先ずは、上の地層の年代です。
平安後期~鎌倉初期の上に砂地とは異質な土砂が乗っています。
この土砂の地層は「明治時代」との説明です! 稚拙で考えのない 無神経な回答と考えています。
この地には、室町、戦国、江戸時代は無かったのか????
上の写真 石棺の上数十㎝が平安時代の住居跡で4~5m程の深さがあり、
深さの半分は砂地で、あとの半分は出所不明の土砂で、この場所だけでなく、写真に写る断面は同様な土砂の盛り土の状態です。
其処から、、、何が考えられるのでしょうか?
この石棺墓発掘の当初から考えた周囲の山を城の形に作る残土を捨てた!!
とは単純に考えられないが、、、
可能性は十分にあるかも、、、
情報が不足ですから結論を出せば、憶測の範囲ですがね、、、
下から中程迄の砂地の説明は?何でしょうね、、貴方はどの様に説明しますか?