Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『鬱に離婚に休職が…ぼくはそれでも生きるべきなんだ』

2014-11-05 19:07:26 | 読書。
読書。
『鬱に離婚に休職が…ぼくはそれでも生きるべきなんだ』 玉村勇喜
を読んだ。

鬱になるにはいろいろな原因があると思う。
支配的な親や上司の存在、
うまくいかない友人や同僚と会わなければいけないこと、
傷つけられたり、陰口に気付いたり。
会社に行きたくないな、学校を休みたい・・・
そういう経験は誰にでもあるでしょう。

とにかく、社会の営みからはずれて生きることはとても難しいことで、
ほとんどの人間はそれぞれがそれぞれに
もたれあいながら共生する存在であって、
ゆえに、相互にストレスを与えあいながら生活している。
なかには、ストレスを与える方が多い人もいるし、
ストレスを受ける方が多い人もいる。
ストレスに強い人もいれば、
うまくストレスを吐き出す方法を知っている人もいる。
そして、その逆の人も多くいる。
コミュニケーションが欠かせない人類にとっては、
一部の人が鬱という状態、病になるのは避けられないことは
感覚的にも、以上のことから多くの人がわかるところでしょう。

本書の著者は、鬱の状態から鬱病になってしまった方で、
本書ではその体験を自伝形式で述べています。
序盤の数ページでは、つらくても会社に生き続けるしか道はないのだ、
というような、当時の、若さゆえなのでしょうが、
人生というものに対しての狭い見方に縛られた文章が目に入りました。
たしかに、せっかくつかんだ就職内定であり、
そこにしがみつこうとする気持ちはわかるのですが、
だからこそ、頑張りすぎたり余裕がなくなったときに、
自らのこころを痛めてしまうのだと思います。
きっとそこには、他人か自分を攻撃しなければ、
もやもやしたものから解放されない、
という切迫感めいたものもあるんじゃないだろうか。
そして、他人を傷つけたとしてもあとで自分が傷つくだけですし、
自らを責めても心が苦しくなるだけ、
というマイナス方向へのベクトルを生むのではないでしょうか。

人には、ある視点からみての、強い・弱いがあります。
優れている・劣っている、もあります。
でも、それって、あくまで一つの視点からの見方です、
それは今の時代にとって強固な価値観による見方であったとしても。
次の時代にとって、今の時代の「強い」が
けして「強い」とは限らないともいえますし、
同様に、「弱い」が強いとみなされる価値観に反転しないとも限らない。
そういう理由で、多様性って重んじられるわけです。
そして、多様性という観点で見れば、強くとも弱くても等価値なんです。

しかし、鬱状態や鬱病の人にとってはそういったロジックも、
頭ではわかるのだけれども、こころには届かない、
といったこともあるように読めました。
本書では、僕なんかが読んでも「まあ、まだ軽い状態なんじゃないかな」
と思えるような鬱状態から始まり、そのうちどんどんと重症化していく様を
読みこむことになっていくのですが、
そのつらさの描写・告白を知るにあたって、
読者はつらさをやわらげてあげられないこと、方法がわからないことを実感しつつ、
でも、話を聞いてあげることならできるし、
寄り添うような気持ちになることもできることを知るでしょう。
また、著者と同じ苦しみを持つ方にとっては、
そこには共感と、苦しみを分かち合えたような気持ちを、
ともに得ることになるのではないだろうか。
自分ひとりだけの苦しみじゃないことを知ることは、
その人の苦しみを和らげる効果があると思います。
それらのような意味で、
本書は、著者の鬱病体験記でありながらも、
著者と読者の間でこころのやりとりをしてお互いが弱く繋がる本である、
と位置づけることができます。
村上春樹さんが小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で述べた、
人と人との繋がりは、傷や痛みなどによってこそのもので、
そういうのこそ真の調和なんじゃないかっていうところをピックアップすれば、
本書は、ちょっと大げさかもしれないですが、
人々の調和に貢献するたぐいの本とも言えるのです。

最後に。
この本は著者の玉村さんから献本頂いたものでした、感謝いたします。
また、僕の感想にちょっと硬い感じを抱く方もいるかもしれないですが、
本書は非常に読みやすい文章で書かれていますので、邪推いたしませぬよう。


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『キレイゴトぬきの農業論』

2014-11-05 00:02:04 | 読書。
読書。
『キレイゴトぬきの農業論』 久松達央
を読んだ。

有機農法で年に50品目ほど栽培して、
契約した消費者や飲食店へじかに届けるかたちの農業をやっておられる著者の、
ロジカルでときにユーモアを交えた農業のいろいろな面を語る本です。

帯にあったんですが、

有機=美味で安全、
農家=清貧な弱者、
農業=体力が必要・・・・・すべて勘違い!

ということです。
それらがどういうことなのかを主軸に前半は語られます。

これからの時代の農業についての著者なりのヴィジョンも
語られるのですが、そういったことも含めて、社会学やビジネス書などにも
多く目を通しておられるなぁといった印象の語り口でした。

そして、肝心のその著者のヴィジョンですけれども、
それが一言でいうならば、ストーリー・マーケティングというものだそうです。
なんだろう、と思う人も多くいらっしゃるでしょうけれども、
このブログの記事をよく読んでくださっている方であれば、
こういえば通じると思います、それは『贈与論』の考え方であると。
つまりは、顔が見えて、商品に思いや生産者の人となりを感じられるような、
「あったかみ」であり「いとおしさ」です。
商品の背後に、そんなストーリーであり、ソウルがあって、
それらを消費者が感じとれるということなんですが、
この考え方には、社会的包摂の性質があるでしょう。

嬉しいですね、僕がこの考え方にたどり着く半年か1年か、それ以上かくらい前に
そういうことをしっかり考えている方がいた。
僕の考えも机上の空論ではないということです。

閑話休題。

ニッチ産業としての居場所をみつけた著者の農園だということですが、
ちゃんとニーズを生んでやっているので、単なる隙間産業ではないのではないか。
土地の力を活かし、旬を守り、品種を選び、鮮度を大切にするというこの三要素を
堅守することで、慣行農家の作物よりもおいしいものを作っていくというのが、
大きな方針で、はた目には、セレブという意味ではないけれど、
野菜による贅沢を提案するようなビジネスになっているように読みました。

また、農家は大変だと言われますが、参入障壁が高いということがありながら、
起業家よりも成功率が高いことがあげられていました。
固定資産税などが優遇されていて、
住居費などにかかる費用は都市生活者よりも低く済むことも語られていました。
それに、45歳までの新規就農者には、7年間にわたって、年間150万円の援助が
国からあるということも語られていて、
著者は甘やかすという意味においてそれには否定的な立場を表明しています。

まぁ、なんていうか、農業論といわれていますけれど、主軸はたぶん有機栽培なのですが、
それでもあまり中心軸を感じないいろいろなトピックを正面から紹介したり論じたり
という性格の本ではないかなと思いました。

マクロにもミクロにも農業を語っているのですが、
200ページに収まっているコンパクトな読み応えのある読みものでした。


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