今、1年生の授業で正負の数の加法を教えている。
(+5)+(+3)=+8 とか
(-5)+(-3)=-8 というやつである。
かつては、「教科書に忠実に」教えていた。ベクトルを使うのだ。
東へ5m移動することを+5m、東へ3m移動は+3m
というわけで、(1回目の移動)+(2回目の移動)=結果の移動
教科書はこれ。
ところが授業をしてみると、塾で習っている生徒がいて、彼らは順序だてて習ってないので、教科書どおり教えると混乱する。
異符号の2数の和
(+5)+(-3)=+2 であるが、「どうして?説明できる人は?」というと。
こういう説明をする。
「5に-3を足すということは、5から3を引くことと同じだから5-3で2」
こうである。そんなことは教科書に書いてない。第一、5に-3を足すことがどうして5から3を引くことと同じなのかの説明もない。
でも、私はこの意見も却下しない。「他には?」というと、教科書どおりの説明をしてくれる生徒も出てくる。中には「異符号の数の加法だから、絶対値の大きなほうから小さなほうをひいて、絶対値の大きなほうの符号をつけて+2」などと説明する生徒もいる。これも却下しない。
正しくは、
「+5は東へ5m移動することで、そこから西へ3m移動して結果を求めることを(+5)+(-3)と表している。このとき結果は、東へ2m移動したことと同じだから+2」これが教科書の流れを汲んだ説明。
「5に-3を足すということは、5から3を引くことと同じだから5-3で2」という説明に対して
(-3)+(+5)はどう説明する?と聞いた。これは説明不能になるはず。
ところが、「足し算は足す数と足される数を入れ替えても結果は同じだから、
(-3)+(+5)=(+5)+(-3)=+2」
と説明した。これも塾の弊害。ここでも私はこの意見を却下しなかった。
第一、正の数と負の数の和に「交換法則」が成り立つことはまだわかってないはず。でも、そんなことをいちいちつっついていたら生徒のやる気を損なってしまう。要は計算ができるようになればよい。論理を追求しても中学1年には難しいばかりになってしまう。
久しぶりに1年生を教えて面白い。
(+5)+(+3)=+8 とか
(-5)+(-3)=-8 というやつである。
かつては、「教科書に忠実に」教えていた。ベクトルを使うのだ。
東へ5m移動することを+5m、東へ3m移動は+3m
というわけで、(1回目の移動)+(2回目の移動)=結果の移動
教科書はこれ。
ところが授業をしてみると、塾で習っている生徒がいて、彼らは順序だてて習ってないので、教科書どおり教えると混乱する。
異符号の2数の和
(+5)+(-3)=+2 であるが、「どうして?説明できる人は?」というと。
こういう説明をする。
「5に-3を足すということは、5から3を引くことと同じだから5-3で2」
こうである。そんなことは教科書に書いてない。第一、5に-3を足すことがどうして5から3を引くことと同じなのかの説明もない。
でも、私はこの意見も却下しない。「他には?」というと、教科書どおりの説明をしてくれる生徒も出てくる。中には「異符号の数の加法だから、絶対値の大きなほうから小さなほうをひいて、絶対値の大きなほうの符号をつけて+2」などと説明する生徒もいる。これも却下しない。
正しくは、
「+5は東へ5m移動することで、そこから西へ3m移動して結果を求めることを(+5)+(-3)と表している。このとき結果は、東へ2m移動したことと同じだから+2」これが教科書の流れを汲んだ説明。
「5に-3を足すということは、5から3を引くことと同じだから5-3で2」という説明に対して
(-3)+(+5)はどう説明する?と聞いた。これは説明不能になるはず。
ところが、「足し算は足す数と足される数を入れ替えても結果は同じだから、
(-3)+(+5)=(+5)+(-3)=+2」
と説明した。これも塾の弊害。ここでも私はこの意見を却下しなかった。
第一、正の数と負の数の和に「交換法則」が成り立つことはまだわかってないはず。でも、そんなことをいちいちつっついていたら生徒のやる気を損なってしまう。要は計算ができるようになればよい。論理を追求しても中学1年には難しいばかりになってしまう。
久しぶりに1年生を教えて面白い。