読書。
『世界は宗教で動いてる』 橋爪大三郎
を読んだ。
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など
世界の宗教をみていきながら、それらがどのように、
人々の思考形態を形作っているかをみる本。
いかに、世の人びとは宗教に影響されて(それも大いに)、
社会を作っているかがわかります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教による考え方は、
世界の西洋的な近代化と関係している。
それは、たとえば所有権という考え方がわかりやすいのだけれど、
神という絶対的存在が人間に対して絶対的な支配権をもつ、
という考えかたが応用されて、人間がモノに対しての支配権を持ち、
そこから、収益を得たり使用したり処分したりする自由がある、
という発想に繋がった。
ただ、イスラム教は一神教だけれど、
アラブの人たちなどがそこまで近代化していないのは、
政教分離をしない宗教だし、ユダヤ教やキリスト教にくらべて
「平和な宗教」であるからかもしれない。
そして、そういう所有権的な発想は、
多神教の世界では受け入れにくいものだということでした。
インドのヒンドゥー教は多神教だし、日本の神道も多神教。
ではなぜ、日本は近代化をスムーズに行えたのか。
本書では別な説明がなされていますが、
ぼくはそこにはぐだぐだな宗教観に理由があるのではと思いました。
いろいろなものを取り入れて混ぜ合わせてしまったがゆえのぐだぐださがあります。
まず、もともとの神道がある。
これは『もののけ姫』のとらえる神様観(宗教観)を考えるとわかりやすいでしょう。
ここでは説明しませんので、本書の日本の章を読むと「ああ、そうか」とわかります。
そこに、中国経由で入ってきた仏教が混ざる。
混ざるし、仏教そのものも変質して日本独自の物となっていく。
もともと、中国仏教がインドから経典を輸入して翻訳するときに、
偽経といって、中国の儒教にあうように1/3くらい作りかえられたものらしい。
そして、朱子学という儒学が江戸時代に入ってくる。
今考えてもそうだけれど、日本人の宗教感覚って、儒教的な一面もあれば、神道の一面もあって、
そして仏教の一面もあれば、いまや一神教の視点でもって神様をイメージしたりもする。
だからきっと、そんなゴチャゴチャしたものを信じれないということになって、
生活(そしてビジネス)を第一とするスタンスになってるんだと思われるのです。
そのために、近代化だとかのほうがよりシンプルな考え方なので、
上入れやすかったのではないか、障壁となる宗教観がなかったのではないか、
とぼくは思うのです。
ちなみに、西洋人は宗教を第一とするスタンスで、二番目に哲学がくるということです。
中国人は第一に政治がくるとのことでした。
本書を読むと、現代を現代となしているその根っこの部分に宗教の考え方があることが分かり、
著者の橋爪さんが少しずつそこのところを解き明かして、ほぐして教えてくれます。
こういうところをしっかり押さえておくと、
世界、いや日本の中の見え方までもがクリアになると思います。
『世界は宗教で動いてる』 橋爪大三郎
を読んだ。
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など
世界の宗教をみていきながら、それらがどのように、
人々の思考形態を形作っているかをみる本。
いかに、世の人びとは宗教に影響されて(それも大いに)、
社会を作っているかがわかります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教による考え方は、
世界の西洋的な近代化と関係している。
それは、たとえば所有権という考え方がわかりやすいのだけれど、
神という絶対的存在が人間に対して絶対的な支配権をもつ、
という考えかたが応用されて、人間がモノに対しての支配権を持ち、
そこから、収益を得たり使用したり処分したりする自由がある、
という発想に繋がった。
ただ、イスラム教は一神教だけれど、
アラブの人たちなどがそこまで近代化していないのは、
政教分離をしない宗教だし、ユダヤ教やキリスト教にくらべて
「平和な宗教」であるからかもしれない。
そして、そういう所有権的な発想は、
多神教の世界では受け入れにくいものだということでした。
インドのヒンドゥー教は多神教だし、日本の神道も多神教。
ではなぜ、日本は近代化をスムーズに行えたのか。
本書では別な説明がなされていますが、
ぼくはそこにはぐだぐだな宗教観に理由があるのではと思いました。
いろいろなものを取り入れて混ぜ合わせてしまったがゆえのぐだぐださがあります。
まず、もともとの神道がある。
これは『もののけ姫』のとらえる神様観(宗教観)を考えるとわかりやすいでしょう。
ここでは説明しませんので、本書の日本の章を読むと「ああ、そうか」とわかります。
そこに、中国経由で入ってきた仏教が混ざる。
混ざるし、仏教そのものも変質して日本独自の物となっていく。
もともと、中国仏教がインドから経典を輸入して翻訳するときに、
偽経といって、中国の儒教にあうように1/3くらい作りかえられたものらしい。
そして、朱子学という儒学が江戸時代に入ってくる。
今考えてもそうだけれど、日本人の宗教感覚って、儒教的な一面もあれば、神道の一面もあって、
そして仏教の一面もあれば、いまや一神教の視点でもって神様をイメージしたりもする。
だからきっと、そんなゴチャゴチャしたものを信じれないということになって、
生活(そしてビジネス)を第一とするスタンスになってるんだと思われるのです。
そのために、近代化だとかのほうがよりシンプルな考え方なので、
上入れやすかったのではないか、障壁となる宗教観がなかったのではないか、
とぼくは思うのです。
ちなみに、西洋人は宗教を第一とするスタンスで、二番目に哲学がくるということです。
中国人は第一に政治がくるとのことでした。
本書を読むと、現代を現代となしているその根っこの部分に宗教の考え方があることが分かり、
著者の橋爪さんが少しずつそこのところを解き明かして、ほぐして教えてくれます。
こういうところをしっかり押さえておくと、
世界、いや日本の中の見え方までもがクリアになると思います。