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“ミャンマアー PrJ Part 2 “ ’19-10-22

2019-10-22 08:12:25 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

・ヤンゴン空港 

空港からオフイス迄 セドリックの寄贈した車が迎えに来た。ヤンゴンの空港はまるで砂漠の中見たい。ホテルは建築中で、工事がストップしている。滑走路から空港の建屋まで、日本のリムジンバスの中古車が使われていた。勿論、今から25年も前の話。結構いろんな海外の空港を見ているが、空港には、その国の経済力が表れている。空港に出迎えに来ていた車は、我々が今度のプロジェクトで寄贈したセドリックのストレッチリムジンだった。一見してVip待遇と言うのが解った。前回も書いたが、今度のタクシ―中古車の輸出で、一番考えたのはショックアブソバ―の交換だ。何しろ、当時は一台分4本替えると30万位掛かってしまう。何か「当てつけられたのかな?」と感じながら、乗った。処が全然そんな感じはしなかった。道路が悪いので、振動は当たり前なのである。

何か、おとぎの国へ来たような感じで政府の事務所に着いた。もう昔の事で、よく覚えて居ないが、偉い人(将軍級、大臣?)に先ず今回のプロジェクトで車両がご要望の台数だけ、無事にヤンゴンに着いたことにお礼を言った。言葉は全然通じないが、顔色で凄く感謝して貰ったのだけは良く解った。一人、佐官級の人が専任で付いてくれた。政府の事務所の中や、会議室の座り方は中国風であった。会話は仲介商社のT氏がミヤンマー語と英語、本当に英語の所々は解ったが...先ずは玄関前にセドリックが止まって居ると全然中古車には見えない。堂々としていて一安心だった。

 ・ホテル バイヨーク?

表敬訪問後ホテルに案内されたが、新築のホテルである。大きな湖の畔にある確か3階建てだったかな?ヤンゴン市内には、古いホテルで一番なのはラッフルズが他に一軒ある。

湖が見渡せる良い部屋だった。翌朝起きて湖を眺めて居たら、女の人が一人全裸で水浴びをしていた。食事は味が如何も口に合わない。香辛料が強いのだ。専ら、滞在中はサンドイッチとコヒーばかりがホテルでの食事だった。今から7~8年前にヤンゴンに行った人の話では、このホテルは火災にあって再建築されたらしい。

 ・超Vip待遇

まあ、当時のミヤンマーでは、国際交流も少なく、「Visit Myanmar」(ミヤンマー観光年計画)を翌年に控えて、我々がお客様の第一号みたいで、移動は全部セドリック運転手付き、テレビには出るし、新聞にはNissan Motorsのpresidentと出るし、幾らdealerだと説明しても理解して貰えない。その内に、米国のミゾリー州の団体から、ColaかPepsi Cola忘れたが「国交がないのに余り変な動きをするな」とか良く解らないクレームが入ったり、「世界の情報網は早いな」「我々はミヤンマーからの要望に応えているだけなのに...」と思ったりしたが、余り、大ごとにはならなかった。

・朝からの説明会

翌日、ミヤンマーのタクシー外車の工場で今回の納品車の説明会が開催された。約60人位の人が集まった。ポイントは、LPG車だと言う事。兎に角、現地には初めてなのだから...それと、中古車だと言う事、日本には法定で定められた整備はしてある事等の説明だ。冒頭の挨拶は僕がしなければ成らない。T氏に通訳を頼んだが、「社長ご自分でどうぞ...」にやにや笑って取り上げて呉れない。僕の英語力は充分わかって居る筈なのに...仕方ないから腹を決めて、女の人は居ないから「Gentlemen Good Morning...」た。次の多少詳しいLPGの仕組みに成ると戸惑ってしまう。すると一人日本語の判る年配の人が手助けを始めて呉れた。聞くところによると戦時中毎日新聞の記者をされて居た経験があると。本当に大助かりで午前中一杯の説明会は終わった。集まった人たちは、目を輝かして非常に友好的な雰囲気だった。僕も、中国、台湾等数回LPG車の講習会を経験しているが、一番友好的、勿論言葉の問題もあるが、「人の好さを充分に感じされる」説明会を参加者のお陰で拙い言葉ながら何とか無事に出来た。

