相模の国の古代東海道の概略を考えました。
左の赤丸は足柄峠の象徴となる矢倉岳(注1)です。
右は東京湾に乗り出す港の六浦港(注2)です。
一般的には大和武尊の通った道ですが、
初期駅路と大和武尊の道は関連は無い。(注3)
蛮族退治の東征と朝廷に帰属した地方に道を造るのは同一に出来ない。
同じ海上を渡るにしても、六浦から市原市へ渡る方が合理的です。
矢倉岳と六浦港の間を古代東海道が通ると考える訳です。
この2点の何処を通るか?
と云う問題がテーマです。
(注1)矢倉岳は、独特な形と高さが有るので、
街道を歩く人の目印になり、道路を造る
時の基準に成る。
(注2)古代東海道は東京湾を船で渡り、千葉か
ら茨木に向かう道筋です。
(注3) 『■記 2006年06月01日古代東海道駅路跡』に詳細を記載。