「先生の出身大学はどこですか?」ときく生徒がいる。高校は前にお知らせしたとおり、都立北園高校。大学聞いても早稲田や慶応や明治じゃないから、生徒に言っても分からない。2年浪人した末に横浜市立大学というところにひっかかった。
当時(1967年頃)横浜市大は3月6日、7日だったかに試験を行った。
このころ、国立一期校は3月3、4日、二期校は3月22、3日だったか・・・、が試験日だった。家にお金がないから、国立2校受けた。
で、横浜市大は一期校二期校の間に受験チャンスがある。当時私立大学の授業料は1ヶ月10000円。これに対し国立大学は1ヶ月1000円だった。横浜市大は1250円。
当然学費の安い大学に学生の人気が集まった。横浜市大の倍率は東大が4倍だったときに、数学科でも40倍であった。
2浪した末に、最後の望みをかけて、横浜市大を受験した。1浪のときに受けていれば、社会にでるのに1年早かっただろうが・・・。(受からなかったかも)
過去問も何も解いたことのない大学だった。今思えばとんでもないことをしたものだ。問題を解いたら易しく感じた。5割取れば合格という水準だったが、7割は取れていたと思う。倍率が40倍というのも気にしなかった。一つの教室から1名しか合格がでないのだから・・・。で、合格発表で自分の受験番号を初めて見つけた。「当たった!」と思った。あっけないものであった。
試験を振り返ると、国語の古文の問題が過去にやったことのある枕草子から出題されたのも幸運だった。英語も構文が複雑で単語が易しいというもので単語力のない私にマッチしていた。物理と化学は物理が半分化学が満点で平均7割5分だったと思う。数学は多分満点かそれに近いと思う。こうして合格できたのだ。とにかく幸運だったかも・・・。
私の出身大学は横浜市立大学である。この大学を知る人は少ない。
当時(1967年頃)横浜市大は3月6日、7日だったかに試験を行った。
このころ、国立一期校は3月3、4日、二期校は3月22、3日だったか・・・、が試験日だった。家にお金がないから、国立2校受けた。
で、横浜市大は一期校二期校の間に受験チャンスがある。当時私立大学の授業料は1ヶ月10000円。これに対し国立大学は1ヶ月1000円だった。横浜市大は1250円。
当然学費の安い大学に学生の人気が集まった。横浜市大の倍率は東大が4倍だったときに、数学科でも40倍であった。
2浪した末に、最後の望みをかけて、横浜市大を受験した。1浪のときに受けていれば、社会にでるのに1年早かっただろうが・・・。(受からなかったかも)
過去問も何も解いたことのない大学だった。今思えばとんでもないことをしたものだ。問題を解いたら易しく感じた。5割取れば合格という水準だったが、7割は取れていたと思う。倍率が40倍というのも気にしなかった。一つの教室から1名しか合格がでないのだから・・・。で、合格発表で自分の受験番号を初めて見つけた。「当たった!」と思った。あっけないものであった。
試験を振り返ると、国語の古文の問題が過去にやったことのある枕草子から出題されたのも幸運だった。英語も構文が複雑で単語が易しいというもので単語力のない私にマッチしていた。物理と化学は物理が半分化学が満点で平均7割5分だったと思う。数学は多分満点かそれに近いと思う。こうして合格できたのだ。とにかく幸運だったかも・・・。
私の出身大学は横浜市立大学である。この大学を知る人は少ない。