Fish On The Boat

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『JR上野駅公園口』

2021-08-01 04:01:37 | 読書。
読書。
『JR上野駅公園口』 柳美里
を読んだ。

2020年の全米図書賞翻訳部門に選ばれもした作品です。文庫本の裏表紙にある内容紹介の文章が、ほんとうに書き過ぎずちょうどよい濃度で伝えてくれているので、僕がここでわざわざ拙く紹介するのも野暮なのですが、とりあえずのところを知って頂くために簡単に書いていきます。多少のネタバレもあります。

福島県相馬郡で暮らしていた主人公が人生の最後に上野駅周辺でホームレスとなり、その生活の中で故郷や家族、そして自分の人生を振り返っていきます。平成の天皇と同じ年齢で、皇太子(今上天皇)と同じ日に生まれた息子がいて、昭和天皇の行幸の場に居合わせたことがあり、というふうに、日本という国に住む者のいっぽうの極ともういっぽうの極の対比で見せる構図でもあります。ここで気付くのは、どちらにしても人間的な油っこさが薄く感じられること。しかしながら、主人公のようなホームレスにはまったく力がなく、天皇などの皇族が上野周辺での行事に訪れるときには、一方的に「山狩り」とも呼ばれる特別清掃で一時的にダンボールやブルーシートの小屋を片付けさせられます。

まるでノンフィクションのように綴られていく小説世界でした。リアリティーの描き方が、語彙と勉強によって支えられているように読み受けました。僕だったら、たとえば札幌の街中を歩いて、そこかしこで目にする事実の由来や理由についてまったくわからないどころか気付きもせず歩き流していくところでしょうが、しかしこの小説では、その故郷の土地での仏教の宗派の歴史とそれによって出来あがった現実の空気や力関係などもそうですし、警察車両の種類やその目的など、そして上野駅周辺の映画館の種類など、生活周辺域への認識の踏み込みが言語化できるほど深いです。小説世界の組み立て、建物でいえば柱や梁などの構造部分にあたるようなところ、そこをしっかり克明に書いていくことで、現実との境界をきっちり区切ったものではなく、ある現実のひとつとして読めてしまうような作品になっているのではないでしょうか。

そうやって描き出されたものは、日本の社会全体で見ないふりをしてきたことや、無関心のなかに葬ってきたことだと思います。主人公は若い時分からよく働き長いあいだ出稼ぎにも出て仕送りをしてきました。それは家族のためでもあり、同時に高度経済成長期を支えてもいたのです。酒も飲まず遊びもしない主人公は、労働のきつさにも紙一重で負けず、真摯に生きてこの社会のインフラ面などの力になってきた。いわば数多くの功労者のひとりなのですが、老いてから、孫娘に面倒をかけるわけにはいかない、と再上京してホームレスになってしまう。

要領が悪かったとか不器用だったとか「個人のせい」で片付けられるものでもないと思うのです。社会の構造からして無数にエアーポケットがあるのだと感じました。人に頼らず自活し、他人に迷惑をかけないことを徳とする倫理観はこの国では強くて、小さなころから空気といっしょに吸い込みながら成長してしまいます。そうやって自然にこの倫理観と一体化してしまうがゆえ、ちょっとした不運や不幸で人生の大きな転換を、それもネガティブな転換を迫られてしまう。

社会へと「こういう疑問を気付いてみませんか? そして考えてみませんか」と投げかけられ問いかける作品でした。最後に、151pにある一文で締めたいと思います。

<自分は悪いことはしていない。ただの一度だって他人様に後ろ指を差されるようなことはしていない。ただ、慣れることができなかっただけだ。どんな仕事にだって慣れることはできたが、人生にだけは慣れることができなかった。>

強い風が吹いて飛ばされてしまったら、もうそのまま。そんなふうな社会環境ではよくないな、というのは、東日本大震災で甚大な被害があった人々を想ってもそうですし、今のコロナ禍でもその窮状に対して無関心にさらされる人々を想ってもそうです。

いまより一歩でも「よい」と思える社会を作っていくために必要な「問い」のある、力のこもった作品でした。


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