イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「泥酔文学読本 」読了

2020年11月30日 | 2020読書
七北数人 「泥酔文学読本 」読了

『酒と文学は似たようなところがある。どちらも陶酔を誘う』という言葉でこの本は始まる。「月刊酒文化」という雑誌(こんな業界誌があるんだと驚く。)に連載されていたものをまとめたものだそうだ。
著者は文学の評論家ということだが、その博覧強記ぶりはすごい。
この本の中にもどれだけの作家と著作が登場しているのだろう。それがすべて酒、飲酒に関するもので縦横に絡まり著者の経験や意見を相まみえながら書き進められている。特に、坂口安吾と村上春樹にはかなり傾倒してるようで思い入れも大きいようだ。

『酒と文学さえあれば、もうそこはユートピアだ。つらい話、やるせない話は極力避けよう。アル中の話でもそんなに暗く書かない。笑える話、桃源郷へのいざなう話、怖い話、不思議な話、荒唐無稽な話、ほんわかする話、しんみりする話、じ~んとくる話、ぐにょぐにょした話や、むちむちした話、酒びたりが許されてしまうダメ人間の天国・・・』と多岐にわたるのだと書いているが、その全体の中には、酒を飲むということは、ここではない世界への入り口の前に立つことであり楽園へのいざないであるということが必ず盛り込まれている。
たとえそれが太宰治や坂口安吾、全然知らない作家だが、辻潤(この人はすごい。)のように、現実から逃避するため酔うためだけに飲んでいたとしても、マッチ売りの少女を引き合いに出してこう説明している。
「アンデルセンのマッチ売りの少女のモデルはアンデルセンの母親だったそうだ。子供の頃から貧しく物乞いに出され、橋の下でいつも泣いていたという。晩年はアル中で命を縮めたというが、マッチの炎の中にはかない夢をみたことと、酒の陶酔はおなじではないか。」
そういうことである。
だからその文章には悲観的なものは見えない。それが楽しく読めるひとつのポイントになっている。
また、取り上げられている作家も著作もほとんど知らないものばかりだがそれもうまく説明が加えられていてぜんぜん難しいと感じない。それも著者の文才の賜物のような気がする。

前に読んだ、小玉武というひとの著作もそうであったが、文学を研究している人の読書量と見識というのはものすごいと思ったのだ。
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三浦哲哉 「食べたくなる本 」読了

2020年11月29日 | 2020読書
なかなか面白そうなタイトルだと思って借りてみた。内容も見なくて著者のことも知らないが、日本文学の書架にあったので何か食に関するエッセイだと思っていたが、食に関する著作を取り上げ、それについて書評や著者自身の考えを述べているという内容であった。

レベルには天と地以上の差があるけれども行ってみれば僕のブログのようなものだ。取り上げられた著作は多岐にわたり、それぞれの著者の食に対する考え方もすべて異なる。栄養指向、家庭料理、手の込んだもの、手抜き、オーガニック、ニューベルキュイジーヌ・・・。なぜかサンドイッチ考という章もある。
だからどうも本自体にまとまり感がない。それに加えて、著者自身は、『好きなだけ料理店めぐりをできるほどの経済的かつ時間てきな余裕はなかった。育児などの生活に追われ外食の時間がますますとれなくなった。だから昔も今も、未知への料理の渇望の念は、もっぱら料理の書物に向けられた。』という感じなので、自分で作ってみて、または食べてみてどうかという著者自身の考え方のようなものはまったく出てこない。
ひたすら書物で食を感じるというのは、通信教育で空手を習うようなものなのではなかろうかと思うのだ。

なので僕も何か感想を書こうにも何を書いていいのかがわからないという感じになるのだ。
そして、著者のプロフィールを見てみると、青山学院大学の准教授で映画の研究をしている学者ということだから、文章自体も難しい。僕より12歳も若いが使っている言葉もよくわからないものが多いのでよけいにこの人はこの本で何を言いたいのかというのが僕の前に形となって表れてこないのだ。

結局、食に対する考え方というのは千差万別で、どういう食べ方がよくてどういう食べ方が悪いのかというようなことはわからない。偏食で体を悪くしてもそれはその人の責任だし、栄養や健康に気を使っても早死にする人は早死にする。丸元淑生という作家(著者はこの作家にかなり傾倒している感がある。)は栄養に気を付け、ストイックなほど健康に気を使ったが食道がんで死んだそうだ。そういうことだろう。
北大路廬山人は、『裕福な環境で贅沢をしてこないかぎり美食は身につかない。』と言ったそうだが、それもしかり、たまには高級レストランでコース料理みたいなものを食べたいと思うが、やっぱりそういう身分でなければその料理の意味が分からないのだから別に無理して行かなくていい。
結局、今食ってるものを食べ続けるというのが実は一番自分にとって美味しいと思うのではないかというのが著者の言いたいことだったのだろうか・・?

それさえもわからないほど、「食べたくなくなる」というよりも、「眠たくなる」1冊であった。

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杉浦明平 「カワハギの肝」読了

2020年11月26日 | 2020読書
前回一緒に釣行した森に暮らすひまじんさんが、ご自分のブログでこの本を紹介していた。そのものずばりのタイトルに興味をもったので僕も借りてみた。
出版年は1976年だから僕が小学生の頃だ。
美食に関する持論や子供の頃遊びの途中で食した野山の食材、季節の食材などについて綴っている。「カワハギの肝」はその中の1編のタイトルである。

杉浦明平は、1913年愛知県の渥美半島の先端で生まれ、後年もそこで農作業をしながら活動をした歌人、作家である。
実家は父親が小地主兼雑貨商をやっていたということで、決して貧乏ではなかったはずだが、そういう時代だったのだろうか、周りの子供たちと一緒に、野山に生えている甘い味を求めて四季ウロウロしていたことを「野外食い歩きの記」という章で書いている。この本の約半分のボリュームで書かれているということは、著者の食に関する考え方の原点伝えたかったということだろう。
渥美半島というところはどんなところかは知らないが、当時のどの地方でもそんなにたくさんの種類の食材(食材というか、食べられる植物)があるのかというほどたくさん紹介されている。すべてが美味しいものではなかったようだが、甘いものが少ない時代には渋みや酸味のなかにわずかに残る甘みがいとおしかったようだ。
父も母も子供の頃のことをそんなにたくさん話すほうではなかったが同じようなものを食べるのが楽しみのひとつであったのだろうかと思う。

