>☆59年前、メルボルン・オリンピックの出場権を巡る京大ボート部の物語。
我が慶応大学体育会には、同期の会がある。名前は「無心会」(うらなし会)と呼んでいる。
一年一回の懇親会が開かれるが、大体、創部順に三つの部が幹事を務める。
今年は、野球、水泳,端艇の3部が幹事で、既に数回に亙り幹事会が開かれている。
皆、顔見知りであるが端艇部の元キャプテン須永定博君は塾校2年の時同じクラスであった。大体、クラスメートでも所属している部は知っているけれど、お互いに自分の練習をしている訳で練習時間はぶつかるし、実際にプレーぶりは見たことがない。増してや、戸田で練習しているボート部の練習は見た事がない。野球部だって神宮でゲームに出ている連中は皆プレーぶりを知られているが、唯、部員だった僕の野球している処を見た事がある奴は少ない。それでも、ボートの様に歴史の古い競技は早慶戦を中心に結構、情報は流れてくる。59年前、メルボルン・オリンピックに慶應のエイトクルーが須永君をキャプテンとして参加したことは知っていた。遠くから羨ましく思いながら、応援していたことは確かである。
☆先日の幹事会の帰り珍しく彼と二人に成り、「久しぶりでコヒーでものもうか?」言う事で、喫茶店に入った。比較的寡黙な彼と色んなクラスメートの話をしている内に、彼が「今年の連合三田会でオリンピックの時の話をしてくれと頼まれたんだ」と言う。「確か昨年は加山雄三が出たんだよね」「なんでまた今時にそんな昔の話をするの?」須永君は恥ずかしそうに「あの時、決勝を戦った京大のマネージャーの人が本を書いてね、そこに俺が出ているんだよ。それを見た連中が『これを講演して貰おう』と言う事になったらしい」「艇差一尺」と言う本で文芸春秋から数年前に出ている。お前に送ろうか?「いや俺はアマゾンで買うよ」マア、よく本をくれる人いるが、僕は基本的には本屋さんかアマゾンで買うことする方がエチケットだと思っている。
☆さて、本論に入ろう。僕のベッドサイドに今置いてある本は、水上滝太郎の「銀座復興」の本と朗読劇の台本、野村監督の「理想の野球」福岡正夫先生の「経済学我が道」皆、読みかけである。アマゾンから「艇差一尺」が届いた。著者は当時の京大ボート部のマネージャー大杉耕一氏、京大のボート部の百年史の編纂も進めているらしい。先ず、目次と著者の後書きを読む。勿論、「須永の話何処に書かれているんだろう?」と思いながら読み始めたら、いやー面白い。文章構成も読みやすく、当時の時代に引き込まれてしまった。300ページ、3日で読んでしまった。あの頃の須永君は殆ど学校には来なかっただろう。唯、日本選手権で代表争いに凄い熱戦を繰り広げた事は、かすかに記憶していたし、あの頃の慶応ボート部がオリンピックに行ったのは羨望の的で良く覚えていた。しかし、どんなメンバーで行ったのかも須永君が主将だったことしか解らない。ましてや、オールの開発にあんなに京大が熱を入れていたこと、しかも、そのオールを借りたり、同形の物を他校から借りて「艇差一尺」で優勝したなんて、全然知らなかった。ボート部の他の連中も良く付き合っているが一度も聞いたことのない話だった。この本が出た事で、須永君の講演が決まったらしい。又、須永君が晩年、京大コーチのお墓にお参りに行っているなんて、涙が出てきてしまった。慶應が京大に艇庫を貸して居たり、いろんな付き合いが在ったと思う。最近、50年位前の隠れた秘話や人物が色々と書かれている本が多い。「神宮の奇跡」や「この命義に捧ぐ」等の門田隆将さんの著書に似ている感じがするが、起承転結のシッカリしているこの本は「著者の筆力や蓄積された基礎学力は矢張り京大だなァ」と感じさせられた。新刊はもう無いようだが今の学生には広く読んで欲しい一冊だ。