Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『ためらいの倫理学』

2014-11-16 22:21:15 | 読書。
読書。
『ためらいの倫理学』 内田樹
を読んだ。

十年ちょっと前に発刊された、
内田樹さん初の単著作がこの本でした。
おもに、ご自身のサイトで発表されていた
エッセイや論考などを集めたものだそうで、
内容は単純化されていない難しいままのものではありますが、
語り口が柔らかなので、念入りに読むと
ちゃんと読解できるものが多いと思います。
それでも、僕なんかは「前景化」なんてわからない言葉でしたし、
「プラグマティック」や「パセティック」なんかは、
意味を忘れてしまっていてWEB検索しました。
そういう労をいとわないで、時間をかけて読むことができる人には、
とても質の高いリターンがあるでしょう。

戦争、性、審問の語法、物語、という四部構成ですが、
なにかしら一貫しているようなものがあります。
思想や事象を咀嚼する、その借り物ではない知性が語り手です。
単純化もしません。
たぶん師匠であるフランスの思想家・エマニュエル・レヴィナスの哲学を
頻繁に引用はしますが、それは著者の血となり肉となったもので、
彼なりの深い洞察と混然一体となっていて、
彼とレヴィナスの間に段差のような、階層の差のようなものはほぼ感じられない。
だからこそ、自身の知に対してフェアな人なんだろうなという印象を
読み手は持つことになるのです。
そして、そんな印象を持った著者の本ですから、
それじゃ、その語るところを拝読しようじゃないかという気概にも
繋がるんだと思うところです。

著者によると、知というものは、自分のことをいかに疑えるかという
ところにある、というようなことだそうです。
わからないことや知らないことを隠さず、目をそらさずにいられることが
知性が高いか低いかの条件になるということです。
知識が多かろうが、知恵に富んでいようが、
前掲の条件にそわなければ、知性が高いとはいえない。
それほど、自分の弱いところや愚かなところや邪悪なところを見つめる
ことは大事ですよ、ということなんですね。

ところどころに冗談だとか、言い回しの面白さが出てきます。
そういうところも魅力の一つですが、フロイトの弟子にあたる
ラカンという構造主義の主要人物の人の書くものの
わけのわからなさを、わからないでしょ、と書いてのける素直さと、
その本当にわけのわからないような難しい引用文には苦笑してしまいました。

また、本書のタイトルと同じ題名の「ためらいの倫理学」の章が最後にありますが、
それこそ、この本のまとめ的な、カギとなる章なので、読む人は
そこは飛ばさずにいてほしいですね。
ここで言われる「ためらい」は、僕の考え方にも通じるものがあって、
僕の場合は「ゆらぎ」という言葉で表すことが多いです。
ある種の重要な判断には、ブレないことよりも、ブレブレなほうがいいんじゃないか
っていう考えですが、本書の「ためらい」、これはアルベール・カミュ論から
カミュのものとして飛び出した言葉を元にしていて、
それとほぼ同じだなと思っています。
個人的にカミュは昔『異邦人』を読んだことがありますが、
そのときは、「太陽のまぶしさ」ばかりが印象に残るという、
あまり深い読書ではなかったような気がします。
今でも、そんなものかもしれないですけどね、読解力。

まとめていえば、けっこう難しい本です。
よくわからないなぁ、とフェミニストの章の部分はとくに感じました。
それでも、本書のところどころから得られるものは、
有用であったり、なぐさめであったり、「それでよかったんだ!」っていう
気付きだったりもします。

現代思想のセントバーナードという喩えで、
著者を語る章がありますけれども、
たしかに、本書は、現代思想に遭難した人に、元気になるブランデーを
飲ませてくれるような本かもしれないです。
そうやって、ブランデーだけ飲ませて、
「あとはがんばりな」と去っていきます。

まぁ、それでいいんじゃないでしょうか。


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