開高健「日本人の遊び場」読了
読みたいと思っていた本が文庫本で出版された。古本の全集の中には入っているのだがやっぱりこっちのほうが読みやすい。
この本は1963年7月から9月まで週間朝日に連載されたものをまとめたものである。
僕が生まれる直前の日本人の遊び場のルポルタージュである。レジャーという言葉がまだ新しかった頃の話だ。
(今では田舎の釣具屋さんしか使わない言葉だろうが。)
高度経済成長がぐんぐん加速している頃に一般大衆はどんな遊びをしていたかを取材しているのだが、小説家は哀れみをもって日本人の奇妙な行動、みんながやることをみんながして、与えられたものの中で満足しているのかどうかさえも自分でわかることなくすごしている姿を描いている。
その一端にしがみついて生活費を得ていることになるのであろう自分もまた哀れである。
小説家は別の本で、「人間は移動した距離に比例してその大きさが決まる。」「自分のお金で遊びなさい。」と言っているが、すなわち、自分で考えて自分の方法で遊びなさいと言っているのである。
僕もこの言葉をキモに命じて遊びを続けたいと思っている。
と、言いながらこのあとパックツアーで旅行に出てしまう僕もやっぱり右から左へ受け流されていることになるんだろうな~。
読みたいと思っていた本が文庫本で出版された。古本の全集の中には入っているのだがやっぱりこっちのほうが読みやすい。
この本は1963年7月から9月まで週間朝日に連載されたものをまとめたものである。
僕が生まれる直前の日本人の遊び場のルポルタージュである。レジャーという言葉がまだ新しかった頃の話だ。
(今では田舎の釣具屋さんしか使わない言葉だろうが。)
高度経済成長がぐんぐん加速している頃に一般大衆はどんな遊びをしていたかを取材しているのだが、小説家は哀れみをもって日本人の奇妙な行動、みんながやることをみんながして、与えられたものの中で満足しているのかどうかさえも自分でわかることなくすごしている姿を描いている。
その一端にしがみついて生活費を得ていることになるのであろう自分もまた哀れである。
小説家は別の本で、「人間は移動した距離に比例してその大きさが決まる。」「自分のお金で遊びなさい。」と言っているが、すなわち、自分で考えて自分の方法で遊びなさいと言っているのである。
僕もこの言葉をキモに命じて遊びを続けたいと思っている。
と、言いながらこのあとパックツアーで旅行に出てしまう僕もやっぱり右から左へ受け流されていることになるんだろうな~。