Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

プライド

2010-10-17 00:14:38 | 考えの切れ端
もしかすると珍しいのかもしれませんが、
子どもの頃の僕と、多くの同級生たちが当時憎んでいたものの一つは、
「プライド」でした。

いったい、プライドに対してどういった見え方がして、
嫌い、憎みさえするようになったのでしょうか。
その起点になった時期は、小学校中学年にあります。

「あの人、個人主義よね」と、別行動を取りがちな、ある個人をやんわりと
中傷する話がささやかれるのを聞きました。

球技などが強いクラスは、「あの学級ってまとまりが良いわよね」
と、うらやましがるような口調で語られるのを聞きました。

両者を結びつけると、
まとまりのある学級というのは、スポーツにも強く、
先生にも保護者にも褒められ、良い子の集まりとされる。
そんなまとまりのある学級を乱すのが、個人的な行動を取る人。
自分の意見というものを持っていて、たやすく妥協しないし、
人によっては団体行動を嫌うものもいるし、孤独を好くものもいる。
そういう個人主義は良くないね、みんな一緒にまとまるのがいいね、
というのが、その頃つまり小学校中学年の頃の集団としての有利な形勢でした。

そして、個人主義からそう遠くない位置にプライドというものが存在し、
それが邪魔なんだということになるのです。
みんな仲良くまとまることを志向すると、個人の持つプライドというものは、
とてもくだらなく、滑稽で、自分で自分を束縛する足かせのように見えてきます。
だから、「そんなプライドなんか持って、バッカじゃんねー」ということになります。

まだ、自我というものと面と向かって語りあう前の子どもです。
自分の考えに沿って、失敗しても良いから何かをやってみようという心意気に
欠ける子どもたちだったのかもしれません。
ただただ、するすると、成功への道を歩めればいい、そんなずるずるとした感覚でいたのかもしれない。

そして成功体験をまだ知らない子が多かったのでしょう。
「こういう努力をしてこういう成功を得ることができた」という経験が、
自分の中にプライドを形成する。
もちろん、そういう理由だけではありませんよね。
倫理上の信念、清潔さ、そういったものもプライドを形成するでしょう。

むろん、挫折というものも人を孤独にし、個人主義に向かわせる傾向もあるでしょう。
なぜならば、挫折は、より多くの自分への問いかけを必要とするものになるだろうからです。
自己修復に必要な自分への問いかけによって、思考力は鍛えられ、独自性が生まれ、
これもある種のプライド的役割を持つものが心に生まれて、個人主義の色を濃くする場合が
あるのではないかと推測します。

お気づきかと思いますが、僕の子ども時代の「まとまりの良い学級」を目指す考えは、
世の中をわかっていないし、とてもアンバランスで危険な「全体主義」に結びつくものです。
その後、ほぼ同じメンバーでそのまま進学した公立の中学校では、学級崩壊をやらかします。
「まとまりの良い学級」を目指す、没個性の考え方の裏返しの形が、学級崩壊だったと、
論理だてて考えていはいませんが、繋がるものだと直感しています。

僕らは、忠実な番犬が不審者を憎むように、プライドを憎み、吠えたてさえしました。
世界中のすべてのケンカ、争いの種がプライドにあるとすら踏んでいました。
プライドというものが存在しなかったら、どんなに幸せで平和な世の中になるだろう、
そう考えていました。
生存競争を知らない、資本主義の競争社会を知らない愚かな子どもだったのでした。

その後、いつから、僕はプライドを持つようになったのだろう。
個人主義へ傾倒していったのだろう。
それはまた別の機会にお話するかもしれません。

個人主義とはいっても、自分を特別視しない個人主義が好ましいですね。
俺は天才だとか、そういった思い込みからくるプライドは、今になっても嫌悪します。

同じく、今でも憎んでしまいそうなプライドにこういうのがあるんです。
実はこれを言いたくて、今までのは全部前フリのつもりでしたが、長くなりましたし、
本論よりも立派になってしまいました。
プライドというものが、成功体験、努力などから育まれるという一面を持っていますが、
たとえばその成功体験がパチンコとか競馬とかのギャンブルだけだったらどうだろう、と思ったんです。

「あの青年はやけに堂々としていてプライドが高そうだ。
だけど、話をしてみると、一家言あるようで無いのだが、一体なんなんだ」
そう思って、彼の話をじっくりとより深く聴いてみると、ギャンブルばかりしていて、
その自慢話ばかり飛び出すようになる。
つまり、運任せのギャンブルの成功体験でのみ形成された自信だった…。

とまぁ、実際にそういう人に会ったことはありませんが、
自分がそうなったらイヤだよなぁなんて思いました。
やけに気高かったりしたら笑えますけどね。

話は戻りますが、個人主義も、個人主義だけでひっそりやっていては面白くないのです。
それはそれ、個人個人のちょっとした結びつきがあると良いですね。
個人主義を阻害しないまとまりっていうものが出来るのならば、
そういう集団は頑丈だなぁというイメージが湧きます。
職場も学校も遊び仲間も、そういう繋がりの人間関係っていいですね。


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