
東京へ行って、「ちがうな」と感じること。
その一つは、エスカレーターに乗るとき右側を急いでいる人のために空けることです。
名古屋でも、みんな右側を空けていました。
ところが、大阪では、ふつうというか、必ずといっていいほど左側をあけます。
みなさん、なぜこんなちがいがあるのを考えたことはありますか?
ただ、国際的には、どうやら左側を空けるのが一般的ルールだと聞きます。
そこで、私は、1970年の大阪万博が影響しているのではないかと、確証はないですが、思うのです。
私があれほどたくさんの外国人と会ったのは、大阪万博が、生まれて初めてでした。
当時、「こんにちは、こんにちは、世界の国から・・・」という歌が流行ったほど、日本にたくさんの外国人がやってきました。
そして、子どもたちは「こんにちは」やHELLOと言って、外国人と握手をしました。
そのとき、私が生まれてて初めて、黒人の人と握手をして驚いたことがありました。
それは・・・
黒人の皮膚は、体全体が黒色だと思っていたのですが、握手をするときに気がついたのは、手の甲は黒色でも、手のひらの中は黒色でないということでした。
これは、能勢で生まれ育った私にとっては、新鮮な驚きでした。
まさに、異文化との出会いだったのでした。
さて、そのことはさておき、エスカレーターの話に戻ります。
その当時、エスカレーターはすでにありましたが、新たに万博に導入されたのは「ムービングウォーク」(動く歩道)でした。
梅田の阪急電車を降りて阪急デパートへ向かう道にムービングウォークがついたのは、大阪万博後です。
国内初で、大阪万博で披露され、早足の大阪人にはうってつけだと、報道されたのを覚えています。
おそらく、EXPO70で、ムービングウォークやエスカレーターに乗るとき、多くの外国人が国際的ルールである左側を空けるという慣行を見せました。
だから、左側を空けるやり方が浸透したのではないかというのが、大阪だけが他地域とちがう理由です。
あくまで私見ですが。
ところ変われば、習慣も変わるのです。