宇多田ヒカルちゃんのUTADA名義のベストアルバムのリリースに関する
彼女自身のTwitter・WEBでの発言が物議を醸しましたね。
以下、WEBでのメッセージ。
宇多田ヒカル「今の気持ち」
この発言を取り上げたマスコミは、
「不買運動」として大きく報じました。
大きく報じたというよりは、趣味悪く面白がってといったほうが読み手としての気持ちにあっていそう。
なぜなら、そこに、ヒカルちゃんの発言のニュアンスを無視して、
記者がたぶん意図的に、客観性を欠き、焦点をずらした解釈をして記事にしているからです。
「不買運動」などとマスコミに標榜されると、
まるで、ヒカルちゃんが、「買っちゃダメです」と強く商品を否定しているかのよう。
たしかに、ヒカルちゃんのメッセを読むと、
>Utada名義の過去作品を持っている人は、そのbestは買う必要は無いよ、と言いたい。
とキッパリおっしゃっています。
間違ってはいませんが、
これが「筆者の最も言いたい主張はどこでしょう」という試験で、
受験者が「不買運動」と指摘したら、その人は0点です。
ま、国語の試験はね、日本語は難しいし、解釈もいろいろなんですが、
ヒカルちゃんがもっとも言いたいところはそこじゃないっていうのは、
読みとらなくちゃいけないです。
そしてそして、ここに、先ほども書いた、
「客観性を欠き、焦点をずらした解釈」であるポイントがあります。
さきほどの引用の、そのすぐ前の部分が大事なことは多くの人が気付かれたでしょう。
>"Utada the best"は私の意志とは無関係のリリースです。新しい素材も入っていないし、
>心のこもっていない「商品」です。売れなかったら落ち目だとか叩かれるのは私だけど、
>正直、ファンにお金を出させるのは心苦しい。
マスコミよ、取り上げるならば、ここを取り上げよ。
それができないから、マスコミは死に体である側面を持っているのでしょうが…。
さらに引用すると、
>でここにきて急に、英語でUtada名義でやってきたUniversalから"Utada the best"なるものが出ると
>聞かされました。なんと、同じ発売日にぶつけてきたの。宇多田ヒカルのシンコレ2の発売に、
>便乗するという商法です。
レコード会社がセリフをしゃべるとすれば、こうなりそうなイメージが湧きます。
「黙ってリリースされておきなさい、そうすれば会社も音楽家であるあなたも儲かるのだから」。
黙っていることがYESになってしまう構造なんですね。これが黙っていればNOで、
いちいち音楽家に対して許可を求めなければいけないのならば、こうした事態にはならない。
しかし、ヒカルちゃんは、レコード会社による音楽家の沈黙を利用する商法を黙認せず、
ファンには音楽家だから上から目線なんてとんでもなく、同じ人間として同じ目線で言葉を投げてくれて、
その姿勢はもっともだし立派でした。疑問も持たなかったアンフェアさにメスを入れてくれたメッセージです。
さらに、ヒカルちゃんは、発売日をぶつけてきたのは失礼だけど、
もっとファンが喜ぶように内容をよくしたらどうかだとか、
発売日をずらせないか、とか、予期せぬベスト盤の発売をできるだけ容認できる方向へもっていこうと
働きかけているその行動は見逃せません。
それらのことを中心として、マスコミは記事にしない。
それに、黙ってリリースされて、売れればヒカルちゃんの儲けになるのに
異を唱えて損をする方向にもっていってしまいましたねっていう報道はありましたでしょうか?
