明治の迅速図(明治16年程)で、未だ横須賀線は敷設されない時代。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/3d/087f62989eb1ada189b8ac1a80561ff5.jpg)
同じ地図のモノトーンです。 問題は紫色に囲った部分で、台村(旧字体)に注目!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/f2/873db5a39cfdf6d76ae5069d06bd1695.jpg)
同様に右上の紫は、、長窪の砦です。 共通するのは、異常に広い平坦地です。
現状は、魅力に欠ける造成された様な平坦な住宅地を如何に面白く見せるか!
明治15年の地図ですから、江戸時代からの平坦地と考えられる。
この場所は、鎌倉街道が通過する場所です。
そして、台村に上がる手前には 「水堰橋」と言う曰くある場所と成ります。
吾妻鏡(奥州攻め )には「二品者大手自中路」 とあり、この緑ラインの道が鎌倉城の大手道と考えられます。
次回は、この状況を踏まえた台村と言われた平坦地の話です。