☆先週の続き…僕は学生時代から時計が大好き…大学生になって初めて、親父に買って貰ったかな?当時の国産はセイコー、オリエントが主流輸入品は高いし、少なかった。それでも輸入品に憧れて確か、ヴァルカンと言う時計だった。最近又、たまに目にするがエニカと言う時計があったが当時としては薄型の最先端だったが、高くて買って貰えなかった様に覚えている。
大学3年生くらいかな、銀座土橋に「ショウボート」というキャバレーがあって先輩に連れられて行ったときその綺羅びやかさに驚いた。お店に入ると「ドーン」と銅鑼が叩かれる。初めに確か1000円位で50円が20枚の券を買う。ビールが150円だったかな?学生服で行くわけだから目立っよね。一度行ったら病み付きになり4年生で野球が終わってからは遊びまくった。と言ってもお金がない。3~4人の遊び仲間と時計を持って飲みに行き
飲み代のカタに時計を置いてくる。時計を確か3,000円位で取ってくれた。じゃんけんして一番負けた奴が最後まで席に残る。後の連中はトイレに行く振りをして非常口の階段から順番に出て行く。この時は安いセイコーの時計を持って行ったものだ。おおらかな時代で粋人だった慶応の池田弥三郎先生は一頃よくそのキャバレーに来ていた。お会いすると「お邪魔してます」と挨拶をする。席に着く馴染みの女の子が「チケットを先生の所から貰ってきてあげる」と気を利かせてくれた。今では時計をカタにして呉れる店なんてないだろう。それだけ時計の価値がなくなってしまった。(宝飾時計は別、僕はセイコーの輸出モデルラサールが大好きだ)これも科学の進歩。最近、腕時計は殆どしない。万歩計、携帯電話で十分に時間は解る。だから、置いてある時計を見ると皆止まっているので、12個も纏めて電池交換をする羽目になってしまう。目覚まし時計が壊れたのでワイフが使いやすいように色々考えて、電波時計でデジタル画面の時計が安いので買うことにした。銘柄はノンブランド。多分大丈夫使えるだろう。
25年位前、台北にLPGガスの講演に行ったとき、ガイドさんに良いお土産屋さんがあるけど、「夜9時過ぎでないと開けない」と言われた。夕食後、案内してもらうと狭い路地の2階へ連れて行かれた。普通の家みたいだったが、何か秘密の場所へ行くようなスリルを感じた。そこには、ビトンのバック、ハンティングワールドやエルメスの袋物、時計は一個1,000円でローレックス、オメガ、シャネル、エルメス、オメガ等様々な物があった。面白いので15個買ってお土産にした。オメガは自分で使ったが、やがて電池がなくなり、西武の時計売り場へ行き、電池交換を依頼した。修理屋さんが幾ら捻っても裏蓋が開かない。その位、外観は良く出来ているし、クオーツだから狂わない。普段は十分に惜しげなく使えた。マア、聞くところによると時計の中身は日本製だとか?今でも、シャネルの時計とハンティングワールドの名刺入れは使っている。今度も使わない時計は捨ててしまおうか?と考えたがそれも何か惜しく、勿体なく電池交換をした訳。僕は宝飾物の高い時計は買えないし、使うのに気をつけねばならないので、いつもウインドウで眺めるだけだ。家の中にいくつも時計があるステレオ、ラジオ、風呂場、寝室、にも3個も時計がある。チョット考えて見なくてはね。最近利便性では、電波時計に限ると思っている。