わたしが若い頃、「実家からカニが届いたよ」と妻が言いました。
「そうか、楽しみ!」と私は答えました。
しばらくして、届いたカニを見ました。
そのカニは、わたしが思っていたのと似ても似つかぬものでした。
わたしが連想していたのは、松葉ガニつまりズワイガニでした。
松葉ガニは、父が日本海に旅行に行って、よくお土産に買ってきました。
だからわたしは、大きなハサミと長い足のズワイガニしか食べたことがなかったのでした。ハサミにも足にもたっぷりと身が入っている。
でも、四国、瀬戸内海でとれるカニは、ワタリガニでした。足にはあまり身が入っておらず、どちらかといえば甲羅の中を賞味するらしいのです。
ワタリガニは、ズワイガニより小ぶりで、足の先はヒレになっていて、食べればズワイガニよりもどちらかといえば濃厚な味がします。
それは、後になってわかったことです。
それよりも最初に思ったのは、「赤の他人」が夫婦になるというのはこういうことなんだ、ということでした。
ズワイガニを食べる家庭とワタリガニをたべる家庭が一つになったのでした。
夫婦というものは、出会ったときは他人同士です。
それぞれが、別の家庭で長年育ってきました。
その二人が新しい家庭をつくり、実家の文化を加え、新しい文化をつくっていきます。
そのようにして、他人が他人でなくなっていくのです。
それが結婚の価値だという考えもあるでしょう。
しかし、それはそれです。30年以上連れ添ったわが家庭でも、夫婦がときとして意見があわないときもあります。
それをつきつめていけば、不一致が広がり、お互いが「あわない、別れよう」となることもあります。
そして、両親がいっしょであろうと、別れようと、子どもは、その家庭環境を受け入れたうえで、自分の生き方を模索して、確立していかなければなりません。
夫婦の関係はいろいろであり、子どもは自分の環境を受け入れ、自分がどう生きていくかをきめるよう支えていきたいと考えます。