込んできた者から何人かが買ったのだが、下山する頃には動かなくなっていたので、一同大笑いで終わった。

ではあっても、非常に楽しい旅だった。だが、私は帰国する日に重要案件で副社長が既に帝国ホテルで待っていると事前に知らされていたので、成田から直行して打ち合わせと決まっていたので、何となく落ち着かない香港の数日だった。

第4回目:
最後の香港は1996年9月だった。この時は既にリタイアした後なので、家内との気楽な旅だった。食べ歩きもしたし、気の向くまま足の向くままに市内を見て歩いた。ホテルのブレックファストを避けて当てずっぽうに朝食に入った店で、メニューも読めないままに注文した「朝粥」が絶品だったのは良き思い出だった。意外だったのは、この頃から既に英語が嘗てのようには通じなくなっていたことだった。商社の駐在の方に訊くと「中国本土から脱出してきた者が非常に増えたから」だった。

駐在の方たちに教えられたことは「中国が標榜する『一国二制度』に対する何とも言えない不安感」であり、「あの時点は香港が未だ自由貿易港の地位が維持できており、輸出入のビジネスは健在である」という辺りだった。

そういう堅苦しい事よりも私にとって印象的だったのが「上海がに」だった。永年の馴染みである専門商社の駐在員との会食で「上海がに」を我々の為に注文して貰えたのだが、彼らは他のものを頼んでいた。その理由は「もう食べ慣れたから」だった。その有名な料理を感激して頂戴した。だが、味はそれほどではなかった。

すると、食べ終えた頃に駐在員は「それほどではなかったのでは」と問いかけてきた。恐る恐る「実は・・・。」と答えざるを得なかった。彼らは慌てずに「実は、大袈裟に喧伝されているほどのものではないと認識しています」と言うのだった。たった一度の経験で云々するのも問題かも知れないが、世間の評判などと言うものは必ずしも当てにはならないのではないかと思わせられた。

結び:
上述のように、往年の香港とは「観て良し」、「食べて良し」、「買って良し」であり、「仕事をするのも良し」の場だったと思う。その香港を、報道の通りであれば、習近平主席は無残にも「一国」にしてしまったのだ。「二制度」は雲散霧消してしまったかの如くである。彼は観光収入も経済からの収入も捨てて、支配欲だけを充足する気ではないだろう。領土を拡張して太平洋のこちら側の半分を先ず支配する期なのだろうか。

私は何れにせよ、東南アジアの諸国の経済は華僑勢力に支配されていたのだが、習近平主席はその東南アジアを政治的に支配する一環として香港を潰してみせたのだろうかと思っている。何と例えて良いか解らない暴挙である。遺憾であり残念なことだ。