僕が子供の頃には貧乏とはいえ近所の駄菓子屋にいけばいくらでも甘いものが買えたし、そういう知識を伝えてくれる近所のガキ大将というのもいなかったからなのか、そういうものを探して食べてみたという記憶は皆無だ。学校の校庭に植えられていたサルビアの花を引っこ抜いて舐めたくらいの記憶しかない。そういえば去年、駅のフェンスに実っていたカラスウリを食べてみたがこれは毒ではないのだろうかと気になって舐めるくらいしかできなかった。
この本に出てくる植物名は多彩だ。グミ、スモモくらいは名前は知っているが、ツバナ、スダメってなんだろう・・。野生のサクランボやビワならなんとか見分けることができそうだ。椎の実、椋の実となるとよく似たものがたくさんありそうで知らずに食べたら危険がありそうだ。槇の木は僕の家にも生えているが食べられるらしい。そんなことを知っていると、野山を歩くのが楽しくなりそうだが、やはり、こういう知識というのはきちんと受け継がれたものでないと危ないのだ。
しかし、父が子供の頃暮らした地域というのは今の僕、そして子供の頃の僕の行動範囲とほぼ同じなのだが今の姿をみているとどうしてもそんなにたくさんの種類の食べられるものがあったとは思えない。母親の暮らしたところはけっこう山や林がたくさんあったのでこんなことをやっていたのだろうか。母からはイナゴが苦手で食べることができなかったというくらいしか聞いたことがないが・・・。
ただ、こういうものを読むと、物はなくても今よりもはるかに心豊かな時代ではなかったのかと思うのである。

それにつながるのか、「食いもの談義」という章では、“美食”というものにいささか批判的な意見を述べている。吉田健一、福田蘭堂、檀一雄の3人を引き合いに出しているのだが、
『自分で金を出して手に入れるよりもその季節に送って貰って喜ぶものだという気がしてならない。』という吉田健一に対して、『なんとか手に入れようとあくせくするものとっては、別世界の人間のように見えても仕方あるまい。』と自虐的に書いてはいるが、その奥には、自分のほうが本物の素材の良さというもののことをよほど知っているのだという自負のようなものが覗いている。
それに比べて福田蘭堂、檀一雄は自ら食材を探し求め、調理して味わうひとたちの代表として登場させている。。
吉田健一の美食ぶりをうらやましいと思いながらも、どちらかというと福田蘭堂、檀一雄のふたりに共感を持っていそうなところに著者の心が見て取れるような気がする。
自ら畑を耕して食材を確保しているところからもわかるが、鮮度やその食材の出どころのようなものをものすごく重視している。どこで取れたものかわからなものや鮮度が落ちたものはどんなに高級なものでも食べたくない。
ここには僕もいささか共感するところがある。まあ、高級レストランや高級料亭のようなところで食事をできるほどの財力がないというのがそもそもなのだが、自分で採ってきたもの、自分で獲ってきたもの、畑に植わっているのを見届けたもの。そういったものがどんな味付けでも一番美味しいと思うのだ。それは間違いのないことだと思うのだ。
勤務先の地下には色とりどりの食材や凝った調理の総菜がたくさん並んでいるが、これはバックヤードの汚さを知ってしまっているということもあるのだろうがまったく食指が動かない。値段だけがバカ高いとしか思えないのだ。

最後の「食卓歳時記」の章にもそういったことが随所に現れている。取り上げられている食材は決し美食を謳歌するものではない。うどん、ラッキョウ、子供のころ食べたチキンロースト、そんなものだ。しかし、そこには子供の頃の原体験や素材そのものの味を大切にするこころが現れているように思う。
そんな章のなかに、「カワハギの肝」という一篇も含まれているのだが、この文章の中で著者が賞賛しているのは、ギマという魚についてだ。ギマというのはカワハギの仲間であるらしいが腹びれのトゲが2本あったり、体色が銀色で体型もカワハギに比べると細長い魚だ。三河地方ではよく獲れる魚だそうだが紀伊半島がテリトリーの僕は釣ったことがない。カワハギ同様かなりおいしい魚だそうだ。そして、この地方ではカワハギのことは“モチギマ”と呼ばれ特別扱いされていると書かれている。
カワハギ(ここではギマも含めてのようだが、)の肝についてはこう書かれている。
『あらゆる肝のなかで一ばん味のいいのは、カワハギの肝だ。』
しかし、どうも著者はカワハギの肝を生で食べた経験はなかったようだ。ギマについても地元の地引網に掛かった小型のものを煮つけにして食べたり、モチギマについては名古屋辺りの料亭でおなじく煮たものをたべていたようだ。
いつの頃の時代を回顧して書いているのかは不明だが、鮮度の高い魚はなかなか手に入りにくい時代のことを書いたのだろうか。しかし、カワハギの洗いが絶品だと書いているところをみると、かなり鮮度の高い魚も手の入っていたのだろう。肝を生で食べるということが一般ではなかったのだろうか。
もし、著者がカワハギの薄造りを肝和えで食べていたとしたら、どんな文章が書かれていただろうか。こういうひとにはぜひ生のカワハギの肝を食べて文章を書いてほしかった。
あの味にいったいどんな感想を寄せたであろうか・・。

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「THE FISH 魚と出会う図鑑」読了

2020年11月20日 | 2020読書
長嶋祐成 「THE FISH 魚と出会う図鑑」読了

著者は、「魚譜画家」という肩書をもっているそうだ。魚の図鑑の絵を描く人という意味になる。
魚体を写真で写すのではなく、水彩画なのだろうか、絵で表現している。この本もそういった魚の絵が掲載されていて図鑑という名前がついているが質のいいエッセイのようだ。
詳細な生態画というのではないけれども、透明感のある絵と文章が非常にマッチしている。
特にチヌの薄いブルーグレーの表現は秀逸のような気がする。釣ってすぐの時は確かにこんなきれいな色をしている。

37歳という歳には思えない枯れた文章だ。静かだが確かな魚への愛情が感じられる。

大阪で育った著者は父親とふたりで魚釣りを始める。「食べるために殺せば、あるいは海へと還してしまえば、この姿に二度と出会えない。生かしたまま持ち帰って飼育したとしても出会った瞬間の感動がよみがえることはないのだ。」それをなんとか翌日以降も残したいと絵を描きはじめたことがきっかけで「魚譜画家」になったという。この図鑑は魚釣りがベースになっているのだ。
社会人になって数年後、石垣島に渡り本格的な活動をはじめる。だから掲載されている魚は僕も見慣れている大阪湾で見られる魚と、石垣島周辺のちょっとだけトロピカルな感じのある魚が主なものだ。
図鑑にしてはかなり偏った掲載になっているのは著者のそれらの魚に対する思い入れからである。
そんなことにツッコみを入れる必要もないほど完成度が高いような気がする。

釣り人の欲目なのかどうかはわからないが、魚というのはきれいだ。
去年、少しだけ、その奇麗さを表現しようと思ってマクロで魚体を撮って残そうとしてみたけれどもそれも長続きはしなかった。