 ・市内中心地 政府指定の整備工場見学

翌日は、政府指定の整備工場を中心にヤンゴン市内の自動車関連会社を見学した。「SKT」と言う整備工場に一番で行ったがそこは400坪位の工場で、社長は30代半ば位の白人で医学生だったとか、リフトが3台あり洗車場もあった。こう言う工場へ行くと直ぐ、部品庫を見る。其処の配置、部品の並べ方、で工場のレベルが解る。此処では、外販用の部品カウンターがあり,エアーフイルターや電球が置いてあり、日産の純正部品箱と似ているパッケイジニ成って居た。作って居るところを聞いたら、香港、台湾、シンガポール等だと言って居た。今回、我々が入れた車は全部ここで整備する様だった。社長はシンガポール生まれで、自動車の商売は、「Good Business」と言っていた。その他、トヨタ,スズキ、ホンダのディーラーを覗いてきたがトヨタが一番新しくスズキ、ホンダは閑散としていて半分閉店の様な感じがした。

途中で新型セフィーロに出会ったが。「何処から入ったんですか?」と聞いたら、偉い外交官がシンガポールから入れた様だ」と言う話だった。

 ・観光その他

仏教国だけあって、坊さんの托鉢には度々遭遇した。政府の人にも何人もあった。スポーツの話、日本の事情等の話の中で、野球を薦めたが、「お金が掛る。サッカーの方がボールが一つで済む」この辺は、隣国タイとは随分経済力が違うのだろう。海岸沿いは、Difence(防衛庁)の管轄に成るらしく、「マグロも沢山居るし、船もある、良い漁猟長はいないか?」と大臣に聞かれた。街の中には矢張り中心区がある多くの人出で混雑していたが、高価なものはない。丁度、80年代の中国の様だった。

 ・シンガポール経由 帰国

折角、遠くまで行ったのだし飛行機の都合もあって、シンガポールへ廻った。こちらは全くヤンゴンとは違う近代化都市である。世界は広いな...と痛感した。日本食が食べたくなって、全日空ホテルの「天海」に行った。お店に入ると、「築地直輸入のマグロが入荷しています」と広告が出て居た。同行者と「なんだいこれは!昨日この辺でマグロが取れると言って居たよね?」「?この辺で釣れた物を築地へ持っていって、又、ここ迄持ってくるの?」「それにしても、物の流通と言うのは大変なものだな!」今度の仕事は、面白かったな。色々勉強になったしな。その後、ミヤンマーから幹部がお礼に来日した。このプロジェクトを組む時、メーカーの国内営業は、賛成、海外営業は中古車を入れて、日産の評判を落としたら後の輸出の妨げになると反対。色んな議論があった。この幹部連中の迎い入れにはメーカーに動いて貰わないと格好がつかない。そこで、担当副社長に談判に行った。しぶしぶ了解して会談の日程を決めた。当日輸出部では部屋を用意して、お土産にニコンの高価なカメラを準備してくれた。これで、東京見物を案内して、喜んで帰国して貰った。

 ・このプロジェクトから13年後

たまたま、このプロジェクトに参加したメンバーの中の一人が、ミヤンマーに行って来た。そして、「未だ、あの時の車が動いてますよ。エンジンはガソリンに代わって居ましたがね。 屹度、中国か韓国の物でしょう。色は昔の儘ですよ」と言う話を聞いた。多分、走行キロは120万キロ位に成って居るだろう。最近、東京のタクシーでも75万キロ迄使っている様だ。

僕は、八王子営業所長の時、八王子教習所の代替えと新設の教習所のオープンの時、250台の一括受注をして3月31日の約束の日にキチンと納車した。もうこんな大口商談だの未来指向を探索するようなプロジェクトは組めないだろう。特に八王子の社長とは初めてゴルフをして兎に角、一生懸命にやろうと思った。予想外に80台のスコアが出たら「もうお前から車は買わないぞ」と言われたが、仕事はキチンとやれた。良く動いて呉れた仲間のお陰である。

                            

         ・サービス工場

         ・繁華街の部品屋