鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

相模の古代東海道 5

2015年12月19日 | 古代東海道

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古代東海道を探すには 国分寺跡、国衙跡、駅屋跡、神社所在地より駅路を推察するのが一般的です。
この手段の根本的間違えは、詳細に調べても道路遺構は推測の話です。
更に相模国衙は数度変遷した上に年代考証も曖昧です。
    要は、 全くの情報不足です。
権威を持つ研究発表は、多くの推測を含み『であろう』と書いた話は
『っと言われている』から『です』になる。
決定的な証拠も無く色々な説が生まれ、道路遺構を発見した実績は平塚だけで、収拾が付かない現状です。
この様な研究方法には、資料不足から起きる推測や憶測の中から出られない限界が在る訳です。
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唯一公認されている古代東海道道路が平塚の東中原から四ノ宮迄の発掘遺構です。
青いラインから古代道路が離れたソノ理由は?
大磯丘陵が邪魔な為に秦野盆地経由で道を造った事が考えられる。

青いラインより北側に寄っている居るのが理由ですが、
もし 海側に道を造れば、青いラインより海に近い場所から道路遺構が出土される筈ですが、それは無い。
結論として 古代東海道は大磯丘陵を避けて、山側の秦野盆地を通った。
そう考える「ぼ輔」ですが、現地説明会はこれを否定している。
「西方面は豊田本郷の南をかすめて、広川あたりから南下して大磯の国府本郷を経て国府津、足柄峠へ向かう。」と言う見解です。
キット 小田原厚木道路に沿って二宮に抜けるパターンを考えているのでしょうが、、、証拠は無いし、道路の直線性は無視されている
さて、、後半いかに展開するか お楽しみに!

 目的地に向かって直線に作るベキ道ですが、この道路遺構は、
一、構之内第3地点で曲がっている。
二、西に向けては秦野盆地に向いている。
三、東に向けては鎌倉向きではなく、微妙に北上がり(横浜向き)です。


これ等の直線では無く、目的地を向いてない理由は、、、何か?
東山道武蔵路の様な単純な直線では無いですね!
コメント
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