佐治晴夫/佐藤勝彦 「宇宙はすべてを教えてくれる」読了
佐治先生は「f分の1のゆらぎ」で有名な学者で、佐藤先生は僕がちょっと疲れたときによく読んでいた。「量子論を楽しむ本」の著者である。
物理学者のふたりが宇宙と人間について話をした対話集だ。
宇宙と人間について、自然の中の美、時間についての話、宇宙人は存在するのか、などなど僕にとってはなんとも魅力的な話題ばかりだ。
優秀な学者が対話をすると、こんなに知的な会話になるのかとある意味感動する。
人が宇宙に興味を持つのは、「はたして自分はなにものなのだろうか?」という疑問の答えを見つけるためなのかもしれないそうだ。
この宇宙で人間ような存在どこにでもいるのか、それともたまたまここにだけ存在しているのか?
興味は尽きない。
「宇宙」という言葉は紀元前2世紀の頃に前漢の時代の書物に出てくるらしいが、そんな昔に宇宙の存在を人間が認識していたわけでもなく、ひょっとしたらその知恵を与えたのは宇宙人ではなかったのだろうか。いやいや、人間そのものが宇宙船に乗り遅れたドンくさい人々だったりして・・・。
そういえば、弥勒菩薩は56億7千万年後にこの世に現れて衆生を救ってくれるという話なんかがあるが、これなんか、30億年後に膨張した太陽に地球が飲み込まれるころに誰かが救出に来てくれるがごとくの話だ。置いていかれた人たちの唯一の記憶が「この頃にこの星の寿命が尽きるから、その時には助けに来てあげるから、まじめに生きていてね・・・」だったなどと考えるとつじつまが合うし、そうでなければこんな突拍子も無い話が何千年も受け継がれてくるはずがない。
ガミラス星人も地球人とおなじDNA配列を持っていると先週の宇宙戦艦ヤマトで語られていたから、あながち荒唐無稽な話でもないような気がする。そうすると菩薩様や如来様はきっとイスカンダルからやってきた人々なのだろうか?
などと、こんなくだらない話を日本を代表する物理学者がするわけはないが、どこまでも引き込まれる対話集であった。
佐治先生は「f分の1のゆらぎ」で有名な学者で、佐藤先生は僕がちょっと疲れたときによく読んでいた。「量子論を楽しむ本」の著者である。
物理学者のふたりが宇宙と人間について話をした対話集だ。
宇宙と人間について、自然の中の美、時間についての話、宇宙人は存在するのか、などなど僕にとってはなんとも魅力的な話題ばかりだ。
優秀な学者が対話をすると、こんなに知的な会話になるのかとある意味感動する。
人が宇宙に興味を持つのは、「はたして自分はなにものなのだろうか?」という疑問の答えを見つけるためなのかもしれないそうだ。
この宇宙で人間ような存在どこにでもいるのか、それともたまたまここにだけ存在しているのか?
興味は尽きない。
「宇宙」という言葉は紀元前2世紀の頃に前漢の時代の書物に出てくるらしいが、そんな昔に宇宙の存在を人間が認識していたわけでもなく、ひょっとしたらその知恵を与えたのは宇宙人ではなかったのだろうか。いやいや、人間そのものが宇宙船に乗り遅れたドンくさい人々だったりして・・・。
そういえば、弥勒菩薩は56億7千万年後にこの世に現れて衆生を救ってくれるという話なんかがあるが、これなんか、30億年後に膨張した太陽に地球が飲み込まれるころに誰かが救出に来てくれるがごとくの話だ。置いていかれた人たちの唯一の記憶が「この頃にこの星の寿命が尽きるから、その時には助けに来てあげるから、まじめに生きていてね・・・」だったなどと考えるとつじつまが合うし、そうでなければこんな突拍子も無い話が何千年も受け継がれてくるはずがない。
ガミラス星人も地球人とおなじDNA配列を持っていると先週の宇宙戦艦ヤマトで語られていたから、あながち荒唐無稽な話でもないような気がする。そうすると菩薩様や如来様はきっとイスカンダルからやってきた人々なのだろうか?
などと、こんなくだらない話を日本を代表する物理学者がするわけはないが、どこまでも引き込まれる対話集であった。