ひさしぶりに近況を書きます。
相変わらず、キレてばかりいて暴力的だったり問題行動のある父親が要介護度4の母親の主介護者で、僕はそれを助けつつ主に家事をしながら過ごしています。たまに役所へ資料を作って相談にいったり、支援団体に話を聞いてもらったりしつつです。
おそらく創作をしながらだからだと思うのですが、父親による家庭内の暴力が僕のメンタル面へのダメージとなりやすいのです。自分の内面を探りながら、また、さまざまに日常から感じられる情報の取り入れ量がクリエイターの場合は他の人よりも多くなりやすいそうなので、その処理にメンタルのエネルギーを使いもする(情報によっては、他者の気持ちになったり、できるだけ他者と同期しようとつとめたりするからです)ので、そういった自らのもろさを保護できていない状態で、叫び声のような怒鳴り声やそれにともなう暴力的なふるまい、暴言などの言動からダメージを負いやすいのだろうと考えています。
こういったところは、今読み始めているパーソナリティ障害の本の内容と照らすと表層的に重なる部分があり、他者からは勘違いされやすいだろうな、という気がしています。まあ、ちょっとしたフラッシュバックがあるので軽いPTSDのような状態ですから、それをパーソナリティ障害の範囲と解すれば、パーソナリティ障害に該当するのかもしれません。とはいえ、人格的に未熟だとか、そういったことではないと僕自身は考えています。父親のほうがよっぽど人格障害に該当しているのを感じます。
役所からは、僕が「両親に巻き込まれている状態」だと言われていますし、相談するたびに父親の暴力については「警察に通報するレベルに達している」と言われもします。ただ、警察は暴力装置と呼ばれるように、他律性を発揮して強制的に個人の人生をに介入して権力を行使しますから、これはほんとうに最終手段だなと考えています。無理やりに家族が離散させられて、僕は生活保護になるのが目に見えてもいるので。
というわけなのですが、一面的になりますが、以下に手短にですが、どういった方向で対応して、いまどうなのかについて、書いていきます。
こうしなければいけない、と制約やルールを厳しくして怒鳴りちらすというのがうちの父で、そしてそれらに対して不寛容だという性格をしているのです。母の世話・介護をしながらぎゃーぎゃーと叫ぶように怒鳴るので、ある程度は僕に任せなさい、と僕、ケアマネ、理学療法士でアプローチしたのが、かれこれ4年前です。
ですが、父親は他者を信じられないのでその気はなく、膠着した状態が続き、父は父で役所の人たちと話をして家の状況が悪いのは僕のせいだとするので、そのうち、役所からは僕がどこかに勤めないのが原因だとされるようになります。ですが、僕だってDVでボロボロですからどこかで働いてもうまくいかないのです。朝から暴力に接しながら出勤しても、頭は表面的にしか回らなくて応用がきかない。発作のように、脳の働きが硬直する。夜中にも母親が起きだしてそれで大騒ぎになるので夜も眠れず3か月ほどは毎日2時間前後の睡眠時間になり疲弊していきました。おまけに職場は不機嫌な空気とハラスメントのあるところ。
で、このあたりを役所の包括支援係に説明し、なおかつ、僕が子供のころからの家庭環境や僕のこれまで人生の送り方を説明したところ、「お父さんの方が変わるべきだったかもしれない、と反省しています」という返事を得ました。
話は戻りますが、父は僕にお願いするということはありませんが、こんなに困っているのでどうして手を貸さないと怒りはします。父が言わなくても察して手を貸せというような態度です。それでいて、手を貸しても、父が頼んだわけでもないし、そんなことは当たり前なことであって、僕には世話になんてなっていない、と平然と言い切るのです。
さらに言うと、僕が手助けして父が楽になると、今度はルールを厳しくしたり制約を増やし、それができないとまた同じように怒鳴り散らすのです。つまり、楽になったぶん、エスカレートする。だから、手を貸しても無駄どころか、より僕や母は苦しむことになっていくのでした。これは、父が完璧主義なうえに理想主義も強いからだと考えています。それらを家族に強制するのです。そして、完璧主義や理想主義を推し進めていく強迫観念も強い。くわえておそらく他者を支配することで幸福感を得られるので、その作用から逃れられなくなっているのだと思います。
父は内省するタイプではないし、自分が悪いとも思っていないし、だから自分がもっとよくなろうだとか他者の迷惑にならないようにしようだとかも考えない。そういった意味での向上心はない。だから、こちらからどんなに働きかけて変えようとしてもまったく無駄ということになるんです。
お手上げなんですよね。ずっと耐えるほかない、ということになっています。耐えているだけ蝕まれる部分はあるので、それをどうセルフケアしていくかという話になってきます。
そういう状況の中にいて、なかなか原稿に向かう気持ちやエネルギーも足りていませんでしたが、今は半年ほど前に書いた、『死をめぐる、悲しみとまやかしの午後』の続きを書いています。完成形にして、note創作大賞に応募するつもりです。あとはほんとうの終いの部分を書いて、バランスを整え、推敲して、となります。
原稿をやっていく意味でもやっぱり、自分の心身をどう健康に保つか、です。だましだまし、うまく立ち回ることも大事だなと思います。
