昨日の病院(耳鼻科)の待合室でのことです。
私の隣には、小さな子を二人連れたお母さんが座っていました。
その二人のうちの一人は、4、5歳くらいの男の子で、少しもジッとしていません。
その子の一挙一動に、お母さんが言葉を挟みます。
「ちょんと座っていなさい」
「足をブラブラ動かさないの」
「ほら、きょろきょろしない!」
・・・・・
診察室では、耳にあてる赤外線の器具を、その子が外すと、「外さないの。いうこときかないなら、あなただけに、今日はおやつなしよ」
その子は、お母さんの小言には、言われ慣れているのか、平気な様子でした。
診察が終わると、支払いの間に子どもは外に出ようとしました。
「外へ出たらダメ」
・・・・・・
この子が将来、中学生になったら、お母さんに反抗して、まったく親の言うことをきかなくなるだろうと、私は考えていました。
私は、そのお母さんがもう少しおおらかにお子さんに接してくれれば、親も子も救われるのに、と思っていました。
そのおおらかさについて、次のエピソードがあります。
いまは亡き藤村俊二さんですが、生前中は俳優やナレーターとして活動しました。
彼が幼稚園に通っていたとき、いっしに遊んでいた友だちにケガをさせました。
幼稚園をやめなければならなくなったとき、お母さんは「よかったね。明日からはお家でゆっくり遊びなさいね」と言いました。
彼が兄とケンカをして、家の障子を破ってしまいました。
おかあさんは、兄弟にこんな言葉かけをしました。
「疲れたでしょう。さあ、お茶にしましょう」。
このお母さんは子どもを甘やかしているように見えるかもしれません。
しかし、このお母さんは、「他人に迷惑をかけること」には、厳しく叱りつけたそうです。
たとえば、「洗面台を使ったあとは、次に使う人のことを考え、かならずきれいにする」といったマナーなどは、厳しく躾けました。
藤村さんが些細なことをあまり気にせず、周りの人への気遣いができる人だった理由が理解できます。
おとといの朝、私はセブンイレブンでホットコーヒーを買いました。
フタのしめかたが十分でなく、店外に出て一口飲もうとしたら、ジャーとコーヒーが溢れ出し、ネクタイ全面とカッターシャツにかかりました。
少し熱くて、服は茶色になり悲しかったですが、自分のフタのしめかたが悪かったので仕方がありません。
もし、これが上記のお母さんと子どもで、子どもがジュースを服にこぼしたら、「どうして、そんなことをするの」とお母さんはいうかもしれません。
子どもは服を濡らして、困った気持ちなのに、親の大声に驚き、楽しいジュースの時間は、怖い思い出としてインプットされていきます。
「たいへんやね。服までぬれてしまったわ。大丈夫か?」と、優しく余裕をもって言うと、子どもは笑顔で「うん、大丈夫」と答えるかもしれません。
母親のおおらかさで、子どもは些細なことを気にしないような、おおらかさな人になっていくのだろうと、この2日間で感じた次第です。