榛葉 英治「続 釣魚礼賛」読了
以前に読んだ「釣魚礼賛」の続編である。最初の巻は著者の釣りの記録を綴ったものであるが、続編は著者の釣りに対する思いのようなものが各所にちりばめられている。
あとがきには「私にとって、釣りとはどんな意味をもったものであるか?」
特に内面とってどんな意味を持っているかということをアイザックウォルトンの「釣魚大全」の一説を引き合いに出して短いながら書かれている。
僕にとっては「釣り」とはいったいどういう意味を持っているのだろう。
自分の自由になる時間のほとんどと言っていいほどの時間を費やしているところを考えると釣りに魅入られている人生かもしれない。
しかし、一方では仕事を天秤にかけて、釣りに魅入られたふりをして仕事のできない自分の逃げ場所にしているのではないかと思うときが多々ある。最近は特にそう思うのである。
父親の人生を自分なりに考えたとき、やっぱり同じように仕事から逃げながら魚釣りをしていたのではないかと思うことがあり、血は争えないのかと考えてしまう。
たかが魚釣り。単純に楽しめばいいはずではあるのだが、うまくわりきれない自分が悲しいのである。
以前に読んだ「釣魚礼賛」の続編である。最初の巻は著者の釣りの記録を綴ったものであるが、続編は著者の釣りに対する思いのようなものが各所にちりばめられている。
あとがきには「私にとって、釣りとはどんな意味をもったものであるか?」
特に内面とってどんな意味を持っているかということをアイザックウォルトンの「釣魚大全」の一説を引き合いに出して短いながら書かれている。
僕にとっては「釣り」とはいったいどういう意味を持っているのだろう。
自分の自由になる時間のほとんどと言っていいほどの時間を費やしているところを考えると釣りに魅入られている人生かもしれない。
しかし、一方では仕事を天秤にかけて、釣りに魅入られたふりをして仕事のできない自分の逃げ場所にしているのではないかと思うときが多々ある。最近は特にそう思うのである。
父親の人生を自分なりに考えたとき、やっぱり同じように仕事から逃げながら魚釣りをしていたのではないかと思うことがあり、血は争えないのかと考えてしまう。
たかが魚釣り。単純に楽しめばいいはずではあるのだが、うまくわりきれない自分が悲しいのである。