そこがこんな素晴らしい仕事をするひとと社会に何の役にもたたない人間の違いなのだろう。

たった100ページほどの図鑑だが、少しだけ気持ちがスッとした。

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「宇宙が始まる前には何があったのか? 」読了

2020年11月19日 | 2020読書
ローレンス クラウス/著、青木薫/訳 「宇宙が始まる前には何があったのか? 」読了

この本、原題が「A UNIVERSE FROM NOTHING」なので直訳すると「無からの宇宙の始まり」というような感じになると思うので、“何があったのか”というのと少し意味合いが違うような気がするが、結論が、「何もなかった。」というのだから、まあ、同じようなものなのかもしれない。

現代の物理学が描く宇宙の始まりは、何もない無の状態が量子の揺らぎによりエネルギーの均衡が崩れビッグバンにつながったということになっているそうだ。

無の状態といっても本当に何もないのではなく、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。それはすさまじいエネルギー量でそれの10億分の1の均衡が崩れて宇宙の素になったというのがこの本の結論だ。
そう書きながらも、これを書いていてもこれで合っているのかどうかがわからない。

今の宇宙空間も同じで、宇宙は真空といいながら、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。宇宙の始まりであるビッグバンのときに発せられたエネルギーの総量というのは、観測できるエネルギーの量と比べるとはるかに大きいそうだ。ダークエネルギーと言われるそれは観測できるエネルギーの約2.5倍、全エネルギーの7割あるという。
その見えないエネルギーの大半が、宇宙の真空の中で生まれては消えてゆく。

そんな世界で僕たちは生きていて、そんな世界を構成する物質で僕の体はできている。
もうひとつ言うなら、物質は原子でできていて、それはもっと小さいクォークという粒でできている。
そして、万有引力や物に重さというものを与えているのも小さな粒だという。
そんなことは信じられないといいながら、現実としてはその事実をもとにコンピューターが作られ、原子爆弾が作られている。
しかしそれでも信じられない。宇宙の真実が、100万人にひとりが理解できるかどうかという難解な数学でしかわからないほど複雑なものなのだろうかと・・。

著者は、万物は神が創りたもうたと考える人たちに対して強い反感を持っているようで、そう考える人たちに対する批判をところどころで展開をしている。僕も、まさか神様がいて、最初に、「光あれ~。」って言って宇宙が始まったとは思わないけれども、どうしていくつかの粒々が選ばれることになったのか、どうしてそんな難しい数学が必要なのかということには疑問を持つ。(実はもっとシンプルな世界なのかもしれないが。)
著者はそれに対して、オッカムの剃刀という言葉と、人間原理という言葉を使っている。両方とも、科学的ではないけれども、要は、それは偶然にそうなったのだということだ。多重宇宙論というものがあるが、この宇宙とは何の関係もない宇宙ではまったくことなる物理法則があってもなんら問題はないという、何もかもが偶然の産物で、必然などというものは何もない。まあ、身勝手といえばそれまでだが、この宇宙だけでも十分に広すぎてそれよりも外の世界のことまで考えなくてもいいだろうというのもなんとなく納得ができるのである。
※オッカムの剃刀・・ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでないという例え
※人間原理・・宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。


この本は、翻訳者の腕前がいいのか、この手の本としてはすごく読みやすかった。(内容の理解度は別として・・)テーマは今まで幾度となく読んできたもので、結局の結論は宇宙はなにもないところから始まり、宇宙空間は真空とはいえエネルギーで満ち溢れているというものだが、昔、NHKのBSで放送された、「コズミックフロント」で同じテーマを取り扱ったものが放送され、それはビジュアル的にもものすごくよくわかった。といいながらその内容の記憶はほとんどないのであるが、あの番組を録画しておいて、それを見ながらこの本を読めばもっと内容がよくわかったのではないかと悔やまれる。

著者について調べてみると、数年前にセクハラで大学を辞職したというような記事を見つけた。
読んでいる途中でそんな記事を見つけてしまったものだから、この本の内容がなんだか胡散臭く思えてしまったのが残念でならない。


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「とうがらしの世界」読了

2020年11月15日 | 2020読書
松島憲一 「とうがらしの世界」読了

1冊まるごとトウガラシの本だ。著者は唐辛子を専門に研究している研究者だそうだ。

構成は唐辛子の生態とトウガラシの食文化となっている。(種としてのとうがらしは漢字で、食材としてのとうがらしはカタカナで分けられている)

まず、生態について、
世界で栽培されている唐辛子は大きく五つの品種に分かれている。
以下の5種類だ。
アニューム種・・世界中で栽培されていて、日本のトウガラシもこの種類 タカノツメ、ししとう、ピーマンもこの種類
フルテッセン種・・タバスコ、トムヤムクンに使うプリック・キーヌーが代表で中米と東南アジアでよく栽培されている。
キネンセ種・・ハバネロ、ブートジョロキアなど、超激辛の品種。ハバネロは2006年までギネスブックで世界一辛いトウガラシであったが、SBカプマックス(SB食品が開発したそうだ。)にとってかわられ、それも3ヶ月でブートジョロキアに奪われた。その後も、トリニダード・スコーピオン・ブッチ・T カロライナ・リーパー(カロライナの死神)などという激辛唐辛子この品種のなかで生まれているそうだ。
バッカートゥム種・・ほぼ中南米域でしか栽培されていないのであまりなじみがない。
プッペセンス種・・アンデスの高地のみで栽培されている。

人間がトウガラシを食べるようになったのは約6000年前と言われている。原産地域は中南米で、それがヨーロッパ、アジアにもたらされたのはコロンブスが新大陸を発見してからだ。タバコとともにもたらされた。それが東に向かって伝搬してゆくのだが、日本には、一説によると1542年には入っていた可能性がある。遅くとも1680年には日本に入っていた。ポルトガルから、もしくは朝鮮半島から伝来したと考えられる。
その後100年ほどで一般的な食材となった。「和漢三才図絵」には約80種類掲載されているほど品種改良もされた。

注目の辛味成分についてであるが、カプサシノイドと言われる20種類ある成分が辛味の素である。その中の、カプサイシン、ジヒロカプサイシン、ノルジヒロカプサイシンが主なもので他の成分は検査機器では検出できないほど微量ということだ。
ダイエット効果もあるそうで、脂肪の蓄積を抑え、抑える前に消費させる能力があるらしいが食欲も増進してしまうのでそれほどの効果は期待できない。

