鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

相模の古代東海道 4

2015年12月15日 | 古代東海道
『文献が少なく、発掘遺構も少なく 何処を通っているか謎!』
発掘された道路遺構は、1%にも成らない。そんな現状で全体像の予測は、情報不足で不可能です。
それでも、全体像をマトメる必要が有るのが研究書で、虚実不明な記述となる。
結果は、虚実不明なマトメは衆知の根拠不明な常識となります。
そんな常識は無視し、、、古代東海道の根拠である古文献、遺構、現存する掘り切り遺構、地名等でラインを造ってみましょう。0

 そんな状況で、
唯一公認されている古代東海道道路遺構が、平塚の東中原の発掘遺構で赤いマークを付けました。
青いラインから道路遺構が離れた理由は何か?
その遺構の不自然な経路を検証しましょう。

中央の赤い印が東中原道路遺構です。
足柄峠と平塚の平野に在る大磯丘陵が障害に成ります。
それを回避するには、
海の際を通るか、山側の秦野盆地より金目川の脇を抜ける通路が考えられますが、
東中原道路遺構の場所から山側の秦野盆地へ回避して駅路を作った様子が伺えます。

相模国府は、倭名類聚抄では大住郡にあったとされる。
1982年 国道129号線(四之宮前鳥神社の周囲)の発掘調査で多量の墨書土器、陶器が出土。1990年に国厨と書かれた土器が出土、ここ四之宮周辺遺跡が、相模国府跡と言われる根拠です。

しかし、、、この道路遺構は、、、直線では無い!
 真っ直ぐなハズの駅路が曲がっている理由は?  何でしょうか??
コメント
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