きっと無かったと思います。
僕はこの出来事の焦点はそこにあると思います。
決して、「不買運動」が中心をなして語られるべきではない。
音楽家が音楽を作って、代金を頂きながらそれを個人に届けるということ。
宇多田ヒカルという人は、音楽の受け手を大切にして、
受け手の人たちが意に反する(というか、目隠しでもされたような状態での)
搾取の対象には是が非でもしたくない人だ、というのがよくわかりましたよね。
一方、レコード会社は音楽を商品として利益をあげなければいけない、商売。
そこは単純な、「作った」「売った」の世界なのかもしれない。
当たり前ですが、レコード会社が、想いを込めて作品を作り上げることはできませんね、
ミュージシャンたちがそれをやる。そういうところにも温度差はあるのでしょうか。
そう考えると、今回の「宇多田ヒカルの不買運動」という記事の書かれ方で、
名前をだされて損をしているのはやはりヒカルちゃんなのです。
「宇多田ヒカルの不買運動」なる文脈が成り立つのは、レコード会社に主語を置いた、
今回の騒動の捉え方だからです。
マスコミの記事を読む人は宇多田ヒカルを主語に置いた記事に興味があるはずですが、
そこでは、宇多田ヒカルの名前を第一に使いながらも、記事の焦点の当て方としては
レコード会社を隠れ主語にして書かれています。
だからきっと、今回のマスコミの記事を読んでみて、
「なんかおかしい」と感じた人は多かったと思うんですよね。
恥ずかしながら僕は最初、さらっと読んでしまったほうですが…。
つまり、宇多田ヒカルを本当の主語にした記事を読んでいるつもりの人は、
そこに、「客観性を欠き、焦点をずらした解釈」の記事を見つけることになるのでした。
ヒカルちゃんを客観的に見るどころか、レコード会社の主観にのっとって
記事が書かれていますからね。
それはそれですよ、マスコミも長いものに巻かれるタイプなんですよ。
宇多田ヒカル個人と彼女の事務所よりも、
レコード会社一社どころかこの問題は音楽業界の体質にも繋がっているものなので、
レコード会社のほうが「巻かれるべき長いもの」にあたるのでしょう。
というわけでですね、誰にも頼まれていない、
宇多田ヒカルちゃんの今回の発言の解説をやってしまいました。
そんなのやるなって怒られそう…。
それにしても、ツイッターを読んでいたら、糸井重里さんが『ほぼ日』のクルーに「間違って」就職
しないかな、みたいなことをつぶやいてらして、それに端を発したヒカルちゃんたちとのやりとりが
微笑ましかったですね。なんでも、糸井さんのところにヒカルちゃんが見学にいくかもしれないという
ところに話が運んでいます。って、おいら、なんでこんな話までしているのだろう。
いやね、普段べつべつに好いていたモノ同士がくっつくのってエキサイティングなんですよ。
嬉しくて嬉しくて、ほほほ。
彼女自身のTwitter・WEBでの発言が物議を醸しましたね。
以下、WEBでのメッセージ。
宇多田ヒカル「今の気持ち」
この発言を取り上げたマスコミは、
「不買運動」として大きく報じました。
大きく報じたというよりは、趣味悪く面白がってといったほうが読み手としての気持ちにあっていそう。
なぜなら、そこに、ヒカルちゃんの発言のニュアンスを無視して、
記者がたぶん意図的に、客観性を欠き、焦点をずらした解釈をして記事にしているからです。
「不買運動」などとマスコミに標榜されると、
まるで、ヒカルちゃんが、「買っちゃダメです」と強く商品を否定しているかのよう。
たしかに、ヒカルちゃんのメッセを読むと、
>Utada名義の過去作品を持っている人は、そのbestは買う必要は無いよ、と言いたい。
とキッパリおっしゃっています。
間違ってはいませんが、
これが「筆者の最も言いたい主張はどこでしょう」という試験で、
受験者が「不買運動」と指摘したら、その人は0点です。
ま、国語の試験はね、日本語は難しいし、解釈もいろいろなんですが、
ヒカルちゃんがもっとも言いたいところはそこじゃないっていうのは、
読みとらなくちゃいけないです。
そしてそして、ここに、先ほども書いた、
「客観性を欠き、焦点をずらした解釈」であるポイントがあります。
さきほどの引用の、そのすぐ前の部分が大事なことは多くの人が気付かれたでしょう。
>"Utada the best"は私の意志とは無関係のリリースです。新しい素材も入っていないし、
>心のこもっていない「商品」です。売れなかったら落ち目だとか叩かれるのは私だけど、
>正直、ファンにお金を出させるのは心苦しい。