ちなみに、ピーマンとパプリカはカプサイシンを作れない。それはカプサシノイドの化学合成過程にある。果実の中で別々に合成されたフェノール類とベンゼン環が結合してカプサシノイドができるのだが、ピーマンやパプリカはそれを結合することができない。
シシトウでたまに辛いものに当たるのは、偶然それが結合されてしまった結果ということだ。そのシシトウであるが、シシトウは種が少ない実はとても辛いらしい。ストレスと単為結果によって種ができずに実がなってしまうとカプサイシンができてしまう。種が少ないとリグニンという種の表皮を硬くする成分を作り出すフェノール類の行き場がなくなり辛くなるらしい。
シシトウは実の先端の形が丸くて獅子の頭の形に似ているというので、獅子頭という文字から名前がついた。今のシシトウは和歌山が発祥で、京都の田中とうがらしという種が病気で廃れる前に和歌山県に導入されていて、そこから全国に広まった。和歌山県は今でも3位の生産量をほこっている。

トウガラシの辛味は、隔壁、胎座というところで合成される。種が辛いというのはウソだそうだ。実の熟し具合ではいつ頃が一番辛いかというと、赤くなるとカプサイシンは減少しはじめるので赤くなる寸前が一番辛い。でも、樹皮もけっこう辛いように思うが・・。
スコビルという単位についてはまったく説明されていないが、調べてみると、『トウガラシのエキスの溶解物を複数(通常は5人)の被験者が辛味を感じなくなるまで砂糖水に溶かし、その倍率をスコビル値としていた。』いまでは測定器があるそうだが、わりといい加減っぽいから学問の世界では使われないのかもしれない。この本では、1グラム当たりのカプサシノイドの含有量で辛さの度合いを表していた。
それで比べると、ハバネロは鷹の爪の16倍、ブートジョロキアは30倍の辛さになる。

環境でも辛さが変わり、リン酸が多くなると辛味が弱くなるそうだ。ある年、まだ叔父さんの畑で植え始めてもらったころ、叔母さんが枯らせたら一大事だと丹精込めすぎて全然辛くないトウガラシができたことがあった。この説は絶対に正しいと実感している。

トウガラシのほかにも辛いものがある。
コショウはピペリン、山椒はサンショオーール、ショウガはショウガオールとジンゲロールなどいろいろあるがカプサイシンには及ばない。
ワサビはかなり辛い。これはアリルイソチオシアネートという物質で、シニグリンという物質が細胞が壊れるとミシロジナーゼという酵素が働いてアリルイソチオシアネートになる。揮発性が高いので鼻にツンとくる。大根も同じ成分が入っている。

ここまでが植生に関する話題を拾ってみたものだ。

食文化については国や地方ごとに書かれている。辛い食べ物は好きだが、好んで食べに行こうともしないのでここに書かれていることもあまりピンとこない。それにトウガラシって国ごとに固有の品種があり、それを家で作って真似てみようということもできないので、ふ~ん、そうなんだという感想だ。

トウガラシの発祥の地の中南米域ではトウガラシは旨味の食材としても食べられていた。また、チョコレートに入れて飲んでいたともいうが、いったいどんな味だったのだろうか・・。
ヨーロッパにもたらされていろいろな国でいろいろな料理が作られているようだが、ペペロンチーノくらいしかピンとこない。アフリカにいたってはよけいにわからない
南アジアではブータンがすごい。辛味の強いトウガラシを野菜として食べているらしい。ここへは一度行ってみたいと思った。
タイ、ここもすごい。トムヤムクンの国だが、ここにはプリック・キーヌーというトムヤムクンに欠かせないトウガラシは相当辛いらしい。
中国の激辛料理といえば四川料理だが、その特徴は、山椒(花椒)と合わせた香りと激辛のコンビネーションだそうだ。日本には中華料理屋なんていくらでもあるからこれくらいはどこかへ食べに行かないとだめだな。
韓国のトウガラシは意外や日本のトウガラシよりも辛くないらしい。無茶苦茶辛いとキムチにあれほど入れられないそうだ。そうはいっても、毎年買ってくる苗は「韓国激辛トウガラシ」という名前がついている。事実相当辛い。よく考えたら、ほかの激辛トウガラシを食べたことがないから比較をしたことがない。ということは、僕は意外と辛いものには弱いのかもしれない。これはショックな現実を突きつけられた。確かに、渡船屋の奥さんに分けてあげた時の感想が、「マイルドな辛さで美味しかった。」だった。彼女の感想は意外と正しかったのかもしれない。そして僕はほんとうのトウガラシの世界を知らないのかもしれない・・。



しかし、韓国はやっぱりというかなんというか、コロンブスの大陸発見以前から唐辛子があったという研究発表が2009年にされたそうだ。
豊臣秀吉が朝鮮に出兵したときに初めて韓国人はトウガラシを知ったという説もあるくらいだからキムチの歴史もそれほど古くはないと思うのだが・・。

最後に日本のトウガラシ事情だが、大半は辛くない品種だとはいえ、現在40種類もある。ただ、味のメインがトウガラシという料理には出会えない。「激辛」という言葉が流行語大賞1986年だそうだ。それ以来テレビでもいろんな激辛料理が紹介されているが風味付けのひとつという位置付けだ。まあ、日本にはワサビという強敵があるし、様々な調味料もあるからなかなか一般的にはなりにくいのかもしれない。
日本のトウガラシといえば鷹の爪だが、今の鷹の爪は原種ではないそうだ。今は房成りだが原種は節成りの形をしていたという。たしかに叔父さんの家の鷹の爪は房成りで実は上を向いている。熟してくると赤と緑のコントラストがきれいだ。その点、激辛韓国トウガラシは少し黒みがかっているので邪悪さを感じるような辛さの雰囲気はあるけれども美しさはない。だから無茶苦茶辛いのだと思っていたのだが・・。

最後に、どうしてトウガラシは実に辛味を蓄えるようになったかということである。カプサイシンの成分であるリグニンは種皮を硬くするのにも使われる。そのせいで唐辛子の種の種皮は薄いそうだ。そうまでして辛くなったのは鳥に食べてもらってより広く拡散しようという戦略を取ったからだ。哺乳類は種をすりつぶして食べてしまうので糞となって出たころには発芽できる確率が低い。鳥は種を丸のみにするので種皮が薄くても大丈夫で、カプサイシンを嫌わないという違いがある。鳥は飛ぶことができるからより遠くへ種を運んでくれる。
カプサイシンのおかげで哺乳類から守られていたはずだが、人間はその辛さの魅力に取りつかれ、世界中に唐辛子の種を拡散させた。忌避するはずの哺乳類に助けられて唐辛子は世界中に生息域を広げることができたというのである。
これがこの本のオチである。

