
今年のクリスマスは、あっという間に終わりました。
この頃は、クリスマスケーキは予約制にしている店も多く、飛び込みで売ってくれる店も数量を絞っているようです。
仕事で遅くなり、夜の9時前にお店に寄りましたが、どの店もきれいに台が片付いていて、ケーキのカケラもありませんでした。
25日夜の値引きセールは、昔の話なのだと思いました。
さて、クリスマスににちなんで、私にはサンタからの贈り物について、次の子ども時代の思い出があります。
5、6歳の頃だったと思い出しますが、12月25日の朝起きると枕元には、サンタの帽子が置いてありました。
それはサンタの帽子に似せた紙製のものでした。
その帽子の中には、お菓子やおもちゃの詰め合わせが入っていました。
夜中にサンタがプレゼントを届けてくれたのだと、思いました。
もちろん、大人になってふりかえれば、両親が帽子を作り、夜に帽子を置いてくれたのだとわかります。
そんなクリスマスプレゼントの習慣は、今もわが国で続いています。
多くの子が今年はサンタクロースが何をくれるのかを楽しみにしています。
でも、本当は子どもたちだってわかっています。サンタクロースなんていないことを。
サンタクロースの着ぐるみを見てもニセモノだと知っています。
サンタクロースがいるなんて、不条理なことを大人は言うものだと思っています。
ただ、知っているけど、「まあ、許しておこう」と、だまされてままにしてくれているのです。
子どもは寛大な許しで、不条理を受け入れてくれます。
子どもを喜ばせようという大人の思いと、その思いを受けて、だまされてくれる子どもたち。
ニセモノのサンタも、温かい心に包まれ許されているのです。
こういったことは、中学生と教師の関係にもあります。
教師が教室で言う、つまらないダジャレや寒ーくなるようなジョークに対しても、あえてニコッとしたり、楽しそうにしたりして、生徒の温かい心で許されているのです。
生徒を喜ばせようと発する教師の言葉を受け、それを許してくれる生徒の寛容さに助けられている。そんな温かい関係があれば、教師不信は起きないのでしょう。