読書。
『世界のすべての七月』 ティム・オブライエン 村上春樹 訳
を読んだ。
小説が上手かどうかにかかわらず、なんだかどうしても気になってしまう作家で、だからこそ翻訳したい作家なのだ、というようなことを翻訳者の村上春樹さんが書いています。彼がいうところでは、彼の小説には「下手っぴいさ」があるのだと。でも、翻訳されたあとの本書を読んでみるとそういうところはほとんど感じられませんでした。ストーリーの展開には人生を知っているもののそれがありますし、文章やその展開にだってまっとうな誠実さがあると感じました。反対に、翻訳がもともとの文章の素顔を、慣れた感じで化粧しているかのような感覚が僕にはありました。
1969年にダートン・ホール大学を卒業し、2000年に同大学で卒業31年目の同窓会が行われている模様を挟みながら、主要な11人の過去がひとつずつ語られていきます。甘さよりも苦さが際立つかれらのその、それぞれの人生の物語。生きることの苦しい部分を、こちらがするすると読めてしまうところは、エンターテイメントの性質を備えている作品だからだなあと思いました。そして、味わい深い。人生の真であるところにぺたっと貼りついているような距離感覚での文章表現が巧みです。そこまで言い得てしまうんだ、という表現、単純な表現で直截に射ぬくのではなくて、レトリックを用いてやんわりと、だけれどそこで作者が言っている中身を考えるとど真ん中のストライクなんです。素晴らしい球で抜いているんです。そういった見事な球がかなりあります。
作中のそれぞれの人生の話において、その重みや彼らがやらかしてしまったことのオリジナリティについていえば、それはもうどこかに綻びを探そうとするならばそれが愚かで恥ずかしいことであると顔が熱くなるだろうことをすぐに悟るくらい真に迫っていて、この世界のどこかで実際にあったことをエンタメ的な表現で小説にしたのではないか、と信じてしまいそうになるほどです。
作者はベトナム戦争に従軍したそうですが、ベトナムでの戦地の話があるし、若い女の子の危険なお金稼ぎの方法とそこに続く落とし穴の話、二人の夫を持つ女性の話、などなどもっとありますが、語られる話の幅が広くて、だからこそ様々な人生を経た人たちが会する同窓会をこういった形で立体的な群像劇に仕上げられたのでしょう。かなりの力量と熱意がなければ作り上げられない作品だと思います。
さまざまな人生。それらの人生の細かいところを知ると途端に親しみを覚えるものです。今の彼・彼女はそうやって出来たのだなぁとわかりますから。とくにその苦しんだ部分、そこは大きいですね。きっと苦しみのディテールにその人の人生の魅力があるんです。誰かにつよく愛おしさや慈しみを感じるのだとしたら、その誰かの苦しみのディテールを知ったからだったりしませんか? 若いうちは、苦しみの意味なんてよくわからなくて、逆に、苦しんだ過去などは弱点だとか汚点だとかと考える人は多いでしょう。けれども、そこを自分で受け入れて捨ておかないでいられるようになったら、そしてカウンターのような心理で自慢のために使ったりしないようになれたなら、この小説の登場人物たちのように、紙一重ででも善きほうへと小さく一歩をふみ出せるのだと思います。
といったところです。本書のタイトルはどういった意味だろう、と常に頭の片隅に疑問を置きながら読んでいました。ラストに、「あ。」と思う終わり方です。全ての人は、世界のすべての七月に生きている。永遠って実はあるのだ、ということだと読めました。儚いけれどパワーに満ちた永遠であり、信じる者だけの永遠なのかもしれません。
『世界のすべての七月』 ティム・オブライエン 村上春樹 訳
を読んだ。
小説が上手かどうかにかかわらず、なんだかどうしても気になってしまう作家で、だからこそ翻訳したい作家なのだ、というようなことを翻訳者の村上春樹さんが書いています。彼がいうところでは、彼の小説には「下手っぴいさ」があるのだと。でも、翻訳されたあとの本書を読んでみるとそういうところはほとんど感じられませんでした。ストーリーの展開には人生を知っているもののそれがありますし、文章やその展開にだってまっとうな誠実さがあると感じました。反対に、翻訳がもともとの文章の素顔を、慣れた感じで化粧しているかのような感覚が僕にはありました。
1969年にダートン・ホール大学を卒業し、2000年に同大学で卒業31年目の同窓会が行われている模様を挟みながら、主要な11人の過去がひとつずつ語られていきます。甘さよりも苦さが際立つかれらのその、それぞれの人生の物語。生きることの苦しい部分を、こちらがするすると読めてしまうところは、エンターテイメントの性質を備えている作品だからだなあと思いました。そして、味わい深い。人生の真であるところにぺたっと貼りついているような距離感覚での文章表現が巧みです。そこまで言い得てしまうんだ、という表現、単純な表現で直截に射ぬくのではなくて、レトリックを用いてやんわりと、だけれどそこで作者が言っている中身を考えるとど真ん中のストライクなんです。素晴らしい球で抜いているんです。そういった見事な球がかなりあります。
作中のそれぞれの人生の話において、その重みや彼らがやらかしてしまったことのオリジナリティについていえば、それはもうどこかに綻びを探そうとするならばそれが愚かで恥ずかしいことであると顔が熱くなるだろうことをすぐに悟るくらい真に迫っていて、この世界のどこかで実際にあったことをエンタメ的な表現で小説にしたのではないか、と信じてしまいそうになるほどです。
作者はベトナム戦争に従軍したそうですが、ベトナムでの戦地の話があるし、若い女の子の危険なお金稼ぎの方法とそこに続く落とし穴の話、二人の夫を持つ女性の話、などなどもっとありますが、語られる話の幅が広くて、だからこそ様々な人生を経た人たちが会する同窓会をこういった形で立体的な群像劇に仕上げられたのでしょう。かなりの力量と熱意がなければ作り上げられない作品だと思います。
さまざまな人生。それらの人生の細かいところを知ると途端に親しみを覚えるものです。今の彼・彼女はそうやって出来たのだなぁとわかりますから。とくにその苦しんだ部分、そこは大きいですね。きっと苦しみのディテールにその人の人生の魅力があるんです。誰かにつよく愛おしさや慈しみを感じるのだとしたら、その誰かの苦しみのディテールを知ったからだったりしませんか? 若いうちは、苦しみの意味なんてよくわからなくて、逆に、苦しんだ過去などは弱点だとか汚点だとかと考える人は多いでしょう。けれども、そこを自分で受け入れて捨ておかないでいられるようになったら、そしてカウンターのような心理で自慢のために使ったりしないようになれたなら、この小説の登場人物たちのように、紙一重ででも善きほうへと小さく一歩をふみ出せるのだと思います。
といったところです。本書のタイトルはどういった意味だろう、と常に頭の片隅に疑問を置きながら読んでいました。ラストに、「あ。」と思う終わり方です。全ての人は、世界のすべての七月に生きている。永遠って実はあるのだ、ということだと読めました。儚いけれどパワーに満ちた永遠であり、信じる者だけの永遠なのかもしれません。