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「怖くて眠れなくなる化学」読了

2020年11月12日 | 2020読書
左巻健男 「怖くて眠れなくなる化学」読了

新刊図書のなかにタイトルが面白そうなものがあったので借りてみた。様々なところで利用される化学反応であるが、取り扱いを誤るとこんなことになってしまうということを、産業、家庭の中で、また、著者は教師をしていたというので理科の実験中の事故なんかも交えて書かれている。
そんなに怖くて眠れなくなるほどでもないが、最初の章に出てくる、塩化ナトリウムについての話題だが、よく考えたら塩素もナトリウムも単体では危険極まる物質だ。それが化合していると人間にはなくてはならなくなるものになるというのがまことに不思議だ。
塩素は旧ドイツ軍も使った元祖毒ガスだ。僕は2か月に2回くらいの割合で風呂の壁のカビ取りをするが、その時も塩素系のカビ取り剤を使うので喉と目がヒリヒリする。だから、消毒だといって昼間からアルコールを摂取してしまうことになるのだ。塩素はそれほど危険だ。ナトリウムにいたってはもっと危険で、水に落とすと分量によっては大爆発を起こす。
1995年、高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏れ事故というのを起こしたが、これも金属ナトリウムが原因だ。この事故についても詳しく書かれているが、500度の液体ナトリウムを冷却材として使用しいてたそうだ。熱交換系の配管というのはよく漏れる。僕も船の管理でこれは実感している。最終的な熱交換は水なのだが、ナトリウムは水と激しく反応するから厄介らしい。
ちなみに、「高速増殖炉」の意味であるが、何かが高速で増殖するのではなく、高エネルギーで速度の速い中性子を使ってウランの燃料カス(劣化ウラン)からプルトニウムを増殖させるという意味だそうだ。その中性子の速度を落とさないために普通の原子炉では水を使うところにナトリウムを使っているらしい。

自然の状態ではすべての原子は安定した化合物として存在しているが、人間は電気や他の化合物を使ってその安定を崩すことでエネルギーや有用(善であろうと悪であろう)な物質に変換して利用してきた。そこに無理が生じてしまうことがある。だからよくよく注意して取り扱うべきだというのが著者の考えのように思えた。
例えば農薬や殺虫剤。これがないと農作物を安定的に作れないし、危険な伝染病を防ぐことができない。しかし、使い方を慎重におこなわないと耐性をもった害虫がよけいに作物を食い荒らし、そこで使われるもっと強化された農薬や殺虫剤で人間の健康を脅かす。

硝酸アンモニウムについては直近の事故を取り上げている。8月のおこったレバノンの爆発事故だ。この物質は、爆薬の原料にもなるが肥料にもなるらしい。なんとも両極端な物質だが、密閉した状態で火が点くと高温、高圧という状態になり大爆発を起こす。これも取り扱いを誤った事例だろう。いつでもどこでも起こりうるという危険を警告している。

著者はそういうことを理科教育を通して伝えたいと考えてきたようだが、危険やゆとり教育のあおりを食って自分の理想とする教育ができない。そして、教師たちも危険という認識がなく事故を起こしたりもしてしまうということを嘆いている。

一酸化二窒素(笑気ガス)の話題も面白かった。麻酔にも使われるガスだそうだが、吸い込むと顔の筋肉が弛緩して笑ったような表情になるからこんな名前がついているそうだ。同時に気分も昂揚するのでドラッグ代わりにも使われる。糞尿からも出るようなガスだそうだが、『数時間にわたりふんの堆積物のにおいを嗅ぎ続けると、完全におかしくなってしまう。気分が悪くなり、頭痛がしてくることもある。』というような代物らしい。う~ん、ひょっとして僕が毎日会社で嗅がされている彼から発せられるあの臭いは笑気ガスだったりするのだろうか?気分は昂揚しないが、気分が悪くなり、頭痛がしそうになるのは確かだ。
ここ数日、コロナ患者が急増して、こんな安普請の仕切り板で不安な毎日を過ごしているがその前に笑気ガスの中毒になってはしまわないかと不安になる。



日常生活では化学変化といっても僕の身の回りではサンポールで貝の表面を溶かしたり、上で書いた風呂のカビ取りくらいしか経験するものがない。なかなか実感がわかないが様々なところで恩恵を受けながらも危険であるというのはよくわかるのだ。
僕も経験できるものとして重曹とクエン酸を混ぜると温度が下がるという実験が紹介されていた。100均にも売っているものなので僕も洗剤代わりに使っているものが家にある。「混ぜるな危険」というほどのものではないのでぼくも手のひらの上でやってみた。確かにてのひらが冷たくなる。シュワシュワ泡が出て面白い。これは感動ものだ。

化合にはイオン化傾向というものが関係しているが、僕の高校時代は、カリウムからスタートして金で終わるという順番だった。語呂合わせで、「カカナマアアテニスナヒドスギシャッキン」なんて言いながら覚えた(語呂だけ記憶があって、どのカナがどの元素を指すかはほぼ記憶がない・・)ものだが、今はカリウムの前にリチウムを入れて覚えるそうだ。後半は似たような語呂だが、最初は「リッチニカソウカナ・・」と覚えるらしい。
現代はリチウムイオン電池で脚光を浴びている金属だが、多分当時は何の役にも立たない金属だから取り上げられることもなかったのだろう。(カリウムも何の役にたっているのか知らないが・・。確か、人間の体にもカリウムが入っていて欠乏すると厄介というのは聞いたことがある。)これも時代の流れを感じるのだ。


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「広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由」読了

2020年11月11日 | 2020読書
スティーヴン・ウェッブ/著、松浦俊輔/訳 「広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由」読了

これも「三体」の流れで借りた本だ。500ページもある。

「フェルミのパラドックス」という論に対する解を求めようとする話だ。
ウイキペディアで調べてみると、『物理学者エンリコ・フェルミが最初に指摘した、地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことである。』と書かれている。

「ドレイクの方程式」という、太陽系が属する銀河系のなかには地球のほかにどれくらいの文明が存在しているのかを求める方程式があって、それぞれの変数に数値を確定させて代入するとその文明の数が導き出せるというものだ。

方程式はこうだ。
N=R*×f{p}×n{e}×f{l}×f{i}×f{c}×L
R* は、天の川銀河で1年間に生まれる恒星の平均数、
f{p} は惑星系を有する恒星の割合、
n{e} は1つの恒星の周りの惑星系で生命の存在が可能となる惑星の平均数、
f{l} は上記の惑星で生命が実際に発生する割合、
f{i} はその発生した生命が知的生命体にまで進化する割合、
f{c} はその知的生命体が星間通信を行うほど高度な技術を獲得する割合、
L はそのような高度文明が星間通信を行い続ける期間、
である。
こんな変数をどうやって特定するかはわからないが、ドレイクが1961年に示した値はN=10であったそうだ。

