Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

犬モ食ワナイ

2010-10-24 18:40:28 | 考えの切れ端
小さい頃、両親がケンカしているときには、
僕は彼らの視野の外に逃れていようと努力したものでした。

いや、それよりも幼い頃だったら、「なにけんかしてるんだろー」
とばかり、面白がってケンカ見物をしていたように思います。
親も、そんな僕をかまって、「どうする?パパの味方をするのか、ママの味方をするのか」
などと、自分の立場を優勢にするがために、
そしてこういう機会に子どもがどちらを好いているのかを
確かめておこうとばかりに尋ねてきたものでした。
むろん、僕は、思わせぶりにどっちつかずを演じたり、その逆をしたり楽しんでいました。
子どもながらに本心は見せなかったです。そこが頭の良い所というか、…タヌキ。

今述べたような、本当に小さかった頃は抜きにして、
両親の視野に入らないようにした頃の、僕の気持ちって一体なんだったのかなぁ。
いい加減、ケンカってものの醜さもさることながら、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」と呼ばれるその本質が見えてきたのでしょうか。
やるだけやってすっきりすればいい、程度の気持ちだったのか。
まぁ、詳しいことは覚えていないのです。

でも、これは覚えているなぁというのがあります。
両親がケンカをやらかした翌日だったでしょうか、不機嫌なおふくろが、
親父と結婚しなければよかった、と僕の前でこぼすのでした。
それで、僕と二人だったらいいのになんて言いましたけれど、
それ以前に、親父とおふくろが結婚しなければ、
僕は生まれなかったわけで、それじゃ、僕はいなくてもかまわかったの?
という問いに結びついていくわけです。
これはねぇ、小学生の真ん中以前の年齢の僕にしてみれば、
元気をなくす親の態度・言動でしたよ。
今の小学生なんかはもっと醒めていて、親子関係をドライに捉えているのかなぁ、とも
思ったりもしましたが、やっぱりそんな人間の、いや子どもの本質がそう変わるものでは
ないでしょうから、現代の醒めた子供も、そういった切ない経験をしているものだと
みなすべきかもしれないです。

それに、もう一つ、親のケンカや不仲による子どもへのマイナスの影響として、
へんに親が子供にべったりになるという傾向が生まれてきませんかねぇ。
不仲なときには、不自然な感じでそんな傾向も時としてみられましたが、
それはそれで、親同士のあてつけめいたいつわりの愛情ですからね、
子どもとしても、その偽り加減を感じとって空虚な気持ちが心の片隅に生まれるものです。
子どもに対する一番の教育は、親同士の仲がいいことだなんて、何かで読みましたけれど、
ほんと、そうだよなぁ、って振り返ってみると納得できます。
仲のいい親の子どもだったら、少々ほったらかしておかれても、心は暖かいでしょう。
それに、ほったらかしておかれることで、自立心というか、自分を律する思考回路が生まれそう。
なぜなら、干渉されない自分だけの世界というものに住むことになって、
そこでは自分のしたことに対して自分で責任を取らなければいけないから。
「こうなると、こうなる」っていう世界の常識や原理が、親の干渉という混じり気を帯びずに
子どもの経験につながっていきますよね。

それともう一つ、親がケンカしてどうこうっていうのも、親父と結婚しなければよかったというのも、
あまりにそれは、子どもを脇役にしてしまう行為だなぁと思うのです。
まぁ、子どもも、「いつも自分が世界の主役」ではロクな人間になりませんけれど、
ここぞというときに脇役に押しのけられると、
ここぞというときに萎える人間になりそうな気がするんですよね。
あくまで、これは「気がする」ってことですので。

と、ここでお風呂が空いたので、入浴してきます。
それでは。

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