☆Massy's Opinion
全日産販売労働組合=日産販労常任O,B会 (常任=専従者、当時は労働組合の専従になると言うと家族中から反対された時代) の紙上で総会を開く事になり、各位から投稿を求められた。僕はブログで手一杯編集幹事にお世話になりブログの中からPick Upしてもらった。約240ページに及ぶ素晴らしい冊子が出来上がった。「絆」と言うタイトルは、販労20周年記念誌(2010年)の時になずけられている。要するに東北大震災以前から使われていたのである。「紙上OB総会」と言う事であるが、423名の寄稿から成り立っている。編集委員会の皆さんの努力に敬意と感謝を申し上げる。さて、当時、専従役員になるにはそれなりの覚悟がいる。これからの社会は、どういう形が理想なのだろう?資本主義社会は共産主義にかわるのか?労働界も色んな活動が行われていた。僕は、社内の「学歴差別」だけは改善したかった。販労本部の仕事には就くまいと思った。当時の僕の野球チームのエースは或る時、「このチームは後ろ7人は皆、敵だからな」と味方のタイムリーエラーの時に言った事がある。僕は怒ったものだが、ワンマン投手はそういう傾向がある。それを思い出して、僕は、労働組合活動は「人権、不平等を守る為、一人だけ、反対を向いてホームベースを守っているキャッチャーの立場だ」と言う割り切りをつけた。3年の専従生活のうち、活動費の資金を潤沢にする為に、斡旋物資の販売に力を入れて先ず支部委員会の夕食代分の資金を作った。「ストッキング」と「蜂蜜」がよく売れたのを思い出す。下記の写真スキャンしたものだが北原さんの文章半分になったのはご容赦願いたい。