今日、1・2年生は箕面市子どもステップアップ調査の学力テストでした。
午後からは、恒例のしめなわづくりを美術室で、後藤弘友さんを講師に招き、教えてもらいました。
参加したのは、美術部の生徒、教職員、保護者の方たちでした。
後藤さんは、となりの人間国宝の認定を受けられています。
今年は、凧をバックにして、しめなわを作りました。
立派なしめなわができました。
さて、昨日から、4日間の2学期末の三者懇談が始まっています。
親御さんは、お勤めされている人が多いですが、わが子のため、時間をやりくりして学校に来られると存じています。
ありがとうございます。
生徒は、部活の合間を懇談のため、教室に向かいます。
なかには、親子が教室前で待ち合わせ、自分の順番を待ちます。
先生からどんなことを言われるのか、期待と不安が交錯するのが、生徒の心情でしょう。
わずか15分ほどの懇談ですが、教室に向かう生徒に声をかけると、
「今から懇談?」
「あっ、校長先生。はい、そうです」と答えてくれます。
「おうちの人は?」
「もう着いて待っていると思います」
ごく普通の会話ですが、懇談を大切に思っていると、感じます。
子どもらしい様子に、心が和みます。
三者懇談で、生徒も保護者の人も、いい思いをして終えてくれればいいなと、願います。
先生が、子どもの様子をよく見てくれていると感じてもらえれば、懇談でいい思いができます。
でも、先生の言葉や一方的な見方で生徒が傷つくこともあるかもしれません。
親御さんが、納得できないこともあるかもしれません。
私が自分の娘の懇談で、小学校へ行ったときのことです。
若い経験の少なそうなクラス担任が、「家でもっとお父さんが勉強をみてあげないとだめですよ」と言いました。
そのとき、私が感じたこと。
子どもに勉強を教えるのは、あなたの仕事だろう。わが子にどれだけかかわってくれたのか。
学校で、残してここまで勉強をみています。だから、お父さんもできればみてくれるとありがたいです。
こんな話し方ではなく、一方的に家庭に責任を投げる。
私は、そのとき、学習が苦手な子に学習会などをして、向き合ってきた経験をもつ中堅教員でした。
「学校の教師たるものは・・・」と論破して、その担任を教え諭そうかと思いましたが、思いとどまりました。
親が教員である場合、自分の子どもの担任である教員には、思うとおりのことがなかなか言えないのです。
教室を後にして、「勉強にがんばろな」と子どもに、悲しい思いで伝えながら学校を後にしました。
三者懇談で、「来てよかったね」「いい先生だね」「来年もがんばろうね」と親子で話せる懇談になることを、切に望んでいます。