相変わらず、キレてばかりいて暴力的だったり問題行動のある父親が要介護度4の母親の主介護者で、僕はそれを助けつつ主に家事をしながら過ごしています。たまに役所へ資料を作って相談にいったり、支援団体に話を聞いてもらったりしつつです。
おそらく創作をしながらだからだと思うのですが、父親による家庭内の暴力が僕のメンタル面へのダメージとなりやすいのです。自分の内面を探りながら、また、さまざまに日常から感じられる情報の取り入れ量がクリエイターの場合は他の人よりも多くなりやすいそうなので、その処理にメンタルのエネルギーを使いもする(情報によっては、他者の気持ちになったり、できるだけ他者と同期しようとつとめたりするからです)ので、そういった自らのもろさを保護できていない状態で、叫び声のような怒鳴り声やそれにともなう暴力的なふるまい、暴言などの言動からダメージを負いやすいのだろうと考えています。
こういったところは、今読み始めているパーソナリティ障害の本の内容と照らすと表層的に重なる部分があり、他者からは勘違いされやすいだろうな、という気がしています。まあ、ちょっとしたフラッシュバックがあるので軽いPTSDのような状態ですから、それをパーソナリティ障害の範囲と解すれば、パーソナリティ障害に該当するのかもしれません。とはいえ、人格的に未熟だとか、そういったことではないと僕自身は考えています。父親のほうがよっぽど人格障害に該当しているのを感じます。
役所からは、僕が「両親に巻き込まれている状態」だと言われていますし、相談するたびに父親の暴力については「警察に通報するレベルに達している」と言われもします。ただ、警察は暴力装置と呼ばれるように、他律性を発揮して強制的に個人の人生をに介入して権力を行使しますから、これはほんとうに最終手段だなと考えています。無理やりに家族が離散させられて、僕は生活保護になるのが目に見えてもいるので。
というわけなのですが、一面的になりますが、以下に手短にですが、どういった方向で対応して、いまどうなのかについて、書いていきます。
こうしなければいけない、と制約やルールを厳しくして怒鳴りちらすというのがうちの父で、そしてそれらに対して不寛容だという性格をしているのです。母の世話・介護をしながらぎゃーぎゃーと叫ぶように怒鳴るので、ある程度は僕に任せなさい、と僕、ケアマネ、理学療法士でアプローチしたのが、かれこれ4年前です。
ですが、父親は他者を信じられないのでその気はなく、膠着した状態が続き、父は父で役所の人たちと話をして家の状況が悪いのは僕のせいだとするので、そのうち、役所からは僕がどこかに勤めないのが原因だとされるようになります。ですが、僕だってDVでボロボロですからどこかで働いてもうまくいかないのです。朝から暴力に接しながら出勤しても、頭は表面的にしか回らなくて応用がきかない。発作のように、脳の働きが硬直する。夜中にも母親が起きだしてそれで大騒ぎになるので夜も眠れず3か月ほどは毎日2時間前後の睡眠時間になり疲弊していきました。おまけに職場は不機嫌な空気とハラスメントのあるところ。
で、このあたりを役所の包括支援係に説明し、なおかつ、僕が子供のころからの家庭環境や僕のこれまで人生の送り方を説明したところ、「お父さんの方が変わるべきだったかもしれない、と反省しています」という返事を得ました。
話は戻りますが、父は僕にお願いするということはありませんが、こんなに困っているのでどうして手を貸さないと怒りはします。父が言わなくても察して手を貸せというような態度です。それでいて、手を貸しても、父が頼んだわけでもないし、そんなことは当たり前なことであって、僕には世話になんてなっていない、と平然と言い切るのです。
さらに言うと、僕が手助けして父が楽になると、今度はルールを厳しくしたり制約を増やし、それができないとまた同じように怒鳴り散らすのです。つまり、楽になったぶん、エスカレートする。だから、手を貸しても無駄どころか、より僕や母は苦しむことになっていくのでした。これは、父が完璧主義なうえに理想主義も強いからだと考えています。それらを家族に強制するのです。そして、完璧主義や理想主義を推し進めていく強迫観念も強い。くわえておそらく他者を支配することで幸福感を得られるので、その作用から逃れられなくなっているのだと思います。
父は内省するタイプではないし、自分が悪いとも思っていないし、だから自分がもっとよくなろうだとか他者の迷惑にならないようにしようだとかも考えない。そういった意味での向上心はない。だから、こちらからどんなに働きかけて変えようとしてもまったく無駄ということになるんです。
お手上げなんですよね。ずっと耐えるほかない、ということになっています。耐えているだけ蝕まれる部分はあるので、それをどうセルフケアしていくかという話になってきます。
そういう状況の中にいて、なかなか原稿に向かう気持ちやエネルギーも足りていませんでしたが、今は半年ほど前に書いた、『死をめぐる、悲しみとまやかしの午後』の続きを書いています。完成形にして、note創作大賞に応募するつもりです。あとはほんとうの終いの部分を書いて、バランスを整え、推敲して、となります。
原稿をやっていく意味でもやっぱり、自分の心身をどう健康に保つか、です。だましだまし、うまく立ち回ることも大事だなと思います。
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