フェルミはこう考えた。少なくとも、銀河系にある惑星文明は地球だけではないはずだ。それなのに、いまだかつて他の星から人工的な電波が送られてきたり、探査機が来たりしたということが確認されていない。ましてやエイリアンがやってきたという痕跡もない。
それはどうしてだろうか・・。というのがフェルミのパラドックスである。
ちなみに、エンリコ・フェルミというひとはものすごく偉大な物理学者であったらしく、1938年にはノーベル物理学賞を受賞し、マンハッタン計画に参画、世界初の原子炉の運転にも成功したというひとだ。そんなひとが、宇宙には地球以外にも文明があるというのだからそれはきっと間違いがないということだろう。
それなのに誰も地球に興味を示していないのはなぜか・・。それがフェルミのパラドックスだ。そしてこの本は、そのパラドックスはなぜ起こっているのかということを考察している。
要は、「宇宙人の存在を、どうして地球人には認識できないのか。」ということを考察している。

その理由を著者は大きく3つの項目に分けて考えている。ひとつは、『実は来ている。』ひとつは、『実在するか、また会ったとしても連絡を受けたこともない。』最後は、『そもそも存在しない。』である。

しかし、これらが長い文章で、しかも翻訳もので専門用語と数式が並んでいるからさっぱりわからない。
なんとなく理解できそうなところを拾ってゆくと、
『実は来ている。』では、都市伝説のような、宇宙人は政治家になって潜入しているなんてことが書いてある。NHKの「LIFE」では「小暮総理」といキャラクターが出てくるが、プロヂューサーはこの本を読んだことがあったのだろうか・。
また、ミステリーサークルや火星の顔面岩なども紹介され、このパートは科学的というよりかなりオカルト的である。唯一、月の高精細の画像探査では宇宙人の観測基地は見つかっていないというのは実証的である。しかし、火星の向こうにある小惑星帯に探査機が紛れ込んでいるという可能性は捨てきれないとなっている。

『実在するか、また会ったとしても連絡を受けたこともない。』では、カルダシェフスケールという文明のステージが紹介されている。
タイプI文明は、惑星文明とも呼ばれ、その惑星で利用可能なすべてのエネルギーを使用および制御できる。地球はここにまでも到達していない。
タイプII文明は、恒星文明とも呼ばれ、恒星系の規模でエネルギーを使用および制御できる
タイプIII文明は、銀河文明とも呼ばれ、銀河全体の規模でエネルギーを制御できる。

恒星間で通信をしようとすれば最低でもタイプII文明レベルが必要である。それだけのエネルギーを制御できないと隣の恒星へも相手が認識できるような電波を飛ばすことができない。ただ、「三体」でも使われていたが、太陽の重力レンズ効果を使って伝播を増幅して発射するという方法は理論的に可能だそうだ。これだと今の地球の文明でも可能だそうだ。でも、「三体」がリアルなら、どこかに隠れている他の星の文明にこっちが滅ぼされてしまうことになるのでちょっと不安だ。
そして、実際に宇宙人が地球にやってこようとするとタイプIIIのレベルの文明が必要だが、恒星間を超えて文明が発達するためには等比級数的に人口が増えてしまい、その圧力で文明自体が崩壊してしまう可能性が高くなるという。
だから、実在したとしても向こうからもアプローチできないという結論が導き出せる。


『そもそも存在しない。』では、地球を例にとって、地球に生命が生まれそれが知識を持ち、宇宙に目を向けるところまで進化することがどれだけ奇跡的であるかということを地質学や生物学の知識を使って書かれている。
まずは、DNAが生まれることが奇跡的で、また、初期の生物と言われる、原核細胞生物が真核細胞生物に進化するということがまた奇跡的であったという。
そしてそんな進化の環境は月という特殊な衛星の存在がある。月は衛星としては地球に比べて非常に大きく、潮汐や地軸の傾きの安定を地球に与えることで生命の進化に貢献した。また、木星や土星などの外惑星も地球に降り注ぐ隕石の数を制御することで何度かの大量絶滅の末に人類を進化の中に残した。地球自身も地殻とマントルを持つことで磁力線を発生させ、宇宙からやってくる放射線から地球を守っている。そんなことがどの恒星系でも起こるのかというとそれは極まれなことではないかと思われ、そもそも存在しないという結論が導き出せる。

結局、真相はわからないわけだが、著者の見解では、やはり、「存在しない。」という考えを持っていると書いている。
確かに、『そもそも存在しない。』のパートで書かれていることを考えたら、道具を作ってさらに二次的にモノを作り出し、宇宙に向かって電波を出し、どこかからやってくる電波を待ち受けるまでになるということは奇跡のなにものでもないような気がする。
生物がいる星は多分どこかに存在するんだろう。しかし、科学技術を持った文明は存在しないような気がする。ましてや銀河規模でエネルギーを操れる文明など。

一番に特異なことは、言葉をしゃべり、道具を使うのは人類だけで、そのほかの動物とはあまりにもかけ離れている。その間がないというのは不自然だ。と、いうことは、やはり人類の存在というのは相当異例のことに違いない。
地球の生命の誕生に際しては一番最初の生命がひとつだけあったに違いないと言われている。宇宙規模でみるとこれから宇宙に広がる最初の生命体が人類であったりするのかもしれない。
地球上の生命を構成する原子は宇宙が生まれたときと同時に発生したものではなく、その後の超新星爆発や白色矮星の崩壊から生まれた原子も使われている。ということは、宇宙ができて何世代かの星々の更新の末でなければ生物は生まれない。この本ではそれは宇宙ができて70億年後くらいからであっただろうという。それから46億年経って今の人類がある。その時間の必要からも人類が宇宙での最初の文明であってもおかしくはないというのが著者の考えだ。だから人類が宇宙における一番最初の生命の位置づけになるのではないかという。

しかし、これから先、人類ははるか宇宙まで勢力を伸ばすことはできるのだろうか。科学と技術の進歩がそうさせる可能性があったとしても、社会的、心理的な面からはどうだろう。
経済面から見てみると、人類を他の恒星系に送り出すだけの余裕があるのだろうか。それをやって経済的なリターンがあれば別だが、そのリターンを得るまでにどれだけの投資をしなければならないのか、貧困にあえぎながらそれに賛同することはできるのだろうか。強力な独裁者が、おれはやるんだ!と言ったところでその技術がそこまで到達するまでその独裁制を保てると思えない。貧困と抑圧が暴発を生む。
また、光の速度を超えられないという縛りがあると、恒星間の移動は数百年、数千年、ひょっとすると万年単位の旅となる。人間がそこで宇宙船の中で社会を築きながら世代を重ねて旅をするとなると、そんなに長い間平和を保てるだろうか。それは歴史が答えを出している。

