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“骨折記”  ‘14-4-8 

2014-04-08 08:35:17 | Massy's Opinion

   <Experience>

  ☆最近僕の周りの人達からの話に「骨折をした...」と言う話が多い。先日も台北に住んで、仕事は、ツアーコンダクターをしているMrs,W。昔20年位前に日本へ留学に来て、我が家に2年位ホームステーをしていた女性で、今や2児の母。親孝行をしようと思い、雪景色を見せようと、阿寒湖見物に行ったら、当然、雪が積もっているよね。お母さんが滑って転んで左手首を骨折したそうだ。 まあ、余り重症でなくて何よりだが、彼女は親孝行がとんだことに成って悔やんでいた。 高齢化の所為か、膝痛、腰痛、股関節痛、自分の周りには随分と多いし、ワイフのケースもあるので色々尋ねられる事が多い。僕自身学生時代「捻挫と骨折」には随分と悩まされたし「リハビリが大事だよ」と答えている。

  僕は高校2年の秋、新チームに成ってそれまでの球拾いからレギュラーに成った。何時も練習には遅れない様に早く出掛けて、先ず、キャッチボールをして、トスバッティングする。或る日、ジャンプして降りた時に後ろの方から返球されたボールを踏んでしまって、足首を捻ってしまった。あの時の痛さは、今思い出しても寒気がする。監督にびっこを引き引き話をしたら、「守備は止めて置け...バッテイングだけやれ」と言われた。これは全くの異例な事。それから、秋の大会は無理をして頑張った。12月に成り如何も具合が良くないので医者に行ったら「くるぶしの処が折れてもう固まって居る」と言われた。 多少違和感があったが、歩くのに不自由はないしそのまま野球を続けていた。

  夏の大会が終わって、暫くアメラグを誘われてやって居た。 結局、大学の野球部に入ったのだが、塾校から6人入った。当時は、大学は優秀なメンバーが居たのに優勝から遠ざかり、監督は甲子園出のメンバーを中心にした練習だった。1年の5月1日の二軍練習で暗くなってから、スライディングの練習に成り、珍しく監督に「慶應高校。ナイス・スラィディング」と褒められた。止めとけばよいのに「よし、もう一回...」とやったところ、右足をベースに引っ掛けて「ポキン」と音がして骨折をしてしまった。上級生が「折れたかな...」「スパイクを脱がせろ...」「指は動くか?」指が動けば折れて居ないよ」と言う声が聞こえたが、痛かったな。坂の上の合宿まで高校時代から親友の同じ外野のN君が背負って呉れて帰った。慶応病院のベットが空くまで3日位家で静かに寝ていた。

  ☆病院へ入ってからが、とてもいい経験をした。幸い、あまり複雑に折れて居なかったので、骨に穴をあけてワイヤーを通して牽引することなく、テープで重りを付けて台の上に折った足を載せ2週間位牽引をした。さて、その間医学部の学生の授業に「野球による骨折の典型的な例」と言う事で、ベットに載せられて、階段教室の真ん中に連れて行かれて、モデルに使われ、骨折の講義をレントゲンを見ながら聞く羽目に成ったのである。腫れが引いて、ギブスをしてからが長かった。結局45日位入院していた。「骨は20日でつく」「ギブスは完全に骨が付いた後でないと外せない」後半は当時のリハビリは、ギブスを外して「マッサージ」だけである。当時、慶應野球部の先輩でプロ野球大映スターズのホームラン王飯島滋弥さんが同じ足首の骨折で入院して居て、マッサージは殆ど毎日一緒で随分と可愛がって貰った。又、インターンに親友Y君の兄貴や丘の上のNさんの兄貴が居たりして本当に心強かったり、恥ずかしかったりしたものである。然し、この時、マッサージの仕方を勉強したので、藤田元司さん始め、下級生も随分とマッサージをしてくれと声かけられた。僕の右足首はくるぶしが二つあるように」曲がって居る。これは、高校時代の無理が残っているので、骨折の方はスラディングが下手で、足の上げ方が少なかったし、丁度、新しいべース、新しいスパイク、日暮で暗かった、ベースに近すぎた等が」原因として挙げられる。

  ☆結婚して、20年後、ワイフが「股関節が痛い」と言い出した。近所の整形外科で診察してもらうと、変形して居て、どうしても痛いのなら、「人工関節」にする手術をしなければとと言う事で、当時、既に開業していたNさんのお兄さん相談に行った。当時は、慈恵の連中が色々、新しいことをやって居るよ」と言われて、慈恵の整形外科を訪ねた。そこに故藤井先生がいらして膝関節の名医と言う事を聞いたし、巨人軍の槙原投手の膝の手術をした事で名医と言われていた。しかも、先生の住まいが浜田山、飼って居る犬がゴールデンレトリーバー。もうこの先生に決めたと言う事で、親しくお話をさせて頂いたりしたが、先生は、「日本はリハビリテイションのシステムが遅れている。アメリカのNATAの様な組織が出来なければ...」と言われていた。偶然とは言へ、いや、応なしに僕は骨折や整形外科の事は普通の人より以上に勉強せざるを得なかった。

    ☆幸いにして、足首の骨折以降、怪我や事故に在って居ないが、46歳位からSwimming を始めて、以降今日まで週一回の練習には行って居る。股関節の手術をした人は10人位知っていが、手術の前に患者や家族の人は皆、心配をする。僕はいつも、手術出来るのは、体の他の部分が「異常が無いから出来るんですよ」と励ますことにしている。ワイフももう初めての手術から、20年経って、4年前に再置換手術もしている。そして、リハビリのメニュウはMegumiが作って送って来る。本人もキチンと決められた運動はしているが良く頑張って居る。

  ☆我が家は、こんなことで「整形外科」には、かなり詳しい。昔から比べたら、手術も輸血は本人の血液を事前に蓄えて置くし、リハビリもこの10年位で大学付属病院には可なり設備が整って来た。然し、矢張り一番大切なのは本人の頑張りだ。何の手術でも入院して退院したら、正しいフォームで「歩くこと」が大事だ。僕も自分で「一日平均5千歩」を必達目標にしているが、LoveとGyuの散歩コースが大体これに合って居る。彼女たちが元気だったころは、この散歩と帰って来てからのバット振りが良い体操に成って居た様に思う。犬を飼って散歩する習慣は、本当に良かったと思う。あの学生時代の怪我の痛さから絶えず「骨と筋肉」の勉強はさせられたものだ。

     ☆今や、ピッチャーが投げた後、アイシングをしているのは当たり前、昔は、冷やすのは絶対にご法度。然し、捻挫した時には、「先ず、冷やせ...それから温めろ...」これを交互にやれと言われたものだ。「一度、折れた箇所はまた折れる」骨折した場所は、力が掛かりやすい処、折れたところは再生されて強くなっている。その近くの場所が力が掛かり折れる様だ。兎に角、今は随分と考え方が進歩してきている。然し、本人のリハビリ目標と目標達成意欲がその後の暮らしを左右することは確かだ。