マスコミよ、取り上げるならば、ここを取り上げよ。
それができないから、マスコミは死に体である側面を持っているのでしょうが…。
さらに引用すると、
>でここにきて急に、英語でUtada名義でやってきたUniversalから"Utada the best"なるものが出ると
>聞かされました。なんと、同じ発売日にぶつけてきたの。宇多田ヒカルのシンコレ2の発売に、
>便乗するという商法です。
レコード会社がセリフをしゃべるとすれば、こうなりそうなイメージが湧きます。
「黙ってリリースされておきなさい、そうすれば会社も音楽家であるあなたも儲かるのだから」。
黙っていることがYESになってしまう構造なんですね。これが黙っていればNOで、
いちいち音楽家に対して許可を求めなければいけないのならば、こうした事態にはならない。
しかし、ヒカルちゃんは、レコード会社による音楽家の沈黙を利用する商法を黙認せず、
ファンには音楽家だから上から目線なんてとんでもなく、同じ人間として同じ目線で言葉を投げてくれて、
その姿勢はもっともだし立派でした。疑問も持たなかったアンフェアさにメスを入れてくれたメッセージです。
さらに、ヒカルちゃんは、発売日をぶつけてきたのは失礼だけど、
もっとファンが喜ぶように内容をよくしたらどうかだとか、
発売日をずらせないか、とか、予期せぬベスト盤の発売をできるだけ容認できる方向へもっていこうと
働きかけているその行動は見逃せません。
それらのことを中心として、マスコミは記事にしない。
それに、黙ってリリースされて、売れればヒカルちゃんの儲けになるのに
異を唱えて損をする方向にもっていってしまいましたねっていう報道はありましたでしょうか?
きっと無かったと思います。
僕はこの出来事の焦点はそこにあると思います。
決して、「不買運動」が中心をなして語られるべきではない。
音楽家が音楽を作って、代金を頂きながらそれを個人に届けるということ。
宇多田ヒカルという人は、音楽の受け手を大切にして、
受け手の人たちが意に反する(というか、目隠しでもされたような状態での)
搾取の対象には是が非でもしたくない人だ、というのがよくわかりましたよね。
一方、レコード会社は音楽を商品として利益をあげなければいけない、商売。
そこは単純な、「作った」「売った」の世界なのかもしれない。
当たり前ですが、レコード会社が、想いを込めて作品を作り上げることはできませんね、
ミュージシャンたちがそれをやる。そういうところにも温度差はあるのでしょうか。
そう考えると、今回の「宇多田ヒカルの不買運動」という記事の書かれ方で、
名前をだされて損をしているのはやはりヒカルちゃんなのです。
「宇多田ヒカルの不買運動」なる文脈が成り立つのは、レコード会社に主語を置いた、
今回の騒動の捉え方だからです。
マスコミの記事を読む人は宇多田ヒカルを主語に置いた記事に興味があるはずですが、
そこでは、宇多田ヒカルの名前を第一に使いながらも、記事の焦点の当て方としては
レコード会社を隠れ主語にして書かれています。
だからきっと、今回のマスコミの記事を読んでみて、
「なんかおかしい」と感じた人は多かったと思うんですよね。
恥ずかしながら僕は最初、さらっと読んでしまったほうですが…。
つまり、宇多田ヒカルを本当の主語にした記事を読んでいるつもりの人は、
そこに、「客観性を欠き、焦点をずらした解釈」の記事を見つけることになるのでした。
ヒカルちゃんを客観的に見るどころか、レコード会社の主観にのっとって
記事が書かれていますからね。
それはそれですよ、マスコミも長いものに巻かれるタイプなんですよ。
宇多田ヒカル個人と彼女の事務所よりも、
レコード会社一社どころかこの問題は音楽業界の体質にも繋がっているものなので、
レコード会社のほうが「巻かれるべき長いもの」にあたるのでしょう。
というわけでですね、誰にも頼まれていない、
宇多田ヒカルちゃんの今回の発言の解説をやってしまいました。
そんなのやるなって怒られそう…。
それにしても、ツイッターを読んでいたら、糸井重里さんが『ほぼ日』のクルーに「間違って」就職
しないかな、みたいなことをつぶやいてらして、それに端を発したヒカルちゃんたちとのやりとりが
微笑ましかったですね。なんでも、糸井さんのところにヒカルちゃんが見学にいくかもしれないという
ところに話が運んでいます。って、おいら、なんでこんな話までしているのだろう。
いやね、普段べつべつに好いていたモノ同士がくっつくのってエキサイティングなんですよ。
嬉しくて嬉しくて、ほほほ。