これは人類を基準に考えているからこんな答えが出るのだといわれるかもしれないが、知覚や知能を持った生物なら、必ず死というものを考えるはずだ。そこから宗教が生まれ、そういう思想を元にして社会が築かれる以上、同じような流れをたどるのは必至だとは思わないだろうか。
宇宙の生命には永遠の命を持っていて、死や宗教に縛られないものがいるに違いないという話もあるのかもしれないが、そういう種族をこっちが生物と認識できるのかどうかというところからはじめなければならない。

フェルミは、不可知論という考え方を持っていたそうだ。不可知論とは、「事物の本質は認識することができない、とし、人が経験しえないことを問題として扱うことを拒否しようとする立場である。」ということだが、多分僕が生きている間にどこかの星からメッセージが届くことはないだろうし、ましてや大船団が攻めてくることもなかろう。
だから何も気にせず空想の中で楽しめばいいと思っている。

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「SIGNAL シグナル」読了

2020年11月05日 | 2020読書
山田宗樹「SIGNAL シグナル」読了

う~ん、この小説はどのように評価したらいいのだろう。一応、「三体」の流れで借りてみた本だが、SF小説と言っていいのかどうか・・。そもそも、著者は多分SFとは全然縁のないような作家に思う。代表作は、「嫌われ松子の一生」だ。

あらすじはこんな感じだ。
あるとき、とある電波天文台が47分49秒周期で繰り返される明らかに人工的な電波を捉えた。それは、300万光年離れたM33さんかく座銀河からとどいた人工電波であった。
それに興味を持った、主人公である中学生がその話題について語り合いたいと望んだ相手が中高一貫校で学ぶ高等部の先輩である通称「ディラック」と呼ばれている風変わりな高校生であった。母親が天文学者であるという理由だけできっと話が合うだろうと考えたが、打ち解けるまでにはなかなか至らない。打ち解けたかどうかもわからない。
同時に、300万光年離れた世界からのメッセージを直接頭で聞くことができるレセプターという人たちが現れる。頭痛にも似た症状に悩まされながらも、同じようにメッセージを受けたものたちが動画投稿サイトを介して集まるようになる。
そして17年後、「ディラック」先輩は天文学者になり、謎のメッセージの解析に挑んでいる。主人公の後輩は科学ジャーナリストとなり、仕事の合間にメッセージの謎を追っている。

レセプターのグループは受け取ったメッセージから300万年前、地球に向けて大宇宙船団が発進したことを知る。侵略か、移民か、的なのか、友好的な相手なのか、それはわからないが、それをしかるべき人たちに知らせようとする。
そこでレセプターたちと主人公との接点が生まれる。

レセプターたちは、主人公を通して「ディラック」先輩たち、メッセージの解読者たちに自分たちの見た光景を知らせようとする。

そして、「ディラック」先輩のグループはついにメッセージの解読に成功する。その内容とは、300万年前、この星の人たち(M33ETI)は母星のある恒星が高温化することによる暴走温暖化のためいずれは居住できなくなることを知り、地球への移住をおこなうために大宇宙船団を発進させたが、M33さんかく座銀河を出られることなく全滅した。その間際、自分たちの行動とその進んだ科学技術の内容を、おそらくその頃には電波を受信できるようになっているであろう地球人に向けて発信するために宇宙空間に電波発射装置を残した。というものであった。

物語のかなり初めの部分に、「三体」が取り上げられていて、光年単位の距離の彼方からやってくる電波の速度と物理的な物質との移動速度のギャップを利用した設定はあまりにも似すぎているのでこのSF小説にインスパイアされて書かれたのかもしれないが、それがどうもSFとは言えないような・・というのが冒頭にも書いた感想だ。わざわざ「三体」というタイトルを盛り込んだのは逆にこの小説はSFではないと言っているのかもしれないと思えてくる。

しかし、それでは著者はこの小説を通して何を言いたいのか、それもよくわからない。SF小説なら、著者が自分の科学知識を駆使して空想の世界を作り上げるのだから、その空想世界そのものが伝えたいものであるとしていいのだろうが、一般的な小説というのはなんであれ様々なエピソードに何か著者の伝えたいことを盛り込んでいると思っている。

かなりのページを割いて書かれているのは、レセプターたちの人間関係だ。お互いをニックネームだけで呼び合い、最後のシーンまでお互いの素性を知らないまま物語は続き、その中でおお互いの中に友情や愛情が芽生えてくるのだが、そういった今風の人間関係を実験的に描いているのか・・。

唯一、示唆的に書かれているのはこの文章だ。
『人をある行動に駆り立てた〈理由〉は、だれかがその〈理由〉を探そうとする瞬間まで、どこにも存在しない。〈理由〉を探す行為によって〈理由〉が出現するのだ。そして探し当てた〈理由〉も、いかに説得力があるように見えても、それが真にして唯一の〈理由〉あることは滅多にない。』それは、M33ETIがどうして300万光年も離れた地球を選んだのかという疑問を持った主人公に「ディラック」先輩が語る考え方なのだが、それを強調したいというのならそれはいろいろなエピソードの中に埋もれてしまっている感がある。
謎の先輩とのコンタクトと異星文明とのコンタクトを掛け合わせて相手の意思を探るということは無駄なことだと言っているのなら、落ちが単純すぎる。

どれを取っても僕にはすべてが中途半端なものに見えてしまう本であった。
もっと読み込んでいる人の感想も聞きたいものだ。
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『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』読了

2020年10月31日 | 2020読書
岡田麿里 『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』読了

家のテレビにハードディスクをつないだらいままでよりも簡単に大量の番組を録画できるようになった。ハードディスクではもっぱら映画を撮っている。
そんな中、一連のアニメで、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」「空の青さを知る人よ」という映画を録画して観ていた。
それぞれけっこう有名らしく、原作者が同じ人で、舞台となった秩父地方はファンの中では聖地となっているそうだ。
ストーリーは、それぞれ、「あの日・・・」は、子供のころの同級生の死を心の底にわだかまりとしてもっていた子供たちがそれを乗り越えて成長してゆく物語。
「心が・・」は子供のころに発した小さな言葉が両親の離婚の原因となり、それ以来言葉を発せなくなった少女が友達の力を借りながら克服してゆく物語。
「空の・・」は故郷である秩父から抜け出したい少女が、先輩たちの言動から新たな地元の魅力に気づくという物語だ。
オタクなアニメといってしまえばそれまでだが、取り上げているテーマは複雑で深刻だ。自意識過剰で自己肯定感に欠ける僕にとってはそれそれの物語の登場人物たちの気持ちはかなり理解できる。

そのような物語を書いた原作者が自分の生い立ちを綴ったのがこの本だ。
著者は小学生のころから不登校が始まり高校生になるころにはほとんど学校へは行かなくなった。
最初の原因はいじめだった。それからクラスメイトとのコミュニケーションの不調によりますます登校ができなくなる。中学時代、自分で仮のキャラクターを作りそうふるまうことでなんとかクラスメイトとのコミュニケーショを復活させることができたが、それも、これは本当の自分ではないと思い始めると偽の自分を続けることができずにふたたび不登校に戻る。
高校に入ると半年後にはまた不登校になりそれから約2年半、学校の大きな行事以外は登校しない生活を続けた。
高校時代の恩師の奥さんとの会話の中、勢いで「私、やりたいことがあるんです。ゲーム学校に入りたいんです。」ととっさに口に出たとおりに東京の専門学校に通うことになる。『服を選ぶようになんとなく「ここかな」と思っただけの学校』であった。
秩父の町を出たいという願望がかなったことと、ゲームの専門学校という一風変わった環境が合ったのか、ここでは不登校にならずに無事卒業。

その後はシナリオライターを目指してフリーで仕事を獲得してきた。エロのVシネマの脚本からキーボードを使えない脚本家の代理でストーリーをタイピングしたりとなんでもこなした。そして本格的にアニメのシナリオの仕事獲得してゆく。
先に揚げた作品は著者の原体験をもとにしてオリジナルの脚本として書かれているとのことだ。

普通、不登校とか登校拒否とかいうと、永遠に世間から身を隠して生きていく運命にあるのではないかと思うけれども、著者は違った。アニメの主人公たちもそうであったが、 “今”からなんとか抜け出したい、そういう心のなかでもがき続けている。それがある人の出会いや小さなきっかけで厚い殻を破ることができる。それを本人も実践してきたということだろう。
著者は時おり、布団を頭からかぶって大声で叫んでいたそうだ。そう、このひとは叫ぶだけのエネルギーを内に秘めていたのだ。
『自分が納得して好きだと思わないと本気になれない。それでもいつもどこかは冷めている』といいながらも、『自分でも気付かなかった熱血因子を持っていた。仕事に関しては「逆行とか、努力友情勝利とかに盛り上がってしまう。』
そして、人との距離感に迷いながらも、『監督の指揮のもと、それぞれが自分の場所でベストを尽くす。そして最終的に、皆の本気を集めて一つの作品を作り上げる。他社との関わりにずっと苦手意識を持ちながら、他者との繋がりに飢えていた私にとって、アニメという仕事はその舞台裏までも強烈に魅力的だった。』というほど仕事にのめりこむ。
「天職」というものがそれそれの人にあるのかどうかはしらないけれども、著者ならきっと、それがシナリオライターという仕事でなくてもどんな仕事でもどこかにやりがいを見出していたのに違いない。
そこがふつうの引きこもりとは違うところだろう。そして僕とも・・。


そんな話を読んでいると、人間には自己を肯定できる人間と肯定できない人間の2種類に分けることができると思い至る。
そして、自己肯定感の強い人間というのは、たとえ自分がどんな人間であっても必ず幸せに生きてゆけるのに違いないと思うのだ。
たとえば、僕の斜め前に座っている同僚だ。体重が自称98キロの同僚なのだが、いつも異様な体臭を発している。例えていうなら、最近は天王寺界隈でも見ることがなくなったレゲエのおじさん(いわゆる浮浪者という人たちだ)のような臭いだ。もっと単純に例えるなら、10日間くらいお風呂に入らないとおそらく僕の体からも発してくるような臭いだ。
南海電鉄で通勤しているらしいが、周りの人に何か言われたことはないのだろうかと疑問に思う。
先日は超強力な臭いだったので目まで染みてきてチカチカしてきた。多分アンモニア成分も混ざっているのだろう。彼の席の後ろには窓があり、風が入るとこっちにもっと漂ってくるので思わず窓を閉めさせてもらったくらいだ。
接客業とはいえ、ほとんどお客の前に出ることはないけれどもそれでもたまには相手をすることがある。そんなとき、お客は臭いを感じないのだろうか・・。幸いにして苦情にまで発展したことはないようだが。

悪臭の度合いは日ごとに違うような気がするが、彼は風呂に入らない日があったりするのだろうか。僕は体重が90キロ近くあった頃があるけれども、その頃の自分の体格と比べてみると、どう見ても110キロ以上はありそうな感じなので毎日お風呂に入ったとしても脂肪のヒダヒダの間にある悪臭の元は取り切れないのかもしれない。

「あなた、ものすごく臭ってますよ。」と指摘をしてやりたいのだが、それって何かのハラスメントになってしまうのではないかと思うとそうもできない。
また、彼はこんなクズの集まりの中の一員でありながら、自分は優れた能力を持っていて間違いを犯さないと思っているふしがあるのでまさか自分が一般的にはありえないほどの悪臭を放っているということなどを認めるわけにはいかないのだろう。しかし、こういう生き方ができる人というのはきっと何の悩みもないというか、自己肯定感がすごいというのか、ものすごくうらやましいと思うのだ。だから彼は絶対に自分のことをくだらない人間だと思うことは死ぬまでないのだろう。そうでなければあんなに太れることもない。アラビア風の衣装を着せればそのままハクション大魔王になれそうだもの。

臭いというのは目に見えない。そうなると、この人が近くに座っているだけで何か臭ってくるような錯覚に陥る。そして、その臭いを自分も発しているのではないかとか思うほど僕には自己肯定感がない。
そんなことを思っていると、僕は逆に一生何かに満ち足りているというような感覚を覚えないまま死んでいくしかないのではないかと思うのだ。


僕もそれほどというか、かなり世間になじめずに生きてきたように思うので、著者の言葉に共感するところがいくつもあった。
『わたし、自信がある人って苦手でなんです。』
会社でも、家族でも、そんなに自信を持って人にものが言えるということがうらやましくて仕方がない。いつも何かをミスしているんじゃないかとおびえている自分からは想像ができない。これはひとつには僕の記憶力があまりにも悪すぎるから何かのミスを指摘されても、それがどんなプロセスでミスをしてしまったかということがわからない。これこれこういう理由でこうしたのでミスしたことは仕方がありませんが、意図的ではなかったです。くらい理路整然と言い訳ができればいいのだが、僕みたいな人間は、『いじめられる側にどうしても回ってしまう自分には、抗いようのない欠点があるのだろうと自覚していた。』となってしまう。
だから、こっちが逆に指摘しようにも自信がないのでそれができないので舐められる。
著者のように、大声で叫ぶだけのエネルギーと気力があれば乗り越えられるのだろうけれども、そんな力はどこにも残っていない。
あと4年、なんとかエンストしないで動けるように回転数は控えめでいかねばと思うのだ。


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